5.デイジーの歌
結局、閉店時間まで遊びまくった。
また来てねー、と手を振るカウンターのお姉さんと、わん、と尻尾を振る犬に見送られてゲームセンターを出る。
外はもう夕暮れどきで、海鳥とは違う鳥の鳴き声が聞こえる。おそらくは『カラス』と呼ばれる鳥だろう。本土ではごく普通に見かける賢い鳥なのだ、とチャーリーが言っていた。ハシブトだったりハシボソだったりするらしいがそこまで細かい違いは私にはちょっと分からない。
「結局、一日中ゲームしてましたね……」
「俺もまさかお前がここまでハマるとは思わなかった……」
「今日はもうこれで帰る感じですか?」
「そうだな。いつもなら飯食って帰るんだけど……でもお前、飯食えないだろ?」
「食べられないこともないですが、汚れるので嫌です」
「だろう? ああ、そういや……」
そこで少佐は自分のお腹を手で押さえる。
「どうしました? 少佐?」
「いや、その……」
と、少佐はちょっと照れたように頬を掻きながら言う。
「そういや俺、昼飯食ってなかったなって……いい歳して熱中しすぎたな」
「わっつ!? だ、大丈夫なのですか少佐!? わ、私のことは良いから早く何かを食べて下さい! 少佐が死んだら私困ります!」
「いや、人間は昼飯抜いたくらいじゃ普通は死なねえぞ」
「何か食べてきては? 待ってますよ?」
「一人で?」
「う……が、我慢します」
「せんでいい。目を離した隙に誘拐されちゃ叶わん」
「工作員を警戒していらっしゃるので? 今時、誘拐とか古くさいです。リスクを掛けて使えもしない情報を引っこ抜いたのでは間が抜けています。公共の情報を黙々とかき集めては分析に掛けたり、重要人物の家族の知り合いの行きつけの居酒屋の主人と世間話をした方が、ずっと有用な情報を得られるもんです」
「いや、そういうあれじゃなくてお前がその……ええい、くそ。いいから帰るぞ」
「すてい! 引っ張らないで下さい!」
夕暮れの街を手を牽かれて歩いて、私は少佐とバイクを置いている場所へと戻る。
その途中、きょろきょろ、と街の様子を私は見渡す。
「何だ。何を探してるんだお前?」
「こういう場合、途中に露天があるものです。そこで私が立ち止まってじっとリボンを見つめていると、少佐が何も言わずにそれを買ってくれるという展開が」
「露天なんて出てるわけねえだろ」
「ふぁっきん! 少佐はロマンスを介さない人ですね! ここでリボンを買っておけば、二十年後辺りに再会したとき、白髭を蓄え杖を突いた老いた少佐の前に現れた私のツインテールに、古ぼけたリボンが結ばれているというドラマチックな展開が」
「二十年後なら、俺まだぎりぎり四十代だろうが。なんでよぼよぼの爺さんにされてんだよ。ふざけんな」
ちょっと呆れたようにこちらを見下ろす。
「……というか、お前は二十年後もあの髪型を維持するつもりか?」
「もちろん。私は永遠にツインテールの金髪美少女のままなのです」
「成る程。そうやってガワだけ美少女の痛い年増が完成するわけだ」
「何てこと言うんですか! ろまん! ろまんです! 美少女は夢と希望でできているんです! 年齢とか些細な問題です!」
「美少女だろうと何だろうと構わんが、お前も一応のところ中佐になるんだから、多少は威厳も身につけとけ。少なくとも、今の俺よりは偉くなるんだからな。部下に命令だってしなきゃならん」
「そしたら少佐のことも顎で使えますね」
「舐めんな。俺も昇進してむしろお前を顎で使ってやる。お前の言う二十年後とやらは将官にでもなってワイン片手にソファの上でふんぞり返ってるからな。見てろ」
「せいぜい期待してます」
露天は最後まで見つからなかった。
ヘルメットを被ってバイクに乗り込み、料金を払って駐車場を出て、来たときと同様に検問所をくぐって、基地のあるメガフロートへと続く海道を走る。
合成されたエンジンの音を聞きながら、ちょうど、夕暮れの太陽が海の向こうへと沈んでいくところを私は見て、歓声を上げる。
「少佐、少佐。すごいですよ真っ赤です!」
「そりゃ夕暮れだからな」
少佐がヘルメットの奥で笑う。
「――あ」
と、私は不意に思い付いて少佐に言う。
「そう言えば、前に言いましたね。機会があったら少佐に歌を歌ってあげます、と」
「『デイジー・ベル』?」
「そうです」
と言って、私はヘルメットを脱ぐ。
海から吹き寄せる風に吹かれて、髪がばたばたと煽られて背後になびいていく。
「おい何やってんだお前」
「いやまあ歌うのに邪魔なので」
「安全第一は」
「いいじゃないですかちょっとくらい」
「一応言っとくが、それ一番危険な思考だからな――ちょっと待ってろ途中の退避スペースに止めるから」
「いえいえ、必要有りませんよ少佐。この、バイクに二人乗りしているドラマチックな状態で歌うことで良い雰囲気が生まれ――わぷっ!?」
開いた口の中に髪が潜り込んできて呻く私に対し、そら見ろ、と少佐は告げてバイクを途中の退避スペースへと停める。
その後で、自分のヘルメットをむしり取ってぞんざいにハンドルに掛け、それから私のヘルメットも取り上げ片手に提げて、ハンドルへともたれ掛かるようにして、
「さ。それじゃ聞かせて貰おうか」
「む。ハードルを上げてくれますね……」
「安心しろ。聞いてんのは俺だけだ。例えお前の歌が下手くそだろうと、せいぜい俺に笑われるだけだ」
「はんっ! 舐めないで下さい少佐――こう見えて私はですね。初期教育時代にはブリーダーから『貴方の歌は本当に独特だね』と褒められたこともあるのですよ!」
「ああ、そうか……そういう……」
「何テンション下げてるんですか少佐! いいですか! 1・2・3から入りますからね! 掛け声よろしくお願いします!」
「おい待て。ちょっと待て」
と、ソウザキ少佐。
「その曲、絶対そんなノリノリなテンションの曲じゃねえだろ」
「いえいえ少佐。個人的に、この曲はもっと明るくノリノリで歌うべきだと私は考えています。なので、こう、ちょっとしたアレンジを」
「ああ、そうか……そういう……」
「少佐! 声が小さいですよ! いいですか、大きな声で1・2・3です!」
「へいへい……1・2・3」
「もっと大きな声で!」
「1・2・3!」
「リビドーが足りません! 魂を込めて!」
「じゃかあしい!」
ソウザキ少佐は私に怒鳴り返し、それから、腕を振り上げやけくそ気味に叫ぶ。
「――イェーイッ! カモォォォンッ! デイジィィィッ! フィィィアゴーっ! わんっ! つうぅっ! すりいいいいいいいいいいいいぃっ!!」
たった一人の観客である少佐の叫びを受け。
海の向こうへ沈んでいく太陽の赤を背にし。
私は息を大きく一つ吸う。その振りをする。
――すうっ、と。
呼吸を必要としないこのOUV機にとって、本来、必要のない行為。
そもそも歌うという行為も本来必要ない。
なぜって、そりゃあOUV機体に内蔵されたRAIを起動させれば、自動的に私の喉を使って歌ってくれるようになっているからだ。それはダウンロードされている楽譜を私の声で完全に再現することを可能としている。さらには、楽譜が無く聴覚センサーの記録にあるだけの音楽でもそれなり以上に再現することを可能としている。そういうプログラムが入っている。
けれども。
その一連のプログラムを、私は使わない。
楽譜通り記録通りの歌声を作り出すことを可能とする、内蔵された有能なプログラムが自動で起動し――私の喉を拝借しようとするのを、逆に首根っこを押さえつけて黙らせる。
偽物の深呼吸が、潮風をはらんだ赤色の空気に溶けて消え。
その一瞬の後で。
私は歌い始める。
波の音を伴奏に。
喉の奥のスピーカーが鳴らす、合成された音声の連なりで。
曲名は『デイジー・ベル』。
ソウザキ少佐が、いつも歌っている一番有名な部分だけを。
古い映画の中で、狂ったAIが最後に歌ったのと同じ歌を。
現実の世界で、コンピュータが最初に歌ったのと同じ歌を。
ソウザキ少佐との二人乗りのバイクの後ろで、私は歌った。
完璧からは程遠い――というか勝手なアレンジで、ズレて狂いまくった歌声。
けれどもこれは、私の歌だ。
かつて世界で一番最初に歌ったコンピュータと同じく、私自身が鳴らす歌だ。
その歌声が。
太陽の赤色と共に。
海の中へと吸い込まれ。
「……デイジー」
星の煌めきが、夜の青色と一緒にひょっこりと顔を出す中で。
「だからそれ、そういう曲じゃねえだろ」
少佐は呆れたように言って。
けどそれから、こう続けた。
「……でも、もう少し聞きたいな。それ」
□□□
よく晴れた青い空の下。
白く輝く、滑走路の上。
格納庫の外に出され、太陽の光に表面をじりじりと焼かれる私の機体。
私のコックピットの中。
ソウザキ少佐が告げる。
「行くぞ。デイジー」
『いえす――いつでもどうぞ。少佐』
ぱちん、と。
彼が、スイッチを弾く。
それによって活性化する電気回路を通って。
私はエンジンへと命令を送り、エンジンが唸りを上げ始める。
滑走路を進み始める。
コックピットで少佐が無線越しに、管制塔とやり取りを交わす声。
そして。
加速する。
後方へと流れ去っては消えていく360度の景色。
加速していく。
粘度を帯びる周囲の空気。
加速していった世界の中。
私の機体が今。
加速していく世界の中で機体の翼が空気を捉えて。
その瞬間。
――重力を忘れる。
死角の存在しない360度の視界。
遠くなっていく地面。
遥か向こうの地平線。
近づいてくるのは雲。
私の機体が、今、空を飛んでいる。
「デイジー」
と、コックピットの中で少佐が私に告げる。
「ようこそ。空へ」
私たちは空を飛んでいく。
最初のHAIパイロットの一機である私は。
最後のエースパイロットである少佐と共に。
ほんの束の間であっても。
私たちは二人で、青い空へ向け飛んでいく。
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