第49話 ただのケンカ

「オラああああああああああああ!!!」


 ラウルが感情のままに、俺に向かって拳を叩きつける。


 だが、それは俺には届かない。動きがスローに見えるほどの敏捷になるスキル発動状態なら、こいつの攻撃を躱すことはわけない。基本大振りだし。


 激痛が走る右肩を押さえながら、俺はラウルの足を払う。

 ラウルはそれを飛んで躱すと、そのまま俺につかみかかろうとする。


 それを俺は躱す。その鼬ごっこだ。


 俺はニヤリと笑った。これなら、時間稼ぎは十分だ。


 ラウルのスキルの継続時間はもうすぐ切れるはずだ。それまでに、誰も倒させなければ、ラウルは元に戻る。そうなれば、俺が負ける道理はない。


「……っ!てめえはよお、昔からそうだよなあ!俺をバカにしやがってよお!」


 拳を振り上げながら、ラウルが叫んだ。


「俺が現役引退したのも、内心バカにしてたんだろ!?くっだらねえ理由で冒険者をやめた、臆病者だってよお!町の奴らだって、本当はそう思ってんだよ!」


 ラウルの拳が、俺の腹を掠める。


「……俺なんかが、冒険者以外で生きれるわけねえって!!」


 ラウルの攻撃を躱した拍子に、後ろにあった木に右肩がぶつかった。あまりの激痛に、俺は身体の動きが鈍る。


 そこに、ラウルのボディブローが突き刺さった。体中の力が抜け、息が吐きだされる。意識が飛びそうだ。口から血と吐瀉物がまろび出る。


 だが、倒れない。俺はラウルの髪を左手で掴むと、思い切り頭突きを叩き込んだ。


「…………!!」


 ぐらつくラウルの顔に、さらに左拳を叩き込む。利き手じゃないので力は十分にも入らないが、とにかくぶん殴った。


 ラウルは鼻血を噴き出しながら後ろによろめく。そろそろスキルの持続時間が切れるようで、身体が小さくなっていく。


もう少しだ。さらに押さえ込もうと、ラウルを掴みかけた時だ。


 ラウルの後ろに人影が見えた。そして、何か光るものも。


「…………ラウル!!」


 俺はとっさにラウルの後ろに回り込んだ。


「コバ!?」


 俺の腹に、短剣が突き刺さる。見たことのない短剣だ。


 そして、俺の目の前にいたのは、コーラル伯爵だ。


 どうやら気が付いたらしい。そして、コーラル伯爵本人も驚いた顔をしている。


 まさか、俺がラウルを庇うとは思っていなかったようだ。


「て……てめええええええええええええ!!」


「ひいいいいいいいいいいいい!?」


 ラウルが怒りの形相を見せ、コーラル伯爵は鼻水を垂れ流しながら後ろず去った。もう短剣の予備もないらしい。


「……やめろ!!」


 俺は刺されたまま、背中ごとラウルに体当たりをする。今度こそ、ラウルはよろめいて倒れた。


「コバ……!!」


「……お前を、人殺しになんかさせねえぞ!!」


 こいつは、冒険者たちは叩きのめしていたものの、誰一人殺してはいなかった。殺すつもりだったのは、コーラル伯爵だけだったのだろう。


 確かに、こいつのしたことは悪いことだ。だが、さらに罪を深くさせるようなことはさせたくない。


 やがて、ラウルの身体は完全にいつもの姿に戻った。


「……お、落ち着いたか……?」


 コーラル伯爵がその場に立ち呆けているのを、ラウルが睨みつける。


「ひっ…………!!」


「……失せろ!」


「ひいいいいいいいいいいいいい!!!」


 ラウルが叫ぶと、コーラル伯爵は慌てて森を駆け消えて行った。


 その様子を見ることもなく、ラウルは俺を木にもたれかからせる。


「コバ、しっかりしろ!」


「…………」


 俺はパクパクと口を動かすが、どうやら声が出ていないらしい。スキルの反動、刺された傷、砕けた右肩。そして真冬の森の中という環境。すべてが最悪だ。


「……ポ」

「ポ?なんだよ!」


「……コバ!!ラウル!?」


 雪の中を、ルーフェが松明を持って駆け寄ってきた。どうやら、避難は大方終わったらしい。


「ルーフェ……!!」


「何があったんだ!?っていうか、そのケガ……!!」

「ルーフェ!コバが……コバが……!!」


 ラウルは完全に動揺していた。ルーフェは俺の袋をまさぐると、勝手にスタミナポーションを取り出す。それだ、それ。


「コバ、ポーションだ。これを飲んで」


 そうしたいのはやまやまだが、寒さで口が開かなくなってきていた。


 その様子を見たルーフェは、一息にポーションを飲むと、俺の口を両手で開けて、口移しをした。


 ジワリ、と身体の芯が暖かさに包まれるような感覚がする。末端はすっかり冷えて感覚もないが。


「……コバもいったん避難場所に運ぼう。ラウル、頼めるか?」

「え、俺が……?」


「お前以外に誰がいるんだ!!」


 ぴしゃり、というルーフェの言葉に、ラウルは慌てて俺を抱える。


 そしてルーフェの案内のもと、俺たちは洞窟へと運ばれた。


***************************


「コバ!」

「コバくん!?」


 洞窟に着くと、レイラさんとマイちゃんほか、ギルドの職員、療養所の人たちがけが人の介抱をしていた。どうやら、屋敷の炎は収まったらしい。倒れていた冒険者たちも、みな運ばれている。


「コバくん、そのケガ……!」

「俺は……いいから。アンネちゃんは……!?」


「そ、そうだ、アンネ!アンネは!?」


 ラウルがあたりを見回すと、女性たちが囲っている部分がある。


「アンネ!!」

「……ラウル……!!」


 アンネちゃんは、上体を起こして横になっていた。顔色も少し良くなったように見える。だが、汗の量がさっき見た時よりも増えたような……?


「……ラウル。あんたに言っておかないといけないことがある」

「え、なんすかレイラさん?」


「……アンネちゃんね。ここで出産になりそうなんだわ」


「「…………えっ!?」」


「コバ、お前はこっちだ!」

「あなたも重症なんだから、自分のことに集中してちょうだい!」


 いや、めっちゃ気になること言ってたんだけど!そう思うが疲労で声が出ない俺を、ルーフェとマイちゃんが力ずくで簡易的に作られた寝床に運ぶ。


 もうろうとする意識の中、どうやらレイラさんの指示の下、出産の準備を行っているらしい。


 すごく気になるが、意識が飛びそうだ。息が荒くなり、汗が止まらない。同時に、身体が冷えていくのがわかる。


「傷もあるが、身体の冷えがひどいな……!」


 ルーフェはそう言うと、おもむろに服を脱ぎだした。俺の雪で濡れた装備もはぎ取り、そのまま密着してくる。マイちゃんも同様に人肌で俺を温め始めた。


「死ぬなよ……死ぬなよ……!」

「コバくん……がんばって!!」」


 人肌の影響か、少し意識が戻りかけてきた俺のところに、レイラさんがやって来た。


「生きてるみたいだね。ああ、喋んなくていい。ただ、これ咥えな」


 そう言って彼女が取り出したのは、布切れだ。


「……腹の短剣を引き抜くからね。舌噛まないように。あと、アンタたちはコバを押さえて。動くと傷が余計に開くから」


 レイラさんがそう言うと、ルーフェとマイちゃんが俺の上にのしかかる。そして、俺の口には布があてがわれた。


「いくよ」


 レイラさんはそう言うと、一瞬で短剣を俺の腹から引き抜いた。一瞬来るのが遅れるも、激しい痛みがすぐに俺を襲う。


 俺は布を咥えたまま思い切り叫んだ。目からは涙があふれる。


「コバ、しっかりしろ!」

「コバくん、大丈夫だから!暴れないで!!」



 二人の声と同時に、腹の傷に何かが染み込んでいく。レイラさんの持ってきた消毒液のようで、さらに痛みが走った。


 やがて、全身をめぐる痛みは激しさを潜ませ、脈打つような鈍いものへと変わっていく。呼吸をするたびに痛むが、耐えられないほどではない。


「……ひとまず落ち着いたみたいだね。あんたらは、そのままもうちょっと温めてやって。あと、コレ飲みな」


 そう言ってレイラさんは、グラスに入った飲み物を俺たちに差し出す。


「飲むと体温まるから。じゃあ、今度はアンネちゃんだね。あー忙しい」


 レイラさんはそう言うと、踵を返してアンネちゃんの方へと向かっていった。


 俺はそれを飲み干し、レイラさんの方を見ると、そのまま意識が薄れていった。


 ルーフェとマイちゃんが俺を呼ぶような声が聞こえた気もするが、それは気にならなかった。

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