4−13 魔法をかけてあげようか?

 フィールーンを連れてふたたび時が流れ――いつかの夕暮れ時。

 あまり使用人たちも通らない寂れた通路に、密やかな女の声が響いた。


「あ、アーガントリウス様っ……。い、いけません。お戯れは」

「えー? 良いじゃん、誰もいないんだしさ。ヒマなんだよ、俺っち」


 栗色の髪をした侍女を壁ぎわに追い詰めているのは、長身の若い男――ヒト姿になる術を会得したらしいアーガントリウスであった。


「楽しもうよ。誰もいない場所が多くあるのが、このボロ城の良いところなんだしさ」


 洒落た着崩しをしたローブ姿が絵になる美男で、垂れた深い紫色の髪が赤面する侍女の額を擦っている。


「こ、このようなところを王女様に見つかったら……!」

「俺っちは飼われてる猫じゃないの。それとも竜になったところ、見たい?」


 細い指を侍女の顎にかけ、くいと持ち上げる仕草はすでに手慣れている。フィールーンは見えないにもかかわらず、慌てて近くにあった巨大な花瓶の後ろへと逃げ込んだ。


「気になるなら、魔法をかけてあげようか? キミが集中できるようにさ」

「――へえ。何に集中するっていうの?」

「それ訊いちゃう? まあ口で言うよりも、体験してみたほう……が……」


 その毅然とした言葉が侍女のものではないと気づいたアーガントリウスがハッとした顔になるが、遅かった。


「ええ、身をもって知るほうが効果があるでしょうね。なんでも!」


 スパンッ、と小気味よい音が暮れの廊下を駆けていく。


「ってええ!」


 丸めた紙束による袈裟斬りを受けた青年竜は、先ほどまでの気障な雰囲気を投げ捨てて哀れな悲鳴を上げた。


「しし、失礼しますっ!」

「ああっ!」


 サッと一礼し、つむじ風のように去っていく侍女。名残惜しそうにアーガントリウスはその背中を見送り、ため息をついて襲撃者へと向き直った。


「はあ……リーナ。何すんのよ、良いとこだったのに」

「あなたこそ何してるのよ、アガト!」

「何って、そりゃアレよ。純情王女さまは思いもつかないコト」


 茶目っ気たっぷりに言ってみせる青年竜を見上げているのは、こちらも成長を果たしたアイリーン王女であった。


 フィールーンはどこか自信なさげに呟く。


『そんなに私に似ている……かしら……?』


 瞳と同じエメラルド色のドレスに身を包んだアイリーンは、王女に相応しき知性と教養を備えた立派な婦女となっていた。


「どこにもいないと思ったら、またいつもの侍女漁り? まったくもう」

「あちらさんが色目を使ってきたのよ? 会うたびいつも、じっと見てくるし」

「彼女は目が弱いのよ。よく見ないと顔の判別がつかないんですって」


 きちんと編み込まれた黒髪は夕陽を照り返し、色白な腕にはかつての小傷ではなく上品な腕輪が輝いている。しかしその手は、直筆で何かをびっしりと書き込んだ紙束を掴んでいた。


「それでどしたの、リーナ。なんか急ぎの用?」

「2つあるわ。最初はこれ――今度のはすごいわよ!」 


 興奮した声で告げ、アイリーンは紙束を青年の胸に押しつける。予想はついていたのだろう、アーガントリウスはさして驚くこともなくその紙を開いた。


 爪先立ちになったフィールーンは紙面を覗きこみ、目を丸くした。


『これは、設計図……? “からくり386号・安眠用香瓶”』


 丸みを帯びた小さな香瓶の絵の周りには、フィールーンには理解できない仕組みについての羅列がところ狭しと書きこまれていた。

 どうやらすべて魔法で動かすのではなく、一般の品に手を入れて創り出す物であるらしい。


「持ち主が床に入ったら、眠りの魔法を込めた香を勝手に焚いてくれるの。素敵じゃない?」

「まーた斬新なヤツを……。どうせ今までのと同じで、好き勝手喋るんでしょ」

「だから愛着を持てるんじゃない! ねえ、どう思う?」


 目を輝かせてじっと見上げるアイリーンの黒髪をぽんぽんと撫でるアーガントリウスの姿は、まだ17歳ほどだろう彼女よりもずっと大人びている。


 フィールーンと同じ所感を抱いたらしい王女は、驚いて言った。


「アガト……また大人っぽくなったわね。もう兄様よりも年上に見える」

「ん? あー、この“ヒト化術”、まだ年齢はごまかせないからなあ」

「心身の――とくに、魂の成長度合いを反映するのよね。じゃああなたはもう、20代ほどってこと? 少し前まで、あたしよりも小さかったのに」


 真剣なまなざしで設計図に目を落としている青年竜は聞いていなかったが、フィールーンの先祖である少女はどこか寂しそうに呟いた。


「これじゃ、すぐに……置いていかれちゃうわね」

「なあ、リーナ。ちょっといい?」

「えっ!? な、なに?」


 ぎょっとして大声を返すアイリーンに首を傾げつつ、アーガントリウスは少し身体を屈めて設計図を指差した。背の低い彼女へのさりげない配慮に、フィールーンの心が温かくなる。


「からくりの仕組みは問題ないんだけどさ。この香瓶……なんで執拗にトゲが生えてんの?」

「え……だって、かっこいいでしょ?」

「求められるのは可愛さでしょうが。婦人用なんだから」

「じゃあどうすればいいのよ」


 純朴な声での問いに、アーガントリウスは顎に手を遣って唸る。


「そうだな……蓋の中央に、真珠パールをひと粒戴くのがいい。美しいし、取手としても活用できる。あとは質素すぎるから、瓶の下部には鈴蘭の意匠を入れて――」

「ふふふ」

「何」


 満足そうな笑みを浮かべる保護主を見下ろし、アーガントリウスは胡乱げに目を細めた。アイリーンは小さく首を振り、静かに背筋を伸ばす。


「身体は大きくなっても、あなたはアーガントリウスだなぁって思って。“気味が悪い”からって誰も見向きもしないからくり製作も、いつもそうやって手伝ってくれる」

「ずっとこうしてきただろ。失敗作の実験台にもされたし、何を今更――」

「ねえ。2つ目の用件だけど」


 沈みゆく夕陽が、長い通路を燃えるような色へと染めていく。茜色に輝く大窓を背にした王女は、黙り込んだ友を見上げて告げた。



「あたしね。結婚することになったの」


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