4−16 奇跡じゃ


 親友が遠い空へ旅立ったことをきっかけに、アーガントリウスは城を去った。


「ま、色々見てくるわ」


 湖に隣接する森の中から、彼は60年近くを過ごした“巣”を見上げる。


「次に会った時、世界の“案内人”がいたほうがいいっしょ?」


 美しい城はもちろん黙したままであったが、相変わらず竜に追従しているフィールーンは後方でこくりとうなずく。どうやらこの現象はまだ続くらしい。


 アーガントリウスの旅は、実に気ままなものであった。


 安全地帯はヒト姿のままのんびりと徒歩を貫き、気に入った街に数週間滞在する。気さくで人懐っこい性格の竜は、種族に関係なく多くの者たちと交流を深めていった。


 もちろんその中で最も比率が高いのは――これもまた種族問わず――“女”であった。


「ねえ、綺麗なお兄さん。もういい時間だけど、今夜はどこに泊まるの?」

「えー? そうだなあ、あんまお金ないし……近くの森で野宿かなあ」


 少し肩を落として微笑むアーガントリウスに、酒を運んでいた女がずいと身を寄せる。


「そんなの危ないわよ。弱いけど、一応魔獣だっているんだから。ね……じゃあ、うち来る? 狭くて、汚いけどさ」

「キミと一緒なら、どこだって“天ノ国らくえん”だよ」

「やだぁ、もう!」


 きらびやかな水晶の粒が光るカーテンの内側で、純情な少女――フィールーンは、指の隙間から“オトナ”の世界を盗み見る。


『ここ、この先は……見て良いのでしょうかっ……!?』


 赤面して呟くと願いは聞き入れられ、時間が早回しされていく。舞台の幕間をみるかのように夜が引き、王女の頭上に晴れ渡った空が広がった。


「まさかこいつが役に立つとはね。ふあーぁ」


 小さな香瓶を物入れにしまい、民家から出てきた竜は大きな欠伸を落とした。

 決して裕福とは言えない傾いた家屋を見上げ、独りごちる。


「伏せってる母親が隣室にいて、“楽しめる”わけないでしょーが。まったく、田舎娘らしい純朴さだよ」

『あ……。アーガントリウス様、腕輪は……?』


 聞こえるはずがないと承知していても、思わずフィールーンは声に出してしまう。昨日まではたしかに重厚な輝きを放っていた宝飾品のひとつが、彼の褐色の腕から姿を消していた。


「スープとパン代にしちゃ、お釣りが出るだろ。もっと良い街に住んで、良い医者にかかるくらいにはね。おやすみ、ジャスミンちゃん――いい夢を」


 軽くなった腕を朝空へぐっと伸ばし、竜はぶらりと歩きはじめる。


「あーあ、今夜からはホントに野宿だわ」


 その後を追い、王女も慌てて駆け出した。



「魔法使いさま! ああ、どうか我らの村をお救いくださいっ!」

「だーから、調べてやるって言ってんでしょ……。ったく、気前よく食わせてくれると思ったらそゆコトだなんて、抜け目ない村だわ」


 懇願する村人たちに囲まれたアーガントリウスが訪れたのは、村の上流に位置する湖であった。彼らの水源は見るからに毒々しい紫色に冒され、異臭を放っている。


「あちゃー、“大毒蛇ヒュドル”でも住み着いたかねえ。お気の毒」

「皆の衆、退がれー! 魔法に巻き込まれるぞーっ!」

「え? いや俺っち、退治するなんて一言も――」


 いつの間にか遠い木立まで退避していた村人たちに振り返った瞬間、アーガントリウスの背後で湖面が盛り上がる。間を置かず、空気を震わせるような威嚇音が飛んできた。


『シャアアアッ!!』

「うわ、ホントにいた」


 アーガントリウスはローブの裾を翻しつつ、指先を“大毒蛇”へと向ける。姿が違えど竜であることが分かるのか、魔獣は警戒を発しつつも動かない。


「あ、そっか。この水色って――」

「魔法使いさま、火の魔法はお控えくださいませーっ! 奴の体液は毒性の油みたいなものですから、引火すれば湖が干上がってしまいますーっ!」

「“貴重な情報”どうも。俺っちが火の使い手ならどうするつもりだったのよ、お前ら……。まあ」


 杖の一本も持たないその指に膨大な魔力が収縮されていくのを感じ、フィールーンの透けた肌が粟立った。


「幸い、じゃないのよね。アガトさんは」

『シャアァッ!?』


 巨大な牙を剥き出しにして開かれた顎が、どこからか到来した冷気によってそのまま凍りつく。フィールーンの鼻先を氷の粒が舞い、陽光に煌めいた。


「大蛇の“氷菓ソルベ”、一丁上がりーっと」

「おおおっ! 見ろ、魔獣が一瞬で氷漬けに」


 歓声を上げた民衆へ、大蛇の黄色い目がぎょろりと動く。氷の中でもなお生き永らえているその姿を見上げ、ふたたび村人たちとフィールーンは縮み上がった。


「それじゃ“風の刃”でスライスして、最後は“大地の衣”で包めば――ほら完成!」


 分厚い風の刃が巨体を難なく分断し、湖の淵へと転がす。すると今度は土がボコボコと隆起をはじめ、滴る紫色の血ごと“大毒蛇”を包み込んだ。


「なんちゅう魔法使いさまだ。氷や風や、さらに土も従えるなんて」

『す、すごい……! これが、“全属”の使い手』


 木立から出た村人たちと一緒に呆然としつつ、フィールーンも魔獣入り土団子に見入る。

 アーガントリウスは毒の湖を眺めながら、気のない忠告を飛ばした。


「そいつはでかい壺にでも入れて、村の四方に埋葬すればいいよ。結界代わりになる」

「は、はい……。あの、まだ何か?」

「うん。仕上げをね――ほいっと」


 アーガントリウスが湖に向かってパチンと指を鳴らすと、毒の水は緑色の炎を吹き上げた。すさまじい熱気に民衆が仰反るが、村長らしき男が絶叫する。


「ま、魔法使いさま!? これでは湖が!」

「まさか自然に浄化されるのを待ってるつもり? 何百年かかんのよ……」

「しかしここは、雨の少ない地で――」

「はいはい。んじゃこうすりゃ文句ないでしょ」


 魔法使いが腕を振り下ろすと、途端に巨大な水球が降ってくる。

 小雨を伴ったそれは、あっという間に焼け焦げた窪地を“湖”へと戻した。


「……」


 澄み渡った空をそのまま写し込む清らかな水源を見、もはや言葉を発するヒトはいなかった。

 並んだ石像のごとき有様となった村人たちに気づき、アーガントリウスはぎょっとして言う。


「あ、ありゃ……。ごめん、やりすぎた?」

「――きじゃ」

「え? ちょ、なに……うわわ!?」


 武術の心得が無い竜は、異様な興奮を見せる村人の輪に瞬時に引き込まれ――そして全員の胴上げによって宙を舞った。


「奇跡じゃーっ! 貴方さまは、創造神さまが我らに遣わせてくれた天使じゃーっ!」

「た、ただの竜だし――ゆ、揺れが気持ち悪い、やめ」

「ああ、ありがとうございますーっ! この伝説は村一同、子々孫々まで語り継ぎますぞーっ!!」


 こうして竜の魔法使いアーガントリウスは、各地に小さな“伝説”を生み出し――やがていつしか、“大魔法使い”と呼ばれるに至るのであった。


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