11 トリシアの足跡 (4)

 さらに一日。俺の図書館缶詰暮らしが経過した。

 生活面は時間をおいてメイド隊のサポートが来るので不便は無い。室内の一角を完全に私室化しちゃった点は……まぁ、勘弁してもらおう。

 フラウたちの見学などは来させないよう指示しておいた。

 トリシアが遺した内容は本気でこの世界のごく普通の少女には猛毒なのだ。例え解読できない内容だからといって油断はできない。


 ……だってなぁ、フラウが使うという読心術で俺の心が透かされようもんなら、それだけで致命的な汚染になりかねんわけだし。


 で、同じく日本語を解せるツララのサポートが地味に有能なのだと実感もした。

 腐書の中身を参照する毎にツララの中の記録の合致も深まるようで、時間を過ぎるだけ仕分け作業の効率も上がっている。

 そしてこの日の真夜中に、ようやっと魔術士としてではないトリシアの日記と呼べる部分だけの抜粋が完了する。


「……本来なら、詩杏の魔術士としての成果を目的にした予定だったんだがなぁ」


 チャカに関する従魔の魔術に関する記録。

 本当ならそれを知るのが目的だった。もう優先度は随分と下がったけどな。


「そちらはそちらで纏め済みです。カルキノスにも記録はしたので、後々、私から引き出し閲覧すれば良いでしょう」

「……そりゃ君が完全な道具になってから利用しろって意味なのかね?」

「ええ。特異点・ウザイン・ナリキンバークの外付け記録保存庫という意味です」

「……正直、そっちの方も何とかはしたい気分なんだがな」


 自分の死亡、とはちょっと意味が違うだろうが、自身の消失に関しても何の感情も含まないその姿勢は……俺的にはまだまだ異質。

 ……いやま、違うな。

 自分の死期を悟った者特有の達観した感じを連想しちまって気持ち悪いんだ。

 特定の誰かって記憶は無いんだが、俺は確実にそういった人物と……もしくは幾人かとの邂逅を経験している。そんな確証だけはある。

 ツララと接する時間が増えると、その詳細が不意に思い出されそうで……たぶん、怖いんだな。


「というか、そういう部分は読心しないでくれると助かるんだがな」

「いえ、別に私は、なにも」


 たった二晩でも観察し続けりゃ俺だって察する。

 ツララには感情は薄いが思慮はある。言わない方が良い場合には下手ながら誤魔化したりもするのである。


 ……ま、意識を切り替えよう。


「それじゃ、本格的にトリシアの過去の一部を読み解こうかね」





 大筋としての流れだが、まず大事なのは、彼女はこの世界に完全にトリシアとして生まれている。おそらくの推測つきだが、香取詩杏として前世の記憶を持ち越した転生はしていない。

 ただし、知識と〈ローズマリーの聖女〉の前身、〈トリシアの魔法世界探訪〉としての設定のままにこの世界に誕生はしたらしい。



 ……あの短編の概略は異世界ものの定番な感じだったか。

 自分の正体が解らないまま色んなチートを披露して世間を驚かし、それに関係する人間関係が大騒ぎする。

 最後は金と地位と社会的な名声を得て人生大成功ってな感じのハッピーエンド。

 ただ女主人公らしく恋愛話にならないとこは……ちょっと消化不良だったな。


 ……ちゃんと“白馬に乗った王子様”っぽいキャラは居たのになぁ。


 むしろトリシアと事ある毎にぶつかって悲惨なことになる“ウザイン”の方が露出は大きい。

 が、俺と彼女の関係を思うと……自惚れを加味して見ても内容は薄い。

 別にロマンスに繋がる感じでも無かったし。


 ……むしろアレだ。

 ある意味マジにウザインにキレてる感じすらある。


 ああ、うん。そうだな。

 その後の話は置いといてだ。当時の彼女は俺にそういった不満を抱えてたって事なのか。


 ……何でだ?

 普段の会話は普通だし。

 別に彼女に借金とかもしてないし……ヒモ暮らしの記憶も無いし。

 というか当時はただの友人の一人でしか無かったし。


 ……ん?


「何か俺に話があるのか?」

「……いえ」


 気づいたらツララから妙な視線をもらっていた。

 なんかこう……ちょっと冷えた感じのするやつを。


「情報としては認識してましたが、勇者のマイナス補正効果や朴念仁の実物とは、こうも周囲に不快な心象空間を生じさせるのだと確認しました」


「なにか言ったか?」

「いえ、なにも」



 ……むむ、ツララの変質化が進んでるのかね?

 ちょっと急ぐか。



 さてトリシア自身、最初は自分が何故日本語の読み書きが可能なのかは理解していない。

 ただ自分が世間にヤラカシ案件を振りまく危険性を認識してからは、極秘にしたいものは常にそうして暗号化するのが癖になっていた。

 魔術に関する記録が多いのは、彼女なりの安全策というわけだ。

 で、時代が進むとその中に私信の内容も含むようになる。

 この世界で生きる普通の女性の……本来なら俺みたいなのが読んじゃいけない系のものばかり。

 が、そんなものを記し始めて彼女が成人を迎えた頃。

 とうとう現実から乖離した系の妄想が限界突破し、その部分の前世の記憶が復活した。

 以後十数年は、大変残念なことに前世の腐に関する記憶の復活と再現がメインになっている。


 ただ幸いかな。

 真っ当に生きたこの世界の感性は、その前世の記憶の産物を世に出しちゃマズいもんだと理解していた。

 暗号性はより高まり、モノによっちゃ今も機能してる認識阻害の魔術効果のせいで“謎の魔法陣”としてしか認識されないものもある。


 ……やっぱり、業の深い業界だよね、この手のやつって。

 ……でもなぁ……


 ……なんでそんなジャンルの末端に、俺に関する記述のとこが混ざってのかねぇ……


 その一文は、こう始まっていた。


『――深刻な思想障害をもった王族に施す精神矯正魔術の創造と、天使のように純朴な美少年が如何にして同世代の友人との水浴びシチュに健全と倒錯をあわせもつ情景描写を描くかに悩んでいた今日、私は彼、ウサミ・ヒロシの事を思い出した――』


 思わず、その記述のある書面を床に叩き付けた俺は悪くない……と思う。


 詩杏さぁぁぁぁんっ、アンタ、マジに俺の印象を脳の何処に置いてんのぉぉぉっ!?




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