03 小さな御手

「最近ヒースクラフト様が冷たい気がするんだけど、どー思う? 乙姫センセ」

「そーねぇ…」

「なんか王宮関係でイベントっぽくて忙しい的な話はされてたんだけど…肝心な部分は濁されちゃうしー…」

「そーねぇ…」

「ちょっと乙姫センセ! なんかタマシイ抜けてない? 後さ、最近雪緒ちゃんが音沙汰ないんどけど? 図書館行っても居ないって良く言われるし?」

「…そーねぇ…」

「ちょっ、乙姫センセっ、ホントに大丈夫? なんか変よ?」

「……そー…ねぇ……」


 相変わらず脳内ピンクな五月ちゃんメイウィンド。それは如何にも彼女らしい事なのだが、最近は雪緒ちゃん…ツララに言われた言葉がトゲなって私の心を刺し、それは本当に五月ちゃんらしいのか? という疑問を思わせるように感じていた。


 ツララは言ったのだ。私が守るべき生徒たちは……『そう願う私が作り出した模造品』なのだと。

 しかし私にはそんな願いの記憶が無い。誰に願ったかという記憶もない。

 だからそう言われても…疑問には感じても…そこから先には考えが進んでくれないのよ。


「──変って、そういや聞いてよセンセ、この間、なんか急に悲しくなってね…場所とか関係無くボロボロ涙出ちゃってね──」


 …涙…?

 そういや…あったわね。

 ツララが去ってから暫くして、枯れた心の中に突然感情が爆発して……。

 …あの時は、固まった心が動いてでの変化かと納得してたけど…違う?

 別の何かの理由?

 何よ、死と絶望を乗り越えた私が今更泣く理由とか……?

 しかも絶望なんか、二回も味わって……


 そう…泣く理由なんか…あの時以来に…


『──────────っ!』


 慟哭の幻聴に震えた。

 私の叫びではない。

 もっと…もっと若い…幼いといっていい年頃にしか出せない叫びだ。

 そうだ、この叫びに心を引かれて、私はあの日、泣いてしまったのだ。



 今度は幻視。

 何処かの夜空……ああ、“此処”は私も知っている。あの日、前世の私がその生涯を終えた場所だ。




 ……教育実習生だった私の成績は…御世辞にも言いとは言えなかった。

 大学時代のたった四年で私の中の高校生としての感性は古い時代の遺物と化していて、実習の校風に馴染めず終わった。そのくせ教師の立ち位置から視た先生ってものの実態も、理解したとは言い難い。

 プラスになった部分といえば、手頃に若い女と接してナンパ気分を起こした一部の男性教師くらい。勿論、こっちの趣味じゃないので、無難な対応に苦痛しか感じない日々だった。そのくせ…そういったのに嫉妬の目を向けてくる同性教師も居るのだから、私にあの職場は無理だろうと本能で解る始末。


 そんな人生を無駄にしてる感覚の中、唯一の楽しさを思う場所が…彼女たちとの関係だった。

 深森五月、白瀬雪緒、高峰怜歌、金剛鈴夏。

 彼女たちは漫画同好会の面々。

 昨年居た上級生が卒業し、人数不足を理由に部から同好会へと格下げられた。例外的に部室の利用はそのまま黙認されたが、活動費は自腹という厳しめな状況だった。

 活動実績作りに某イベントの即売会を使うことは既に忌避されるものじゃなく、自費活動となった彼女たちには、むしろ参加は必須のものだった。

 しかし、顧問を失った彼女らには移動費すらが厳しい出費で…体よく顧問の代わりにと利用されたのが、私だったのだ。


 …うっかり、私も毎回参加してるとかバラしたのが運のつきよね。

 だがそういった感情を明け透けにぶつけられたところは嫌いじゃなかった。

 それは、自分が学生時代の頃に誰か彼かに向けてたものと同じか、似たものだったと懐かしさを憶えたものだったから……


 …そうね。

 彼女らと一緒の時だけが、あの頃の私が安心できたのよね…

 たった二週間の間でも……


 結果的に、実習期間を終えても彼女たちとの関係は続いて、当時のマンガやゲームの二次本の話題で盛りあがって。

 いつの間にか私は、“乙姫先生”と呼ばれるようになって…


 そうして、あの日。

 私の運転する車で、前日から泊まるホテルへ上京の途中に…事故にあったのだ。


 大きな玉突き事故だ。

 目の前を走ってたトラックが急に横倒しになって避けようが無かった。

 前にぶつかり、すぐ後ろからもぶつけられ、エアバッグなど役立たずなくらい連続の衝撃の中、自分は今日死ぬんだと本能的に理解した。

 笑える話だ。覚悟してしまえば…私の車の上を跳ねていく車に感心し、“この情景を絵にしたら売れる!”とさえ思う余裕があった。

 既に体温が下がっていく恐怖を知らぬ振りで誤魔化してたとも言うけど…。

 そんな冗談みたいな惨事の続いた最後に、車内に閉じ込められた私たちが、ただ潰されていくしかなかった最後に…


 ……そう。

 あの叫びは、薄れる意識の間際に聞いた…誰かの叫びだ。

 その後すぐに、何度も続く爆発で目の前が真っ白になって……


「…ああ、そう。幻を視たのよ」


 思い出した。

 身体が潰されて意識が掠れて、何も聞こえなくなってって、目も見えなくなったはずなのに、気づいたら私は大空をダイビングしてて、遥か眼下に自然溢れる大地と幻想ファンタジーの街並みを見下ろしている光景を幻視した。


「…本気で馬鹿よね。あれ…〈ローズマリーの聖女〉のオープニングじゃない…」


 今更思い出したわ。

 あの幻視は、異世界転生した聖女が成層圏あたりから落ちて未知の大地へ墜落って感じにたどり着くオープニングムービーの一幕だ。


 …いや、正確にはそのイメージを真似たものの幻視だろう。

 似てはいたが、よくよく思い出せば細部は大分違うと解る。

 ムービーの方はそのまま惑星降下といったものなのに対し、幻視の方はまともな大地は真下の一部だけ。惑星どころか大陸の端の方は崩壊を逆再生するように、新たに創られていく様な映像だったのだから。


 直感…末期の妄想かしら?

 とにかくあの光景を視た時、解ったのよね。

 これは転生よって。

 ゲームみたいな世界に生まれ変わる。

 前の生涯より…ちょっとは良い目を見られる…お伽噺の主人公になれる世界だって。


 願ったわ。

 そんな配役で、今度は楽しく生きたいって。


 願ったわ。

 私だけ…それじゃダメだ。

 同じく死んだ、私の道連れに死なせてしまった“あの子たち”も同じじゃなきゃって。

 ──むしろ、私より彼女らをそうしなきゃって……


 …ああ、そう。

 確かに願ったわ。

 私ってば、すっかり忘れてたのねえ…


 …でもその先からの思い出は…無理。出てこない。

 でも大地が作られていくる代わりに、自分の意識が薄れてくのは…何となく憶えている。

 自分が希薄になって、これから転生って感じじゃなかったのは…勘違いかしら?


 …ああ、そうそう。

 溶けて消えそう。もう限界って感じの時に、誰かに手を握られたのよ。

 手の感覚なんかとっくに無いはずなのに、とても暖かくて、小さな手にぎゅっと…

 その感触が本当に最後の記憶よね。


『──泣いてちゃだめだよ──いっしょにね!──』


 うん、少し訂正。

 最後の最後で、そんな言葉を聞いた気がする。

 小さな女の子の声だった。

 それが本当に最後で……




「──ねぇっ、聞こえてるセンセっ! もしかして寝ちゃってる?」

「──っえ? あっ? 泣いてない…わよ」

「もう、ホントに寝てたの。信じらんない」

「……え?」


 メイウィンドに覗き込まれていた。

 寝ていた? 私が? いつの間に?


 身を起こす。

 此処は学内にある高位貴族専用の控え室の一つで、ニルフォクス家が長年使っている私室のようなものだ。

 私は授業の合間などを此処に隠って一休みするのがルーティンになっている。

 実家の執務や休息に不便が無いよう、家具はある程度揃えていて、クッションを効かせた長椅子は時にベッド代わりにも使っている。


 …不覚にも、そこでグッスリと落ちていたらしい。


「横寝して片ひじ突いて、でも手元に詩集置いて薄目で見ててよ? 普通はアンニュイに時間潰しかと思うわよね。だから普通に愚痴ろうと思ったら全然反応無いしっ。

 …で、変だなーって覗きこんだら…」


 そこまで言って、自分の口角を指して真下に線を引くように下ろしていく……って!?


 バッと口元を隠し確認。

 …………良かった、濡れてないし、口紅の落ちた感触も無い!


「ちょっ、メイちゃん! 騙したわね!」

「寝たたのはホントだしぃ! あと、鼻いびきが豚だった」

「キャーーーーーー!」

「ヨダレはウソだけど、武士の情で鼻水は拭いといたよ~」

「ギャーーーーーーーーー!」



 これ見よがしに手にしたハンカチを振るメイウィンド。

 そのハンカチに、僅かながらマスカラとチークの痕跡を移していたのには…不覚にも気づかなかった私である…。





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