3−9 潮時だよ
「……」
倒れた木に腰掛けたセイルは現在、少し離れたところにいる仲間たちの姿をぼんやりと観察していた。
「孫を置いて逃げるとは、見下げ果てた根性だ」
「ほんと、最低ね」
騎士と妹の軽蔑に続いたのは、情けないほどに萎れた子供のような声。
「ひどいよお、ばーちゃん……」
「あんたまでなんだい、グルジー!」
一家の大黒柱である祖母が講じた“とっておき”――それはいわゆる、“とんずら”であった。
“こうなりゃ逃げるが勝ちさ!”
“いいえ、逃さないわよ!”
背を向けて一目散に逃げ去ろうとした老夫婦を阻んだのは、エルシーが喚んだ風の精霊による突風。その後転倒した2人を捕らえるのは容易であった。
「静粛にしていろ」
「ふん。さらに王都の騎士サマなんぞも一緒だったとはねえ。人生で一番ツイてない日ってもんだよ!」
見張りとして側に控えているリクスンを見、老婆は鉤鼻から荒々しく息を噴出させた。騎士は見向きせず、背後の主君へ振り向く。
「姫様、恐ろしい思いをされてさぞお疲れでしょう。しばし、そちらの木陰でお休みください」
「い、いえ。わ、私は大丈夫ですから……」
木陰で膝を抱えているフィールーンが、慌てて手を振る。しかしたしかに疲労を感じているのか、少し顔色が悪いように見えた。
「休むよりも、食ったほうがいい」
「姫様を大食漢扱いするな。それに木こり、貴様も貴様だッ! 狩りに夢中になるばかりに、ならず者の接近を許すとは……やはり俺も行くべきだった! 大体これしきの者達など、貴様の“力”を持ってすれば――」
憤りのあまりまくし立てるリクスンの隣から、妹エルシーが涼しげな声で割り込む。
「あたしの矢が刺さった“デーモンディア”がすぐ近くにいるって、精霊が教えてくれたわ。あなたがやったんですか、フィールーン王女?」
「あっ……え、ええと……はい」
「すごいです! 初めての狩りでそんな大物を仕留めるなんて。夕飯が楽しみだわ」
「なんと、お見事です姫様! さっそくご報告の文を飛ばさねば」
熱っぽく言ってうなずく騎士に見つからないよう一歩退がり、エルシーはセイルに向かって片目を瞑ってみせた。
上手く話題を逸らせてくれた妹に感謝しつつ、セイルはひとり小さく息を落とす。しかしその嘆息をしかと耳にしていた者がいた。
(お疲れさま、セイル)
「……ああ」
(リンに言わないのかい?)
「何がだ」
(竜人の力を使って戦うことは、極力しないって。見た目がマズいのもあるけど――そもそも普通のヒト相手では、過ぎたる力であるということを、さ)
竜の賢者の指摘に、セイルは呻くように返した。
「分かるだろう。そのうち」
(皆が君の妹みたいに察しが良いわけじゃないんだ。話さなきゃ伝わらないこともある)
「……面倒だ」
セイルが苦々しげにこぼすと同時に、妹の隣に座り込んでいた獣人が一仕事終えた声を上げた。
「ふーっ。できやした」
「タルトちゃん。そういえば、さっきから何を描いてるの? ……って、うわぁ上手! 似顔絵?」
「人相書きってやつでやんす」
にやりと口の端を持ち上げ、商人タルトトは羊皮紙を皆の方へ向けた。見事な筆遣いで描かれているのは、今にも噛みつきそうな一家5人の顔だ。
「そ、そいつは手配書じゃないか! どうする気だい」
「どうもこうも、あっしの知り合いの商人中に配布するに決まってまさあ。てめえらみたいなのは牢から出てきたって、懲りずにまた悪だくみをしやすからねえ」
商人はいつもの可愛らしい声で語る。しかし縞模様の浮いた頬から笑みが消え去ると、セイルでも驚くほどの冷たい声を発した。
「拠点移動型の物盗り、“ラズナー一家”。揃いの黒い
「なっ……! くそっ、やめろチビ!」
「あっしらから盗んだ物資は、どこに隠してるんです? まだ売りさばいちゃいないでしょう」
獣人がずいと上半身を近づけると、老婆の顔に小さな影が落ちる。もちろん老婆はあらぬ方角を見たが――
「森の……東側にある、洞穴だ」
詰問に弱々しい声で答えたのは、最も年上の孫であった。
「シュート、あんたっ――!?」
「そ、それに、今の拠点も近くの谷にあるんだ! 貴重品類は都で売ろうと思ってたから、まだたくさん残ってるよ」
「エリッサまで! 一体どうしたってんだい」
続く女孫の自白に、老婆は半狂乱になって唾を飛ばした。しかし孫達の反乱はなおも続く。
「人攫いをしようとしたのは、これが初めてだ。殺しだって、俺たちはまだ」
「本当でやんすかぁ? しかし、悪人の言葉を信じるってのはねえ」
「拠点にある宝石は、あんたにあげる! これで謝罪になるでしょ」
「ふぅーむむ。価値によるっすねえ」
「おっきな銀石の指輪に、ながーい緑光石のネックレス! な、なんでもあるんだぞっ」
「ほうほう? そりゃあ一度、
いつの間にか商人の顔には、怪しげな笑みが咲いている。それを見咎めたリクスンが、小さな襟首を掴んで後ろへと引っ張った。
しかし早くもタルトトは周辺の地図を広げ、財貨の隠し場所へのアタリを付けはじめている。
「こ、この馬鹿孫どもぉ……っ!」
「潮時だよ、ゼニィばーちゃん」
絶望と憤怒が混ざり合い土気色になった顔をしている祖母に、静かな声が告げた。
「あんたらと違って、俺たち孫に悪党の才能はないんだ。王都で裁いてもらって、堅気になってやり直そう」
彼の隣に並んで縛られている妹弟たちも、力なくうなずいて同意を示している。
どうやら一枚岩の一家ではなかったらしい。
「うむ、陛下は温情深い御方だ。罪を清算し善き道へ進むというなら、やり直す場はあるだろう」
「あら、意外と優しいのね。厳しいだけの人かと思ってたけど」
からかいではなく、純粋な驚嘆から茶色い瞳を丸くしたエルシーが騎士を見上げる。
妹と同じ所感を抱いていたセイルも、腕組みをした青年を見た。
「罪人とて、民は民だ。少しばかり道を違えた者をたやすく葬り続けていれば、いずれ国中から笑い声が絶えるだろう――とは、俺が尊敬する若き主人の言葉でな」
「まあ、素敵だわ」
どこか得意げな青年と優しい少女の視線が向けられた場所には、顔を真っ赤にしてうつむく“若き主人”の姿――。
「……姫様?」
「え? さっきまで、そこに」
しかし木陰に人の姿はなく、小さな野草が風に揺られているばかりだった。
蒼くなった仲間たちから目を逸らし、セイルも勢いよく立ち上がる。
「――上だ」
茶色の瞳が見つめる先には、森の木々から次々と鳥たちが飛び立つ影。
だんだんとこちらから離れていくその喧騒の中に、一際大きく身軽な黒い影が見えた気がした。
「ハッ……お賢いリスちゃん。そのとんがり耳はよーく鍛えられているようだけど、詰めが甘いねえ」
「な、何でやんすか」
地図を握りしめたタルトトが尻尾をすくめたのを見、老婆は勝ち誇ったようにゆっくりと言った。
「ラズナー一家は、5人家族じゃない。姿なき“6人目”がいたから、今までやってこれたのさ!」
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