最愛の人の、忘れる事が出来ない大切な人
第2話 最愛の人の、忘れる事が出来ない大切な人(1)
山頂近くの駐車場に停めた車のステレオから、RCサクセションの「たとえばこんなラブソング」が流れている。霧島拓馬(きりしまたくま)は元柔道部らしい大きく逞しい体を少し倒したシートに預けて心の中で歌を口ずさみながら、夜景に見惚れている佐々木彩の横顔を眺めている。拓馬はコートのポケットに忍ばせたダイヤの指輪を渡すタイミングを探していた。
二人は二十一歳から交際を始めて三年経ち、一年前からは同棲もしている。今日は同棲を始めてから一年目の記念日で、拓馬は前々からこの日にプロポーズすると決めていた。
平日だったので、お互い仕事が終わってから待ち合わせをし、予約していたレストランで食事をとった。お気に入りのコースをドライブして、夜景の見える駐車場に車を停める。拓馬は二人が初めてキスをしたこの駐車場を、プロポーズの場所に選んだのだ。
十一月の空気は澄んでいて夜景が綺麗に見える。二十台分のスペースのある駐車場には他にも何台かの車が停まっているが、どの車も二、三台分ずつ間隔を空けていた。近場では有名な夜景デートスポットなので、どの車もカップルで来ている。お互いが隣の車を気にしないで済むように配慮をしているのだ。
この場所に着いてから、拓馬はずっと彩の横顔を眺め続けている。明るい茶系の肩まで伸びた髪と、スッキリとして透明感のある整った顔。無言でいると少し陰のある表情が、笑顔になると花が咲いたように明るく輝く。拓馬はその笑顔が大好きだった。
もう駐車場に車を停めてから三十分は経過していた。拓馬は彩の横顔を眺めながら、中々指輪を取り出すタイミングを掴めないでいる。
今日の二人は食事の時から会話が少ない。自分はプロポーズの事を考えて緊張していたし、彩もそれを感じているからだと拓馬は考えていた。だが、駐車場に車を停めてからの彩は、明らかにいつもと様子が違う。拓馬を拒絶するように、無言のままで目の前の夜景を眺め続けているのだ。
拓馬は彩がプロポーズを断るとは思えなかった。愛し愛されている実感はあったし、同棲して一年になる。その間も家事を分担して、休日もデートに出掛けたり上手くやってきたつもりだ。拓馬が結婚してからも態度を変えるつもりはない事は、彩も理解してくれていると思っている。そもそも、同棲も彩が提案してきたのだから、結婚を望んでいる筈だ。同棲を始める時も、拓馬は冗談交じりに「俺が良い旦那さんになるか試すつもり?」と笑顔で聞いたが、逆に彩は「私と一緒に居て後悔しないか拓ちゃんが見極めて欲しいの」と返してきた。その表情は真剣で冗談ではないと拓馬は感じた。そんな経緯から、このタイミングでプロポーズすれば何の問題も無く幸せな結婚へ進めると思い込んでいたのだ。
拓馬は横顔を眺めるうちに、彩は同棲中に自分の事を夫にするには不適格な人間に感じたんじゃないかと、不安になってきた。
拓馬が心に沸いた不安をかき消すように視線を逸らすと、バックミラーに吊り下げた小さな人形が、視界に入ってきた。
三センチほどの陶器で出来た、かすりの着物を着た5歳くらいの男の子の人形。
――お守り代わりの人形が……。
その人形は、彩に一目惚れした拓馬がなんとか口説き落として付き合い出し、ようやく両想いと呼べるぐらいになった頃、彼女がお守りにと吊り下げてくれた物だ。詳しくは語らなかったが、この人形は彩にとっても大切な物らしい。
誰もが親しみを覚える顔をした人形で、拓馬も気に入っていた。何気なく見ているうちに、拓馬はその人形が「大丈夫、きっと上手くいくよ」と勇気づけてくれている気がしてきた。
とその時、彩が微かな笑顔を浮かべて拓馬に顔を向け、二人の視線が重なる。なにか覚悟を決めたような笑顔に拓馬は感じた。
今しかないと思い、拓馬はポケットから指輪の入った箱を取り出す。
「初めて会った日から彩の事が大好きです。一生幸せにするから、俺と結婚してください」
拓馬は目を閉じて、ふたを開けた指輪の箱を彩の前に差し出した。
十秒だったのか、三十秒だったのか、それとも一分以上経ったのか全く判断が付かなかったが、拓馬は気が遠くなる程返事を待ち続けた。だが、手には何の変化も無く、指輪はそのまま箱に納まっている。しびれを切らした拓馬が恐る恐る目を開くと、彩が悲しそうな表情で見つめていた。
――まさか、断られるのか?
拓馬は絶望的な気持ちになった。
「ご……ごめん……迷惑だった?」
自分でも声が震えているのがわかったが、抑える事が出来ない。
拓馬の顔を見つめながら、彩は悲しげな表情を浮かべて首を振る。
「違うの……私も拓ちゃんの事が大好き。結婚するとしたらあなた以外考えられない。プロポーズも凄く嬉しい……でも……」
「……でも?……」
拓馬は不安で心臓が締め付けられるような気がした。
――肯定的な発言の後の「でも」だ、もしかして断られるのか?
聞くのが怖いが聞かない訳にもいかなかった。
「私には忘れる事の出来ない、大切な人がいるの……」
彩は辛そうな表情を浮かべ、震える声で言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます