第58話 解き放たれた彼女の想い(2)
「マンションに帰って、彩を止めてくる。誤解を解いて、出て行くのをやめてもらう」
拓馬はもう明菜を見る事も無く、リビングを出て行こうとする。
「待って!」
明菜は慌てて、拓馬の後姿に抱きついて止める。
「好きなの。お願い、行かないで……」
「明菜……」
拓馬は振り返って、明菜と向き合う。
「ずっと好きだった……いつも家まで送ってくれて、本当はとても嬉しかった。……車の助手席に乗っていても、本当の彼女だったらって、いつも想像してた。……優しい言葉が辛い時もあった……冷たくされれば諦められるのにって。……私はあなたの事が一番好き。和也君より拓ちゃんが一番好きだよ。……お願い、ここに残って。今日は私の傍に居て……」
――高校生の明菜が言っていた事は正しかったんだ。大人の明菜は俺の事を想っていてくれて、辛い毎日を送っていたんだ……。
大人の明菜の顔に、高校生の明菜の顔が重なる。応えてあげられなかった、純真な少女の想いが大人の明菜の想いに重なって、拓馬の心を揺らした。拓馬は明菜を心から愛おしいと感じ、力一杯抱き締めた。
「ありがとう。明菜……」
拓馬に強く抱き締められ、明菜はようやく愛する人に自分の想いが届いた幸せを噛み締めた。ずっと高校生の時から抑え続けていた想いが解放されたのだ。
「ありがとう、拓ちゃん……」
このまま抱かれていたいが、拓馬の記憶が戻った以上、明菜にはやらなければならない事があった。
「彩のところに行ってあげて」
明菜はゆっくりと、両手で拓馬の体を押し戻した。
自分の吐いた嘘の清算。
それが明菜のやらなければならない事だった。
「明菜……」
「彩は拓ちゃんに嫌われたと思って、離れようとしているだけ。本当は別れたくはないのよ。それに、記憶の戻ったあなたが一番好きなのは彩でしょ?」
明菜は拓馬に心配かけまいと、笑顔を作ってそう言った。
「……わかった、行ってくるよ」
拓馬はそれ以上何も言わずに部屋を出て行った。
明菜が強がっているのは拓馬にもわかっていた。だが、彩を想ってした明菜の強がりに応える為に、拓馬は余計な事を言わずに部屋を出て行った。
拓馬の後姿を見送り、明菜はリビングに座り込んだ。
――もうこれで、拓ちゃんを想う事は無い。私は振られたんだ。今から生まれ変わって生きよう。拓ちゃんや和也君以上の彼氏を作って、笑顔で二人の前に出られるように。
強がりだった明菜の笑顔は、清々しい晴れやかな笑顔に変わっていた。
明菜の部屋を出てすぐ、拓馬はタクシーを拾って自宅マンションに向かう。タクシーの中で彩に電話をしたが、つながらない。メールもラインも全て返信は無かった。
拓馬は、もし今日彩に会えなかったら、このまま会えないんじゃないかという嫌な予感があった。
――彩……まだマンションに居てくれ……。
焦る気持ちでタクシーに乗っていると、拓馬の頭に過去に残してきた人達の事が浮かんでくる。高校生の彩と明菜、助ける事が出来なかった和也。
――あれからみんなはどうなるんだろうか……。現在に戻って来て何も出来ない自分がもどかしい。
――頼む……彩と明菜を救ってくれ……。
拓馬はもう何も出来ない過去を思い、入れ替わりになった高校時代の自分に願いを託した。
タクシーが到着し、拓馬がマンションを見上げると部屋の灯りが点いていない。エレベーターを待つのももどかしいので、拓馬は三階まで階段を駆け上がった。
拓馬は自宅のドアを開け飛び込むように中に入る。だが、急いだ甲斐も無く、家の中は真っ暗で人の気配は無かった。
「彩!」
灯りを点けて、中に向かって叫ぶが返事は返って来ない。ダイニングに行き、灯りを点けるとテーブルの上に代車のキーと手紙、それに和也のお守りの人形が置いてあった。
(拓ちゃんへ
今までありがとう。
拓ちゃんと過ごした日々は本当に幸せでした。明菜と幸せになってください。
あなたを守ってくれたこの人形を置いていきます。きっと記憶が戻る手助けをしてくれるから、これからもお守りにしてくださいね。
彩)
その簡単な内容が逆に彩の決意を感じさせる。もう、自分と別れるつもりなのだ。ただ、和也の人形を置いて行くほど自分の身を案じてくれている。拓馬は彩の愛情は、まだ枯れていないと思った。
――早く彩を探さないと……。
夜中ではあったが、拓馬は構わず思い当たる知り合いすべてに電話した。だが彩の行方を知る者はおらず、部屋の中を探してみても手掛かりすら掴めない。
と、その時、「リーン」という鈴のような音が聞こえた。
――この音はあの時にも……。
音は和也の人形から鳴っていた。
――和也、彩の居所が分かるのか?
拓馬は代車のキーと人形を掴むと部屋を飛び出した。
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