第25話 「孤高」との闘い

 爆発の衝撃波は、かなりのものだった。正直、用法と分量を正しく使っていた自信はない。とにかく、たくさん使えば強いだろうと思って、ありったけ仕込んだのだ。


 余波だけでも眩暈がするが、それも次第に落ち着いてくる。スキルのおかげか、回復が早い。スタミナポーションを飲みながら、筋肉猪の様子を窺った。


 煙でよく見えないが、どうやら直撃したらしい。あたりには、焼け焦げた肉片が転がっている。クマの物か、それとも筋肉猪の物か。どちらかはわからない。


 俺の気配探知が働いた。奴はまだ生きている。二本の足で立ち上がっていた。とんだバケモノだ。


 やがて、煙の向こうから、筋肉猪が姿を現した。


 奴は、右腕が肩ごと吹き飛んでいた。そこから、赤黒い血が垂れ流されている。ほかにも、全身にやけどを負っているようだ。顔も焼け爛れているも、鋭い牙が奴が筋肉猪であることを告げている。


 今なら頭を狙えるか。俺は矢を放つが、やはり前足で止められる。だが、左目は見えず、右目も焼けてしまったろうに、よくわかるものだ。


 だが、奴も相当な深手を負ったのは事実だ。息を荒げて、右腕からは血が垂れ流されている。このまま放置していれば、出血多量で死ぬのではないだろうか。そう思った。


 だが、奴は甘くない。


 筋肉猪が叫ぶと、奴の全身がおぞましく動き始めた。それが筋肉が動いているのだということに気づくころには、肥大化したと言ってもいい力こぶが、全身から右肩に集まっていく。


 右肩あたりで力こぶが集まり、うごめいたと思えば、右肩からの出血は止まっていた。どうやら、筋肉の動きだけで血を止めたらしい。


 この時、俺はこいつの名前の真の意味を初めて悟った。


 筋肉猪。それは、ただごつい体をしているだけのイノシシではなかったのだ。


 こいつは、全身の筋肉を自由自在に操ることができる。それこそ、普通のイノシシや、人間以上に。


 だからこそ、こいつの名前は「筋肉猪」なのだ。


 つまり、こいつは……。


「スキル持ちか……!」


 今、その力をいかんなく発揮しているというわけだ。


 ……これ、まともな討伐隊でも勝てるか怪しくないか?


 そんな事前情報、どこにもないのだから。所詮イノシシとか思っていると、一瞬で殺されてしまうだろう。


 筋肉猪は、鼻をひくつかせ、耳を動かしながら、周囲を探り始めている。


 気を抜くことはできない。俺は、奴から距離を取ろうとする。


 だが、奴は、左の前足を、ゆっくりと上にあげた。そして、全身の力こぶを、左の前足に集中させる。


 丸太どころか、大木並みに太くなった左前足には、筋肉猪の全筋力が集まっていた。


 その力で、思い切り地面をぶっ叩く。


 俺を含む森林一帯が、先ほどのちゃぶ台返しとは比べ物にならない規模で、宙へと舞い上がった。


「う、お、あああああああああああああ!?」


 回転する体のバランスをかろうじて取りながら、俺は奴の方向を見た。


 奴を中心として、森だった場所は跡形もなくなっていた。そこにあるのは、えぐれてむき出しになった土ばかりである。


 遠目ながら、奴の足に力こぶが集まっていた。

 俺に悪寒が走る。完全に気づかれたわけではないだろうが。咄嗟に短剣を構えた。


 筋肉猪は空高く跳躍した。そして、跳びながらも奴の力こぶが動き始める。それは、全身に満遍なく広がり、身体の大きさが3倍ほどに膨れ上がっていた。


 それほどまでに膨張した筋肉で、奴は何をしようというのか。


 すべての物体が落ちる中、一瞬、すべての時間が止まった。


 奴が膨張した筋肉を解放した瞬間。


 奴の周囲のすべての物体を、膨大な熱波が襲ったのだ。


 俺は、本当にすんでのところで、熱波の直撃を躱すことができた。これはもはや運に近い。


 近くに浮いていた木の陰に隠れ、奴との間に挟んだのだ。これが功を奏した。


 激しい衝撃波は受けてしまったものの、高熱の直撃は避けることができた。直撃した木には火が付き、次第に燃え始める。それほどの高熱だったのだ。


 とはいえ、衝撃波の威力は馬鹿にはならず。


 こちらも直撃ではないにせよ、身体の内側へのダメージが凄まじい。


 息もできず、受け身も取れずに、俺は地面へ落下した。土が柔らかかったおかげで、落ちた衝撃は死ぬほどのものではない。とてつもなく痛いけれど。


「がは……っ、ごほ……っ!」


 もはや気配を殺すことなどできずに、俺はせき込む。


 そして、その音を筋肉猪は聞き逃さなかった。


 奴は着地すると、こちらへ向かって真っすぐに歩みを進めてくる。


 完全に見つかった。


 だが、スキルが解除されたわけではない。その証拠に、まだ動くことはできそうだ。スキルが切れていたら、今ごろ反動で死んでいるだろう。


 動け。動け。呼吸を整えろ。回復することを意識しろ。


 俺は自分に言い聞かせて、無理やり立ち上がる。弓矢はさっきの攻撃で落とした。それに、どうせ見つかっている。なら、接近戦しかないだろう。


 俺は、短剣を取り出して握った。幸い、握力も戻ってきた。


 呼吸も整ってきたが、おそらく内臓が傷ついているのだろう。鈍い痛みに、息が乱れる。落っこちた拍子にあちこちぶつけて、土塗れの血塗れだ。


 俺は、奴へ向かって、歩を進める。互いに、その距離は近い。


 とうとう、奴の前足が届く距離に来た。


 奴の顔を見る。どちらの目もつぶれているようだが、こちらをまっすぐ見ているように感じた。


 奴の左前脚に、力こぶが集まる。


 燃える木々が落ちる中、互いに己の武器を叩き込んだ。


 左前脚が突き出され、衝撃波で後方の土が吹き飛ぶ。


 俺は、その蹄を躱し、そのまま腕に短剣を突き刺した。


 そのまま切り裂こうとするも、すぐに滑りは止まる。俺が短剣を手放すと、短剣は筋肉にへし折られた。


 予備を取り出して、奴の腹を切り裂く。突き刺せば使い物にならなくなるので、浅くとも切り傷を入れていく。


 懐の俺を吹き飛ばそうと、後ろ脚に力こぶができる。それがスキルの前兆だ。この攻撃は必殺だ。まともに食らうわけにはいかない。


 突き出された膝蹴りを回転していなす。衝撃で治ったアバラにひびが入るのがわかる。おまけに傷ついた内臓にもダメージ。かすっただけでこれだ。俺ののどに血が溜まる。窒息するわけにはいかないので、さっさと吐き出した。


 俺はそのまま構わず、筋肉猪に切り傷を入れていく。こいつはかなり出血している。なら、もうすぐのはずなんだ。


 俺は、無我夢中で奴の攻撃を間合い内で躱しながら、短剣で斬り続けた。


 攻撃の余波だけでも、ぶっ飛びそうになるが、構わない。短剣が血でべっとりとなり、使い物にならなくなると、切り傷に突き刺して新しい予備の短剣をふるいまくった。


 持ってきた短剣は、全部で6本。その内、1本は投擲に使い、5本の短剣で超接近戦を続ける。


 そして、最後の短剣がいよいよダメになるかと思われた、その時。


 待っていた瞬間が訪れた。


 とうとう、筋肉猪の動きが止まった。


 それどころか、身体がぶるぶると痙攣している。力こぶを作りたくても、作ることができない。


 たどたどしい足取りで後ろによろめき、とうとう膝をついた。


 そして、吐血。赤黒い血を、盛大に吐き出した。


 俺は、そこでやっと、一歩下がって、攻撃の手を止めた。


 筋肉猪は、そのまま前のめりになって倒れる。


 血を止めていた右肩から、ふたたび出血するようになった。


(……やっと効いてきたか……)


 奴の返り血と自分の血で、俺はすっかりべとべとの顔をぬぐった。


 すべての短剣に、毒を塗っていたのだ。


 短剣での攻撃は、接近戦になる。そして、単純な攻撃だけでは、奴に致命傷を与えるほどの筋力は俺にはない。


 なら、どうするか、直接攻撃以外にも、奴にダメージを与えるしかなかったのだ。


 とはいえ、こいつは頑丈で、普通に刺しただけでは、筋肉の動きやら身体の抵抗力やらで毒が回るのもかなり時間がかかってしまう。


 それなら、弱らせてからでないと効果がない。そのために、弓矢で距離を取りながら、何とか奴への攻撃の隙を見出したかったのだ。


 そして、クマの死骸を利用した爆発は、奴に十分にダメージを与えることに成功した。その後の攻撃は予想外だったが、どのみち接近戦にはなる予定だった。

 あとは互いの体力勝負、というところだった。


 想定以上に自分もボロボロだが、結果として作戦はほぼほぼはまったわけだ。


 もう正直ぶっ倒れそうだが、このまま放置して回復しないとも限らない。


 とどめは、きっちり刺さなければ。


 俺は筋肉猪が力こぶを作っていないか用心しながら、奴の眉間に短剣を向けた。

 

 筋肉猪は、口から血を吐きながら、うなり声をあげている。


 力こぶを作ろうとしているが、作る力は残っていないらしい。


 最後の声は、怒り、悲しみ、あるいはそのいずれかでもないものなのか。


 スキルが切れてしまうので、その意図をくみ取ることはできない。


 だから、これはただの独り言だ。


「……じゃあな。マジで強かったよ、お前は」


 最後の一刺しで、最後の短剣は使い物にならなくなった。

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