4−11 やってみないと分からないじゃない
『ここは……』
あふれんばかりの花々の香りが鼻腔をくすぐり、フィールーンは目を覚ました。
足元に広がるのは先ほどまでの大樹の根ではなく、手入れされた芝生。
どことなく見覚えのある広い庭園の造りにハッとし、見上げた先には――
『し、城……!? どうして』
早くも懐かしく感じる、17年間の暮らしを共にした居城の姿。
あまり外から眺める機会はなかったものの、王女たる自分が見間違えるはずもない。だからこそフィールーンは、すぐにその違和感に気づいた。
『なんだか……まだ、新しいような』
「姫さまーッ!」
『ひゃ!』
突如背後から響いた呼び声に飛びあがり、王女はふり向いた。目の前に立っていたのは見知らぬ侍女だ。
「ああもう、どこに行かれたのだか。また洗い場から服が消えてるし!」
その装いは自分の記憶にあるものとは違っていたが、フィールーンは急いで黒髪頭を下げる。
『あ、あのすみませんっ! わ、私、気づいたら庭に――』
「まったくもう! いつもいつも……姫さまぁー! 出てきて下さいましーっ」
『きゃ!?』
蒼い顔をした侍女はなんとフィールーンをすり抜け、そのまま庭の先へと走り去ってしまった。
『え? な、何が……』
王女はまじまじと自分の身体を見下ろした。旅装に包まれた全身は、目を凝らすとわずかに透けているようにも感じる。ずっと先の樹の下で作業する庭師が見えたが、こちらを気にする様子はないようだ。
『他人には、見えない……? わ、私、まさか死んで』
「よい――しょっ!」
『!』
可愛らしい声と共に、小柄な人物がフィールーンの真横に急に現れた。
「たっだいまー! “おお、なつかしの住まいよ”ってね」
彼女は驚くべきことに生垣の隙間を突っ切ってきたらしい。簡単にまとめた長い黒髪には、花弁や葉がいくつも絡まっている。
『こ、この方が……姫?』
動きやすい革パンツをブーツに押し込んだ少年のような装いで、手には大きなバスケットを握りしめていた。興奮に輝く瞳は、澄んだエメラルドを思わせる。自分が評するのも何だが、なかなかに破天荒な姫君である印象を受けた。
「侍女もいないみたい。出てきていいわよ」
活発そうな声で少女がささやくと、バスケットにかけられた布がごそごそと動く。同時に、怯えるような声がその中から流れ出てきた。
「ここ……は……?」
『!』
ひょこと布から姿を現したのは、竜の長い首であった。バスケットに納まるほどその体躯は小さい。
淡い紫の鱗をもつその子竜を見、フィールーンは両手を合わせて叫んだ。
『かっ……可愛いーっ!』
しかしやはり自分の声は誰にも届かず、姿も見えないらしい。感激する王女を置いて、幼いヒトと竜は揃って雄大な城壁を見上げていた。
「さあ、ここがあたしの家よ」
「おおきい……。竜でも、はいれそう……だ」
「入れるわよ? 竜の魔法使いたちもいるし、料理長もそうね。お城に合わせて、ちょっと小さくなってくれてるけど」
「! そんな、ことが……?」
「できるわよ。きっとあなただって」
生垣の枝葉でこしらえた小傷には目もくれず、姫は笑って竜の布をとり去った。
「うぅっ……」
畳まれていた細い翼をそろりと広げようとした子竜は、小さく呻いてふたたびバスケットの中で丸くなった。姿が見えないのを良いことに2人の正面を陣取っていたフィールーンは、その竜の様子に気づいて口元を覆う。
『ひどい……!』
紫の子竜は全身傷だらけであった。それも噛み傷や爪痕――明らかに他者から攻撃を受けたことによる傷である。フィールーンと同じく、幼い姫も顔をしかめてふたたび竜を布で覆った。
「無理しないで。まずはあたしの部屋で休みましょ」
「で……でも」
「だれにも文句は言わせないわ。ここはヒトと竜が創りし平和の都、ゴブリュード――その王城なんだから! 傷ついた竜を保護するのは、あたりまえよ」
にっこりと笑んだ少女は、薄い胸を誇らしげに張る。
「そしてあたしは、そんな王国の“姫君”なのよ」
「ひめ……?」
「……。あなた、本当になんにも知らないのね。だから群れに置いていかれたのかしら」
「!」
布の膨らみがびくりと震え、萎れるようにして静かになる。あまりにも実直な物言いをする少女をハラハラと見ていたフィールーンだったが、彼女の瞳に言い知れぬ怒りが燃え盛っていることに気づいた。
「信じられない。こんな子竜をみんなで攻撃して、森に落として行くなんて。城の森で良かったわ」
「おれが……なにも、できなかった……から」
「できないって?」
これまた騎士たちの刃のように真っ直ぐな問いが布を貫き、子竜の身体を震わせる。しばらくすると、竜とは思えないか細い声が返ってきた。
「ま……まほう」
「えっ! できないの、魔法。竜なのに、ひとつも?」
「う……!」
図星らしく、竜はますます子猫のように丸くなっていく。しかし対照的に、姫の顔は輝いていた。
「あたしもできないの、魔法!」
「き……きみ、も? でも、“ヒト”なら……」
「ああもう、余計なことは知ってるんだから。そうよ、ヒトは魔法に向いてない。でもあたしは、できるようになりたいの!」
「! なり、たい……?」
布の下から這い出てきた子竜の頭が持ち上がり、フィールーンと共に少女を見つめる。
「そうよ。エルフの魔術はなんだか窮屈で、すぐにイヤになっちゃったわ。でも竜たちが使う魔法は大好き! だから、そっちが使えるようになりたいの」
「そんな、こと……」
「やってみないと分からないじゃない! だから、一緒にやりましょ。魔法!」
「っ!?」
姫は晴れ渡る空を指さし、興奮した声で宣言した。
「2人ですっごい魔法使いになって、皆をびっくりさせてやろうじゃない!」
「……きみ、は」
「君じゃない、“アイリーン”よ。アイリーン・ジェニルダ・ゴブリュード……長くて舌噛むから覚えなくていいわ。“リーナ”って呼んで」
「おれは――。……」
「え? まさか名前もないの」
うなだれたまま、子竜はうなずいた。アイリーン姫は小さな顎に手を添え、うーんと唸る。
「クビナガールン……ラッキーパープル……ウロコマル……。それか、アーガントリウス……」
「あ……アーガントリウス」
「ん、それ気に入った? じゃあ、あげるわ」
「えっ」
まるでお茶どきに菓子を分けるような気軽さ。フィールーンも子竜と同じく呆然としていたが、お構いなしにアイリーン姫は続ける。
「えーっと。あとはなんか、昔のすごい魔法使いの名前も入れたいわね。強そうなやつ」
「ええ……?」
「よし、決まった! あなたはアーガントリウス。アーガントリウス・シェラハトニアよ!」
「おれの――なまえ?」
細長い顔の中で小さな目を瞬かせる子竜の前に屈み、少女はうなずいた。
そして隣の生垣で咲き誇る花にも負けない笑顔を覗かせる。
「よろしくね、アガト!」
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