ピース 

永瀬鞠

 


「ねえ、もしかして2組の希里ちゃん?」

 昼休み、高校の目の前のコンビニの冷蔵コーナーで立ち止まり、コロッケパンと財布を片手に抱えながら、ミルクティーにするかレモンティーにするかを迷った末にミルクティーを手に取ったときだった。

 隣で飲み物に伸ばされた手。その手の主から話しかけられた。顔を左に向けると、あたしと同じくらいの身長の女子生徒が立っている。

 真っ黒な長い髪が印象的だった。大人っぽい、美人だ。先輩だろうか、と思ったところで自分と同じ色のネクタイが目に入る。同学年らしい。

「わたしも希里っていうの。おんなじ名前だなーって思って見てて」

 彼女は切れ長の目をあたしに向けたまま言って、あ、わたし5組の長宮希里ね、と思い出したように付け足した。

「ああ、」

 そう言われてすぐに思い当たる。新入生の中に、自分と同じ名前の人がいた。

 知ってる、と続けようとしたのと同時、あたしの表情を見て察したのだろう、彼女が知ってる?と首を傾げた。

「うん。あたしも同じ名前の子がいるなって思ってた」

「ほんと」

 両思いだねえ、と笑った。淡々としているけれど心地のいい声。

 すこし視線を落として彼女の手元を見ると、サンドイッチとオレンジジュースをそれぞれの手に持っている。視線を上げると、希里ちゃんも同じようにあたしの手元を見ていた。すぐに視線が合う。

「ねえ、お昼だれかと約束してる?」

と、希里ちゃんが言った。

「ううん」

「じゃあ、ここからちょっと行ったところに展望台あるじゃん? 一緒にそこ行かない?」

 高校から歩いて数分のところに、小さな広場と小さな展望台がある。

「いいよ」

 迷わず答えた。


 会計を済ませて、希里ちゃんに続いてコンビニを出る。ぬるい風が吹いて、希里ちゃんの黒髪をなでた。やわらかく揺れてつやりと光ったその毛先を、自然と引き寄せられるように目で追った。

 ここから展望台までは並木道がつづく。木の枝葉がつくる日陰と、木と木の間にある日向が交互に並んで縞模様になった道を、お昼ごはんをぶら下げながら同じ歩調で歩く。

 春の代名詞の桜はもうみんな散って、自然にかえっていった。町はやわらかな青さにあふれている。

「髪、ずっと長いの?」

「ううん、3年くらい? 伸ばす前は希里ちゃんくらい短かったよ」

「へえ」

「意外?」

「意外」

「希里ちゃんはショート似合うね」

「そう? あたしずっと短くてさ」

「長くしたことない?」

「ないと思う」

「髪の茶色いのは遺伝?」

「うん、母親の」

「へえ」

 へえ、と言ってから、希里はもういちどあたしを見て、きれいだね、と言った。希里ちゃんの髪のほうがきれいだよ、と言うと、なにいってんの、と目を細めて笑った。


 日向と日陰を何回か通り過ぎるうちに、展望台に着く。中に入って螺旋の階段をのぼった。

 展望台の中は空気がひんやりと冷たくて、世界から切り離されたみたいに静かだった。一段、また一段と上るたび、地面が遠くなっていく。

「階段きついー」

「まだ半分しか行ってないから」

 がんばれー、きりー、おばあちゃーん、と数段上をのぼる希里が振り返る。そのうち笑いながらあたしの手を取って引っぱり始めた。

 おそろいの制服のスカートが揺れる。希里の手は、あたしよりも温度の低い手だった。

「希里の手、あったかいね」

「あつくない?」

「気持ちいーよ」

「希里は冷え性?」

「みたい。夏でも冷たくてさあ」

 きもちわるくない?という希里の言葉に、全然、と首を振る。

 あたしと希里のちがう体温が境界線を保ったまままじりあう。その感覚に鼓動が鳴る、と同時に、ひどく安心した。

 まどろむような心地になる。ゆるく繋がった手が離れてしまわないように、気づかれないくらいそっと指先に力を入れてみる。見上げた先には、希里のしなやかな背中。

 階段をのぼりきる。一気に視界が開けた。真昼の太陽の光が、あたしたちのいるこの場所を含めた町のすべてを明るく包んでいる。

「きれー」

「ね」

 小さな展望台の上には、あたしたち以外だれもいなかった。日の光に包まれたふたりきりの空間はあたたかかった。

 青い水平線が見える。その反対側には深緑の山並みが見える。あたしの生まれ育った町は見えないけれど、これからの3年間で少しずつ馴染んでいくのだろう町が目に映った。

 あたしたちは並んで座って、パンの包みを開けた。

「ここ、初めて来た?」

「うん。希里は何回か来てるの?」

「わたしもまだ2回目」

 まぶしそうに遠くを見つめる。その横顔をすきだと思った。

 ねえ、希里は彼氏いるの?

 問いかけようと、ふと頭に浮かんだ言葉を、少しだけ考えてからストローで吸い上げたミルクティーと一緒に飲みこんだ。砂糖の甘さとわずかな紅茶の苦みが、のどを通って流れていく。


 あたしたちは、昼休みが終わるぎりぎりまで展望台にいた。並木道をふたりで笑いながら走って高校に戻った。

 たのしくて、うれしかった。午後の授業をききながら、あたしは希里のことを考えていた。


 もうすぐ春がおわる。そうして、夏がはじまる。


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