第26話

 学園でエミリアを襲撃したメンバーや侍女として紛れ込んでいた者達は、取引を持ち掛けるとすぐにすらすらと自供を始めた。

 高位貴族の令嬢ですら戦闘能力があり、高級ポーションを擦り傷に使う国だ。戦おうなんて考える方が間違っていると思ったようだ。

 おかげで辺境伯家の人間は全員捕らえられ、辺境伯の軍は特に抗うことなく王国軍の監視下に置かれた。

 辺境伯は独立だのドンギアにつくだの言っていたが、領民はマールカ王国の国民として生まれ育った者達だ。戦争ばかりして貧しい国だと聞いているドンギア人になるのは嫌だと思っている者が多く、兵士達も進んで王国軍に協力した。


 また、今回のドンギアのやり方は、周辺諸国の怒りにも火をつけた。

 今までもドンギアの汚いやり方に不満は持っていたが、今回はやりすぎだ。王太子婚約者や高位貴族の御令嬢を拉致しようとするのは明らかな犯罪であり、ここで許せば、自国も同じ目にあうかもしれない。

 周辺国が協力し、いっせいにドンギアに攻め入ることになった。


 そうなると必要になるのがポーションだ。

 エミリアは特別待遇ではあっても国立錬金術研究所の一員なので、非常時には研究所に籠り、他の錬金術師と共に働かなくてはいけない。

 さっそく翌日から研究所に泊まり込んだ。


 一日のほとんどの時間をポーション制作に充てる毎日は、修行中の錬金術師には当たり前の日々だ。エミリアもそういう日々をずっと過ごしてきた。

 ただエミリアは作業が速いため、一日のノルマを達成しても時間がかなり余る。泊まり込みする必要などないくらいだ。

 ポーションには消費期限があるため、計画本数より多く作るわけにはいかない。そうなるとかなり時間が余るのだが、他の人達が泊まり込むのにエミリアだけ通いにしたり、自分の家でポーションを作るのは特別扱いになるので駄目だと言われていた。こういうところが国立研究所の融通の利かないところだ。


 それでエミリアは図書館に通った。

 ポーションをひたすら作り、それが終われば、ここでしか閲覧出来ない本を読む日々がひと月。以前なら実に充実している毎日だと思っただろうが、今は大きな問題がある。


「セストはどうしているのかしら」


 学園で突然プロポーズされた日から、ひと月も会わないなんてことは一度もなく、同居していた時は毎日会っていたふたりだ。突然会えなくなって、気にならないわけがない。


(王宮で襲撃があったのだから、後始末だけでも大変なはず。騎士団長はクレオとリーノのせいで処罰されるという話だったけど、そこにあの事件でしょ。引退になるんじゃないかしら。そしたら王国騎士団はどうなるんだろう)


 王太子婚約者の護衛は近衛騎士団の責任だ。王国騎士団と近衛騎士団の両方で責任問題が持ち上がってしまっているため、王宮内は大混乱になっているだろう。

 王太子が忙しければセストも忙しくなる。城に泊まり込みになりそうだと話していたが、ちゃんと食べて、ちゃんと寝ているのだろうか。


(いけない。読書しようと思っていたのに、全然読んでないわ。この辺の本は読み終わったから……)


 王宮図書館には及ばないが、ここの図書館も広く、国立錬金術研究所の名に恥じないだけの蔵書が、ずらりと棚に並べられている様子は圧巻だ。

 ただ項目別に分けられている本は、かなりジャンルに偏りがある。

 エミリアがよく利用するのは、錬金術関連と薬草関連だ。他にも歴史書や神話、心理学。占星術関連の本も豊富だった。


「あら、こっちは何かしら」


 目に止めた棚に書かれていた「呪術」という項目を見て、エミリアの心臓はドクンと大きく脈打った。

 バージェフの呪いについて、実はエミリアはあまりよく知らない。

 一度誰かに恋をすると他の人を愛せなくなるということは知っていても、いつ頃からそうなったのか。今まで、どんなことが起こって来たのか。呪いを解くためにどんなことをしたのか等、何も知らなかった。

 あまり細かく聞いてはいけない気がして、そういえばセストと呪いについてほとんど話したことがない。


「何かわかるかも」


 錬金術関連の本に比べれば、呪いに関する本はあまり数は多くはない。

 それでも年季の入った分厚い本や、外国語の本、誰かが研究結果をまとめたノートなど、いろんな本が並んでいた。

 それを片っ端からぱらぱらとめくっていた時、一冊のノートが目に留まった。


「え? この字は」


 見慣れた文字はアダルジーザの字だ。ノートの最後のページにサインもあるので間違いない。

 彼女が呪いについて調べていたなんて聞いたことがなかった。

 急いでノートを手に閲覧室に向かい、窓際の席に腰を下ろし、懐かしいアダルジーザの文字を手でなぞった。こんな偶然で見つけられたのも何かの縁かもしれない。


「えーと、呪いを解くポーション?」


 ページを捲り飛び込んできた文字を読んで、エミリアは文字の意味が理解出来ないかのように、ぼんやりとその場所を眺めたまま動けなくなった。

 なぜ気付かなかったんだろう。

 失った手足さえ治せる特級ポーションを作れるのなら、呪いを解除出来るポーションだって作れるかもしれない。いや、アダルジーザはすでに作っていたのかもしれない。


「もしかして、これって」


 パラパラとノートをめくり、指で行を追いながらバージェフという名を探すと、それは驚くほどたやすく見つかった。

 なぜなら、このノートはバージェフ家の呪いを解く方法を研究したアダルジーザの覚書用のノートだったからだ。

 王族とも親しかったアダルジーザが、バージェフ家の呪いを解く方法を捜すように依頼されても何もおかしくない。むしろ当然だ。

 そして彼女なら、絶対に何か見つけているはずだ。


「どうしてこう走り書きの字が汚いのよ」


 このノートは考えをまとめるためのノートだったんだろう。きっと他に、研究結果をまとめたきちんとしたノートがあるはずだ。

 丁寧に書けば綺麗な字なので、そちらのノートであれば読解作業など必要なかったのに、走り書きは汚いうえに書き足したり消したりしている箇所もあって、文章の意味を理解するのに時間がかかる。


「…………あった」


ノートの最後の方に、バージェフ家の呪いについての考察と、解き方について書かれていた。


(呪いが……解ける)


 鼓動が早くなり、眩暈がしそうだ。

 これでセストの呪いが解ける。もうバージェフ家は子供が生まれるたびに、不安を抱える必要はなくなる。

 それなのに。


(……なんで)


 フローラが呪いを解けると言い出した時、エミリアは迷わずに呪いを解くことを了承した。

 普通のカップルと同じになるだけだ。

 将来セストの気持ちが他の誰かに移ってしまうとしても、それは誰にでも起こりうる話であって、呪いで繋ぎ留めておくよりずっといいと思っていた。

 でも今は、せっかく呪いが解けるかもしれないというのに、気持ちが重く沈んでいく。なんで見つけてしまったんだろうと後悔さえしていた。


 エミリアは確かに優れた錬金術師だ。付与魔法についても天才かもしれない。

 でもそれは、たいがいの男が恋人や妻に望む項目には入っていない。

 優しく美しく。社交性にたけて屋敷の女主人として優秀で……。

 そういうごく当たり前の、侯爵家の嫡男が妻に求める項目に関しては、エミリアには全く自信がない。


 セストがエミリアを捨てて、他の女性を愛するようになったら。

 今、エミリアに向けてくれるような優しいまなざしを、他の女性に向けるようになったら。

 本来の青い目に戻ったセストに、冷めた眼差しで見つめられたら。

 立ち直れないかもしれない。


「どうしよう……」


 このノートも時間をかければすべて解読出来るだろう。

 もしかしたらエミリアが相続した膨大なノートや資料の中に、もっとわかりやすくまとめたノートもあるかもしれない。


「ともかくわかるところだけでも写そう」


 持ち出し禁止の本は申請を出して許可を取る必要がある。

 そうする前にアダルジーザの荷物を整理して、他にノートがないか調べたい。

 申請を取るのも、セストに報告するのもそれから……。


 そこまで考えて、エミリアはテーブルに突っ伏した。

 そんなのはただの時間稼ぎだ。

 うしろめたさを誤魔化すための言い訳が欲しいだけだ。


(何をぐじぐじしているのよ。私らしくないわ。私はひとりでも生きていけるし、セストのことも信じてる。私のことを好きになるなんて物好きな変わり者なんだから、他の女性を好きになってならないわよ)


 ひどい言いようだが、そう考えると気持ちが落ち着いた。

 まずは解読出来る場所を書き写しセストに相談だ。

 用事がある時は帰宅してもいいと言われている。


 エミリアは急いでノートを書き写し、帰宅したい旨を研究所の所長に申し入れたところ、あっさりと翌日から好きな時に帰宅していいと言われた。

 すでに協力体制になった友好国へ渡す分のポーションは作り終えているそうで、もうさすがにエミリアが研究所を軽く見ていると誤解されることも、他の錬金術師が不満を言うこともないだろうと判断されたようだ。

 むしろ身分も実力も上のエミリアが真面目過ぎて、他の研究員が困っていたとはエミリアは知らなかった。


 しかし、そんなあっさりと帰っていいと言われてしまうと、それはそれで迷ってしまう。

 申請して三日くらいは許可が出るまでにかかるのでだろうから、その間にセストに話を切り出す方法を考えようと思っていたのだ。

 部屋に戻り荷物をまとめながら、エミリアは何度もため息をついてしまった。




 そして翌日、悩んでいてもしっかりと眠れて、しっかりと食べられるエミリアは、美味しく朝食をいただいて自分の部屋に戻る途中で、職員に呼び止められた。


「バージェフ侯爵家のセスト様が面会を希望されておいでになっています」

「こんな早い時間に? 何かあったのかしら」


 慌てて来客用の受付に向かうと、すぐに研究所の女子職員が応対してくれた。


「あの、私、マルテーゼ家の……」

「あ、マルテーゼ様。婚約者の方がいらっしゃいましたよ」

「あの方、婚約者なんですか?!」


 きゃあと歓声があがり、若い女子職員が三人も集まってきた。


「ではあの方がバージェフ様?」

「素敵な方ですね」

「いいなあ」


 研究所の職員をしているだけあって、女子職員は普段は真面目でお硬そうな女性ばかりだ。それに学園を卒業してから職員になるので、全員、エミリアやセストより年上だ。

 その彼女達に、こんな風に親しげに話しかけられたのは初めてだった。


(セスト、恐るべし)


 セストが女性に人気があることはわかっていたが、ここまでとは思っていなかった。これだけモテるのなら、呪いが解除出来るとなったら大勢の女性が押し掛けてくるのではないだろうか。

 ずんと心が重くなり、つい俯きがちになってしまう。


「あなた達いい加減にしなさい。失礼しました。バージェフ様は中庭においでです」

「……中庭?」

「はい。応接室にお通ししようとしたのですが、すぐに帰るとおっしゃって」

「そうですか。ありがとうございます」


 そんな急いで帰らないといけないのに、ここまで自分で足を運ぶなんてよっぽど重要な話があるんだろう。

 悪い話だったらどうしようと、ぐるぐるといろいろなことを考えながら、建物の外に出て中庭に向かった。

 研究員や職員の憩いの場である中庭は、隣接する魔道研究所と共通のスペースで、木立の中を散歩出来る遊歩道もあるくらいに広い。

 セストは中庭にはいってすぐのベンチに腰を下ろしていた。


(やっぱり私にはもったいない人なのよね)


 もてあましそうなほどに長い脚を組んで、背凭れに肘をかけて空を見上げている横顔は、いい加減見慣れているエミリアから見てもドキッとするほど魅力的だ。女子職員がはしゃぎたくなるのも仕方ないと思う。


「セスト?」


 振り返ったセストの表情を見て、やはり何かあったのかなとエミリアは感じた。

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