第27話

 振り返ったセストの表情を見て、やはり何かあったのかなとエミリアは感じた。

 いつもなら普段はきつい印象の三白眼が、エミリアを見る時だけは優しくなり、瞳が蜂蜜のように甘く暖かな印象になるのに、今日は硬い表情のまま、微かに眉を顰めている。

 怒っているのかもしれないと思い、無意識に足を止めてしまったエミリアに苛立ったように、セストは立ち上がり自分から歩み寄ってきた。


「ひさしぶりだな」

「そうね。こんなに早くからどうしたの? 何かあった?」

「今日は休日なんだ」

「?」


 質問と答えがあっていない。

 何が言いたいのかわからなくてエミリアが首を傾げると、セストは幾分表情を和らげて、更にエミリアに近付いた。


「早く会いたかったが、さすがに朝食前では迷惑だろうから、この時間に来た」

「……用事があったのではなく?」

「用がないと来てはいけなかったか?」


 せっかく優しくなった表情が、またむっとした顔になってしまい、エミリアは慌てて胸の前で手を振った。


「違うわ。そうじゃなくて。こんなに早く来るから、何か起きたのかもしれないって心配していただけなの。私、今日帰れるのよ。もう帰っていいんですって」

「そうなのか? ……だが家に帰るんだろう?」

「家? ええ、そうね」

「バージェフにも顔を出す予定だったのか?」

「え? 家ってバージェフ……」


 ずっとバージェフ家の屋敷にいたために、つい家と言ってしまったが、本来の家はマルテーゼ伯爵家だ。だからセストが怪訝な顔をしているのだろうと、エミリアは言葉を言い直した。


「マルテーゼにはバージェフ家に寄った後に帰るわ。荷物もあるでしょ」

「……荷物はないぞ」

「え?」

「全部、伯爵家に送ったんじゃないのか? 全てなくなっていたぞ」

「えええ?! どうして?」

「マルテーゼの屋敷で暮らすんだろう?」

「そうだけど、バージェフにも行かないと畑だってあるじゃない。花嫁修業はどうするの?」


 これからも週の半分はバージェフ家にいることになるだろうとエミリアは思っていたし、もともとたいした荷物を運びこんではいない。ドレスなどはほとんどシェリルが用意してくれたものだ。それを実家に持っていく気などなかった。


「何も……知らない?」

「何を? 私の荷物はマルテーゼに送られたの?」

「くそっ。母上のせいか。気を利かせたつもりで余計なことを……」


 セストは額に手を当てて俯いた。


「もしかしてシェリル様が、荷物を全て実家に運び出してしまったの?」

「ああ、夕べひさしぶりに家に帰ったら、きみの部屋がもぬけの殻になっていた」


 それで不機嫌だったのかと、ようやくエミリアは理解した。

 なんの相談もなく、自分のいない間に婚約者が荷物を実家に運んで帰ってしまったら、それは別れたいと言っているようなものだ。


「ということは、きみが俺の傍から離れたがったわけじゃない?」

「そんなわけないでしょう」

「そうか」


 大きく息を吐きながら肩の力を抜いて、ようやく顔をあげたセストは、エミリアのよく知る優しいまなざしに戻っていた。


「駄目よ。それ以上近付いちゃ駄目」


 でも、喜んでばかりはいられない。さすがにエミリアもセストの行動には慣れている。口元に楽しそうな笑みを浮かべた時は要注意だ。


「なぜ?」

「ここは建物の中から丸見えだからよ。あなたは目立つの」

「じゃあ帰ろう」

「帰るけど荷物を持って来ないと」

「誰かに後で運ばせる」


 そう言われてしまうと反論が出来ない。この場でこれ以上話をして目立つより帰った方がいいだろう。

 エミリアは頷いて、セストと正面玄関前に停めてある馬車に向かうことにした。


「腕を掴まなくても逃げないわよ」

「触っていたいだけだから気にするな」


 こういう時、普通はエミリアがセストの腕に手を添えるのではないだろうか。セストがエミリアの腕を掴んで歩くと、連行しているように見える。

 それでもようやくセストに会えたのだ。こうして肩を並べて歩けるだけでも嬉しい。

 

「セスト。あなたに話しておきたいことがあるの」


 だからこそ、この期に及んでまだ迷っているから余計に、早く話さないとどんどん言い出せなくなる気がして、エミリアは歩きながら話し始めた。


「話? どんな?」

「あの……えっと……」


 言い辛そうなエミリアの顔をちらっと見て、セストはすぐ前に視線を戻した。


「馬車の中で聞こう」

「……ええ」


 正面玄関のすぐ横に、見慣れたバージェフ家の紋章のある馬車は停まっていた。

 飾り気がなく黒に金色の紋章が入っているだけなのだが、大きく頑強に出来ているため、扉を開けると厚みに驚くくらいだ。

 その馬車を引く馬も大きくて筋肉質で、本気で蹴られたら人間など吹っ飛ばされてしまいそうなほどだ。


 馬車の横で待っていた御者は、急いで御者台に移動し、見慣れた警護の男性が扉を開けて出迎えてくれた。

 先にエミリアが馬車に乗り、すぐにセストがエミリアの背を押すようにして乗り込んできた。


「奥に座ってくれ」


 馬車の中も広いので余裕があるのに、セストはエミリアの隣に座り、ぴったりとくっついてくる。


「待って。警護の人がまだ」

「やつらは馬でついてくるに決まっているだろう」


 馬車の中でふたりきり。

 今まで、馬車でもバージェフ家の部屋でも、ふたりだけで過ごしたことは何回もあるのに、突然の展開に焦り、心臓がバクバクと跳ねて口から飛び出て来そうになっている。

 ひと月会えなかったからか、以前よりセストが格好よく見えるし、声すら素敵に聞こえる。

 これはやばいと壁に張り付いたら、ふたりの間の隙間を埋めるようにセストが横に移動して来て、壁とセストに挟まれて動けなくなった。


「やっと人目を気にしないで済む」

「ひい」


 きつく抱きしめられて、つい色気とは無縁の声が出た。

 嫌なのではなくて、緊張してしまってどうしていいのかわからない。


「エミリア?」

「ちょっと、あんまり耳の傍で話さないで。話……そうよ。話をさせて。全部吹っ飛びそうだから」

「吹っ飛ぶ?」

「ひと月会ってなかったから、ちょっと……だから……」


 腕の中でもがいてはみたが、嬉しい気持ちの方が大きくて表情が緩んでしまう。ついセストの胸にもたれかかって、肩に額を擦り付けて、はっとして顔をあげた。


「い、いけない。話さないといけないのに」

「そんな重要な話なのか?」

「そうよ。実は図書館でアダルジーザのノートを見つけたの。そこにバージェフ家の呪いを解くのに役に立ちそうなページを見つけたのよ」


 上着のポケットにつけたマジックバッグから、小さく折りたたんだ紙切れを取り出してセストに差し出す。


「…………」


 フローラが呪いを解けると言い出した時も、セストはたいして乗り気ではなかったので、今回もそうかもしれないとエミリアは予想していた。

 予想通りセストは、差し出された紙切れに目を落としたまま受け取らず、やがて探るようにエミリアの顔を眺めた。


「……何?」

「きみは俺の呪いが解けた方がいいのか?」

「それは……呪いの解き方がわかっている方がいいでしょう?」

「俺には必要ない」

「う……」


 そう言ってもらえるのは嬉しい。

 このままずっと今の気持ちのまま、永遠に自分だけを愛してくれる恋人は誰でもが夢見るおとぎ話だ。

 でも、そう言ってくれるセストだからこそ、やはり呪いは解いた方がいいと思うのだ。


「いずれ必要になる日が来るかもしれないわ」

「来ない。エミリアはうちの両親も、呪いを解いた方がいいと思うのか?」

「それは……おふたりは仲いいし、幸せそうだけど、そうならない人が出た時のために呪いの解除方法は知っていた方がいいでしょう」

「それはそうだな。でも俺は必要ない」

「セスト」

「それとも俺が嫌になったか?」


 抱きしめられたままなので、すぐ傍にあるセストの眼差しが不安に揺れるのが見えてしまった。

 セストにそんな顔はさせたくないし、なによりエミリアの精神によくない。あの精悍な怖いものなどなさそうな顔をしているセストが、エミリアにだけ見せる表情だ。きゅんと胸が痛くなり手で押さえて俯いたら、セストの肩に額が当たった。


「嫌じゃないし、私だって話すかどうか悩んだわよ」

「だったらこの話はもう終わりだ」

「セストは、私のこと信用していないの?」

「婚約者が攫われかけたすぐ後に会えなくなったからな。俺は忙しくて王宮に籠っていたから、一度くらいは顔を出してくれるかと思っていたんだが」

「私だってここに泊まり込んでいたのよ。研究所関係の錬金術師は、みんなここに泊まり込んでいたでしょ?」


 第三者から見たら立派な痴話喧嘩だが、本人達は真剣だ。

 べったりくっついたまま、鼻の頭が触れ合うくらい近くで言い合っている。


「軟禁されていたわけじゃないだろう。今日の分は作り終わったからと遊んでいたやつもいたそうだぞ。王宮に友人に会いに来ていた錬金術師もいた」

「え? 出かけてよかったの? 許可を得ないといけないのかと……」

「どんな職場だよ。いや、わかった。エミリアだっていうのを忘れていた俺が悪い」

「だって、前に研究所にいた時は保護者がいないと外には出られなくて……ああ……子供だったからなのね。今はもういいのね」


 子供だったからだけではなく、エミリアの身を守るためでもあった。

 幼い子供が研究所に出入りすることはまずない。しかし優れた錬金術の才能を持つ子供を育てるため、アダルジーザが亡くなった後、彼女は研究所でしばらく生活していていたのだ。

 

「それは何歳くらいの話だ?」

「十歳とか十一歳とか」

「それは許可がいるだろうな」

「そうよね……」


 いろんなことがあったせいで忘れがちだが、まだセストとエミリアは付き合いだしてから半年経っていない。今はまだ、互いのことや付き合い方を手探りで模索している時期だ。

 そのタイミングでエミリアが襲撃を受け、急にひと月以上連絡を取れない日々が続いたうえに、帰宅したら荷物がなくなっていたのだから、セストがかなりの衝撃を受けるのも当然だ。


「ひと月も婚約者を放置したんだぞ」

「セストだって忙しいだろうと思っていたし……」

「そうだな。少しでも余裕があればもっと早く会いに行けたんだが、騎士団ふたつの後始末と犯罪者の自供のまとめ。王宮の新たな警護体制の見直し。やることがありすぎてランディさえまともに寝る時間も取れないのに、俺が王宮を抜け出せなかった」


 話しながらセストの顔がどんどん近付いてくる。距離を取りたくてその分後ろに下がろうとして、壁に後頭部がぶつかった。

 セストの言い分はもっともで、会いたいと思ったのなら、相談するなり連絡するなり方法はあったはずだ。


「ごめんなさい。私が確認するべきでした」

「悪いと思ってる?」

「思ってるわ」


 セストはそっとエミリアの手を取り、顎の下に手を当てて上向かせて、唇を軽く触れ合わせた。


「い、い、今……」

「これで許そう。いや、もう一回」

「話は終わっていないでしょ? 呪いを解くかどうかはセストに選択肢があるけど、解く方法があるに越したことはないでしょう?」


 もう一度口づけようとしたセストの口を両手で塞いで、エミリアは真っ赤な顔で早口で言い切った。


「わかった。見るだけは見てみよう」


 口を塞がれているのでこもった声になってしまっている。

 最後にいたずら心が芽生えて、セストが口を塞ぐエミリアの掌を歯先でわざと擦ったら、目を大きく見開いたエミリアは、バッという音がしそうな勢いで手を離した。


「な……何を……」


 エミリアの反応に気をよくしたセストは、紙の文字を読んで、エミリアの顔を見て、もう一度文字を読んでから紙をエミリアの手に握らせた。


「大変言いにくいんだが」

「はい?」

「この方法は祖父に聞いたことがある。息子達の呪いを解きたいとアダルジーザに依頼して、結局は無理だったそうだ」

「……はい?」

「これでは呪いは解けない」


 しばらく呆然とセストの顔を見ていたエミリアは、何回か瞬きした後、壁から背を離して座り直した。


「それが……この方法?」

「俺が聞いたのと同じだからな」

「アダルジーザが失敗したってこと?!」

「そうだな」

「そんなこと……」

「そりゃするだろう。彼女だって人間だ。完璧だと思い込まれたら気の毒だ」

「気の毒……そうね。子供だった私は、彼女は特別な人だと思い込んで、亡くなった時は信じたくなくて父をだいぶ困らせたのに、私ってばまだ同じことをしているのね」


 体の力を抜いて壁に寄りかかり、ため息をつく。

 よく考えてみれば、アダルジーザのポーションが完成していたなら、エミリアに出会う前にセストの呪いは解除されていただろう。

 アダルジーザの名前とセストの呪いが解けるかもしれないということにばかり目がいき、他のことを考えられなくなっていた。


「そういえばアダルジーザが言ってたことがあるわ。体の傷はポーションで癒せても心の傷は癒せないって」

「なるほどな」

「だけど、さんざん悩んだのよ。セストが心変わりするかもとか、黙ったままでいようかとか。でもそれじゃ駄目だって、話さなくちゃって」

「話したくなかった? 俺が心変わりするかもしれないから?」

「セストはモテるんだから、あなたの呪いが解けたら、アピールしてくる女性が山ほど押しかけてくるわよ」

「だったら呪いを解かなければいい」

「呪いで縛るのは卑怯でしょ?」

「エミリア」


 セストから受け取った紙を綺麗に広げ、話しながら今度は二つ折りにしてどんどん小さくしていくエミリアの手をセストが掴んだ。


「卑怯も何も、きみが呪ったわけじゃないのに気にしすぎだ」

「そう……かな?」


 セストに引き寄せられ、エミリアはおとなしく彼の腕に収まり首筋に顔をうずめた。

 馬車の揺れが心地よく目を閉じたらすぐに、セストがそっと頬に触れてきて、その手を顎へと移動させた。


「待って。また……ん」


 さっきのように口づけされるのだろうと、顔を横向けて避けるつもりがセストの方が早かった。

 話していたために開いていた唇から舌を入れられて、エミリアは驚いて目を開けたが、セストの顔が間近すぎて再び目を閉じた。

 そこからはもうなすがままだ。

 親しい友人はエレナだけ、研究ばかりしてきたエミリアは、口づけというのは唇を合わせるだけのものだと思っていた。こんな風にされるということも、口の中に感じる場所があるというのも知らなかったのだ。

 呼吸がつらくなってきて、セストの背中を叩いてようやく彼が離れた時には、すっかり涙目でぐったりしていた。

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