第一章 飛べない戦闘機は
エピローグ2
制空権を握ったものが戦争に勝利する――そういう時代もあった。
今は違う。
別に、戦闘機が必要されなくなった、というわけではない。どれだけ兵器が発達しようと、陸地には歩兵や戦車が必要で、海には艦船が必要で、もちろん空にも戦闘機が必要だ。どれだけ時代が変わって定期的に不要論が囁かれようと、それは依然として戦争に必要な要素だ。
ただ、より重要な要素が今はある。
それだけのこと。
定時連絡の時間。
サイバー攻撃対策で通常は完全に封鎖している回線の一部分だけを慎重に開く。
この青い空の、さらに上――静止軌道を飛んでいる軍の情報衛星を通して、作戦本部との通信を行う。同時に、作戦本部の作戦支援HAIが収集しているデータベースと同期して、情報の提供と取得を行う。
この瞬間は、少し緊張する。
なぜって、そいつが、対衛星兵器だの攻撃衛星だのスペースデブリだのによって撃墜されている可能性が割とあるため。
制宙圏。
それを巡る熾烈な争いによって、現在、静止軌道は地獄じみた状態になっている。衛星間での潰し合いもそうだが、それ以上にスペースデブリの量が尋常ではない。護衛もないただの民間衛星なんてものは一秒たりとも存在できないような空間で、軍事衛星群も、その全体の七割が対デブリ衛星で構成されているくらい。そりゃあ軌道エレベーター計画も頓挫するってものだ。
そんな空間で生き残っている戦闘型衛星の連中は当然ながら化け物じみた兵器であり、仮に宇宙で行使しているその武装を地球上に向ければ、都市の一つや二つは軽く壊滅させる程度の威力は持つ。
ついでに言えば、地球上の空をちんたら飛んでいる戦闘機の一機や二機、静止軌道上からでもピンポイントに消し飛ばせるくらいに極悪なFCSを搭載している。
そんな余裕は、連中にはないだろうが。
こちらの心配は杞憂に終わったらしい。
情報衛星は静止軌道上に健在で、本部との通信回線も無事に繋がる。
声。
『――こちら作戦本部〈オペレーター4〉。聞こえますか? 〈セントラル1〉?』
『こちら〈セントラル1〉。聞こえてます』
データベースとの同期を行いながら、私はオペレーターに返事をする。
『〈オペレーター4〉。状況に変化は?』
『ありません。こちらへ進行中の敵航空隊で確認できているのは現在1つ。そちらへは〈セントラル2〉が向かっています。貴方は引き続き哨戒を行って下さい』
そんなお決まりの言葉を交わす間に、データベースとの同期はすでに完了。それだけでオペレーターと行う会話とは比較にもならない量の情報を提出し、取得している。取得した情報をRAIに送りつけて分析させておく。
『了解。ところで――』
飛行経路を微修正しつつ、私は言う。
『――例の恋人との仲は、その後、どうなってますか。ミドリ少尉』
通信の向こう側、オペレーターが噴き出す。
それから、慌てたような声。
『ちょ――ちょっとデイジー中佐!? 私語は慎んで下さい! 規定違反ですよ!』
『大丈夫。そっちは今、夜ですよね? どうせ他の人は仮眠を取ってるんでしょう? なら大丈夫。バレなきゃどうってことないです』
『バレますよ! ちゃんと記録されてるんですからこの会話!』
その通り、この会話は全て記録されている。
そして、記録は一次データとして全て戦術HAIに放り込まれ、取捨選択され加工され圧縮された二次データとなって提出され、軍のデータベースに登録される。人間がそれを参照したい場合は、データベースを管理しているHAIに頼んで簡略化された三次データとして出力される。
そして、その作戦支援HAIは二次データを作成する際、この手の会話で軍規違反を見つけても基本完全スルーして処理を行う。わざわざ報告なんてしない。
なぜって、クーデターだの亡命だのを目論んでいるのでもなければ、この程度の小さな軍規違反はしょっちゅう起こっているのだし、そんなものにいちいち目くじらを立てていれば、そちらの処理にかかりっきりになって本来の業務に支障を来しかねない。RAIとは違って、HAIは高性能なので「そこはなんかこう、適当に処理しておいてくれ」という微妙な要請に応えることを可能とする。
『――だから大丈夫です』
『でも、もしものこととかがあったら、私のクビが飛ぶんですけど……』
『そのときは私が貴方の上司に謝ります』
『余計ややこしくなりますよねそれ』
『だって寂しいんです。寂しいと私死んじゃうんです』
『すみません。貴方は中佐なんですから、もう少し発言に気を使って下さい……』
呻くような言葉の後――溜め息を一つ。
『……わかりました。ええ、わかりましたよ。上官命令に従います――彼とは、まあ、相変わらずですよ。まだちょっとこじれたまんまです』
『だから言ったでしょうミドリ少尉。さっさと相手の部屋に押しかけてしまえ、と』
『か弱い乙女にそんなの求めないで下さい』
『か弱い乙女? ははは、自分の三倍近い体重の人間を投げ飛ばした癖に、なかなか面白い冗談を言いますねミドリ少尉。貴方はどう考えても肉食獣です』
『やめて下さい! あれはちょっと飲み過ぎただけです! いつもはあんなことしません! 誰が何と言おうと私はか弱い女の子なんです!』
『いいからもう押しかけましょうよ少尉。ちなみに今は昔、訓練生だった頃、私はそれで上手くいきました。男性なんてちょろいもんです』
『ちょっと待って下さい。訓練期間中のHAIって子どもの姿ですよね?』
『そうです。当時の私は金髪ツインテールの美少女でした』
『ちょっとすいません憲兵にタレこんでくるんで、その人の名前教えて下さい』
割とマジな口調で言ってくるミドリ少尉。何やらどうも勘違いしているらしい。
『え、そんなの恥ずかしくて言えないです。いやもう、本当、激しかったです』
面白そうなので煽ることにした。まあ嘘ってわけでもない。なんたって、夜中まで容赦なく知識を叩き込まされたのだし。
『駄目ですちゃんと教えて下さい! 上官だろうと将軍だろうと知ったこっちゃないです! 人として――いえ、デイジー中佐の一ファンとして許せないです!』
『言い直さないといけませんでしたか?』
『一つ! デイジー中佐のためなら火の中海の中! 死も上官も恐れるな!』
と、割とマジな勢いで言ってくるミドリ少尉。この会話、記録に残るんだが大丈夫なんだろうかと私は思う。まあこの会話を上官に対する反逆行為だと見なすことができるHAIがいるなら、そんな間抜けはとっくにセメタリー行きだと思うが。
からかい過ぎてもあれなので、私は言う。
『冗談ですよ――部屋を尋ねたのは本当ですが、そういう色恋沙汰ではないです』
私はくすくすと笑ってみせ、「もぉ」とミドリ少尉が言う。頬を膨らませている姿が容易く想像できて、貴女も貴女でそれは少尉としてどうなんだという気もする。
『中佐は人が悪いです』
『私はAIです』
『でも、もし本当に中佐にそんな狼藉を働いた奴がいたなら、ちゃんと言って下さいね――有志による非公式団体である私たち〈デイジー中佐を遠くから愛でる会〉が総力を挙げて抹殺するので』
『やめて下さい。いろいろと。割とまじで
『でも、どういう人だったんですか。その、中佐が部屋に会いに行ったって人は』
『私のパイロットとしての教育を担当した方です。――有人機の、パイロット』
『有人機』
と、ミドリ少尉はとんでもなく奇妙なものを呼ぶように、その単語を口にする。
『正直、想像も付かないんですが――その、実際、人間に戦闘機なんて本当に飛ばせたんですか? 私たちの上にも元パイロットだったとかいう人がいますけど、私には、正直、作り話をしてるみたいに聞こえるんですけれど』
『さすがに、私たちHAIのようにセントラルを操縦しながら、同時に、ターミナル十数機を操作するような真似はできなかったと思いますが――ですがまあ、本当のことですよ』
『ちょっと信じられません。昔は、前線に自律兵器や遠隔兵器じゃなくて、生身の人間が投入されていたって聞きますが、それと同じくらい現実味がないです』
『そうですね。でも』
ほんの、二十年とちょっと前の――遥か遠い昔。
『本当に、人間が乗る戦闘機が空を飛んでいた時代があったんです』
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