第23話
学園は翌日から無期限の閉鎖になった。
マールカ王国の学園は一月の半ばに新学年が始まり、十二月の半ばで終わる。
冬の期間、貴族のほとんどは温暖な地域にある王都に集まり、そこで冬の社交のシーズンを迎えるため、その前に卒業式が行われるのだ。
卒業すれば結婚式が待っているアルベルタは、卒業式のダンスパーティーを皮切りに、結婚式まで公式非公式合わせて予定がびっしりと詰まっている。
卒業式まで約二か月。学ぶ時間があるのは今だけだ。
そのためアルベルタは学園が休みになって出来た時間を、お妃教育の最後の仕上げに使用することになり、王宮に籠りきりになっていた。
他の学生達にしてみても、突然に学園に通えなくなるというのは気の毒な話だ。
身元の確認された生徒だけは、三日間だけクラスごとに学園に行き、警備の兵士がいる中で試験を受けたが、もうそれ以外では学園の建物には入れなくなってしまっている。
学園の上層部が一新されるため、新しい学長や教師が決まらないと学園を再開出来ないのだ。
卒業と同時に領地に戻ったり結婚したりする者の中には、友人と会う機会が減ってしまう者もいるだろう。社交界のしがらみの中では、学園と同じように接することの出来なくなる友人もいるかもしれない。
ならば生徒のために小規模な夜会を王宮で開催しようと、ランドルフが言い出した。
学生全員はさすがに無理なため、出席出来るのは最終学年とその下の学年だけ。身元のはっきりとした貴族の子供達だけだ。
「生徒達のためって言ってるけど、アルベルタのためよね」
王宮の広い廊下の端の方を歩きながらフローラが呟いた。
気持ちが通じ合ってからアルベルタにはべた甘なランドルフは、お妃教育で忙しいアルベルタが心配で何か出来ないかと考えていたらしい。
「でもありがたいのよ? 私達の学年は来年卒業ですもの。まだ相手の決まっていない私としては、この時期に学園に行けなくなるのはつらいの」
答えたのはエレナだ。
フローラもエレナも今日は夜会用の豪華なドレス姿だ。
肩やデコルテを出し、髪を結い、耳には大ぶりなイヤリングをつけている。
ランドルフ開催の夜会の前に、アルベルタの元に親しい友人で集まろうという話になり、夜会のドレスの上にショールや上着を着て、早めに宮殿で待ち合わせをしていた。
アルベルタから話が通っているようで、バージェフ侯爵家の控室まで王宮の侍女が迎えに来てくれて、こうして並んで移動しているところだった。
「まだ一年あるじゃない。焦ることはないわよ」
前を歩いていたジーナが振り返り、声を潜めて言った。
いつもエミリアの護衛をしている彼女も、貴族の令嬢であることには変わりない。結婚出来なくてもバージェフ侯爵家で雇ってはもらえるが、多少は気になるのだろう。
「この中で決まっているのは、エミリアだけよ」
「みんな、大変ね」
平民のフローラは結婚よりも仕事がしたかった。さんざん苦労させた母親が、バージェフ侯爵家で仕事をするようになって、ようやく平穏な生活が送れるようになったのだ。彼女も今と同じように、騎士団や警護兵の治療にあたる仕事を続けられることになっている。
今まで出来なかった分、親子のゆっくりした時間を持ちたいと思っていた。
「どうでもいいけど、きっと聞こえてるからね」
ジーナとフローラに挟まれた位置でエレナと並んで歩いていたエミリアは、前を行く侍女の背中を示した。
王太子妃になるアルベルタの友人の会話が、売れ残りになるとやばいという内容だったと噂になったら恥ずかしいし、アルベルタに申し訳ない。それでエミリアはずっと口数が少なくなっていた。
「平和な話題でいいじゃない?」
「聞かれても一番問題のない話題よ」
平和であっても、十七歳の令嬢にとっては重要な問題だ。
特にエレナとフローラは、今夜の夜会をエスコートしてくれる男性も決まっていない。
ジーナはエラルドがエスコートすることになっている。仕事だと本人は言っているが、まんざらでもない雰囲気だ。
「縁談はたくさん来ていたんでしょう? いい人はいなかったの?」
エミリアに聞かれて、エレナは煌びやかなドレスを摘まんでため息をついた。
「こういうドレスを着てお化粧を変えて、華やかになったおかげでモテているけど、本当は私、前のドレスのほうが好きなの。こういう明るい色は自分らしくないし、嘘をついているみたいだわ。それに、今は家では好きな服を着ていられるけど、結婚したら家でも明るい色のドレスを着なくてはいけないでしょう?」
「そんなことないわよ。私なんて、侯爵家では作業着を着ていることも多いわよ」
「エミリア、今の話の方が恥ずかしいわよ」
ジーナに突っ込まれて、エミリアは口を手で覆って慌てて前後にいる侍女の様子を伺った。
しかしさすが王宮の侍女というべきか。全くの無表情で、ただ前を向いて歩いていて、会話の内容など興味がなさそうだ。
廊下の先に警護の騎士が扉の前に立っているのが見えたので、あの部屋が目的地なんだろうなというのはエミリアにもわかった。
ただ宮殿は広く、エミリアが訪れたことのある場所はその中のごく一部で、この区画に来るのは初めてだった。
警護に当たっている騎士の顔が見分けられる距離に来て、見知った顔だということに気付いた。ちょうど同じタイミングで廊下の向こう側から、侍女に案内されてビアンカがこちらに歩いてくるのが見えた。彼女を案内している侍女の顔にも見覚えがある。
しかし、エミリア達を案内してきた侍女はふたりとも初めて見る顔だ。
おかしいな……と、エミリアは少しだけ違和感を感じた。
王宮内は用途によって細分化され、それぞれの持ち場が明確に決まっている。
王族やそれに準ずる人達に接することが出来る人間は、しっかりした貴族の家の出の身元のはっきりした者だけだ。
エミリアも王国の最重要人物のひとりになっているので、いつもだいたい決まった侍女が案内をしてくれていた。
休日や別の仕事が入っている時はもちろんあるが、ひとりも見知った顔がいないのは今回が初めてだ。
「どうぞ。ジョルダーナ嬢はすでに中においでですよ」
「まあ、お待たせしてしまったかしら」
警護の騎士が扉を開けてくれて、最初にジーナが中に入り、続いてエミリア、エレナの順で部屋に足を踏み入れた。
「夜会用のドレスはやっぱり華やかね。みんな綺麗だわ」
笑顔で立ち上がったアルベルタは、どことなくほっとしているように見える。
エミリアにはその理由がわかる気がした。
部屋の奥に控えている侍女はふたりとも、いつもアルベルタの傍にいる侍女達とは違う女性なのだ。
アルベルタはお妃教育が大変なのだから、少しでも早く王宮に馴染み、居心地よく過ごせるようにと王妃自ら侍女を選んだのに、他の侍女がアルベルタの世話をするのはおかしい。
それにこの部屋は、王太子婚約者への来客が来た時に使用する部屋とも違う。
「庭のお花が綺麗よ。見て、エレナ」
エミリアはエレナの腕を掴み、一直線に窓際に向かった。
窓の外には秋の花々が咲いている美しい庭園が広がっていた。見慣れた建物のある方角からして、普段使用している区画からはだいぶ離れているだろう。
それに廊下側だけではなく、庭側からの襲撃も警戒するのは当然のはずなのに、警護の騎士がひとりも見当たらない。
「バッグを取り換えて」
「……」
エレナは驚いた顔でエミリアをちらっと見たが、何も言わずにバッグを交換してくれた。
バッグと言っても、ハンカチや口紅を入れたらいっぱいになってしまうような小さなものだ。いつも何かあった時のために、いろいろ持ち歩きたいエミリアには全く役に立たない大きさだ。
でも令嬢は大きな黒い鞄を持ち歩いたりはしないと、シェリルに注意されているので仕方ない。
荷物が入らないバッグははいるように改造すればいいのだ。
「マジックバッグにしました。でも容量はあまりとれなくて、ポーション五本くらいしか入りません」
「とうとうこの子、マジックバッグを作り出したわよ」
「それだけの容量があったら、いくらになると思っているの?」
つい先日、王妃とシェリルに見せたらさんざん呆れられて、でも彼女達も欲しいと言い出してプレゼントする約束をしたばかりだ。
しかし、持ち物を入れておくのに一番困るのは舞踏会だ。
他の時は侍女や従者に荷物を持たせておけばいい。
しかし踊っている時は、傍に誰かを控えさせては置けない。時には従者は会場にはいれない夜会もある。
「たいていドレスには隠しポケットがついてますよね」
「そうね。ハンカチを入れたら満杯だけどね」
シェリルがうんざりと言い、王妃が頷く。
「そこにもマジックバッグを付けられます」
「どのくらい入れられるの?」
「ポーション二本くらいです」
「ポーションは単位じゃないのよ」
王妃に注意されたが、エミリアにはそれが一番重要だ。
そして今日も、もちろん準備は怠っていない。
「この部屋には初めて来たわ。アルベルタ用の客室はここになったの?」
「え? ここはバージェフ家の……」
「はい、そこまで。動かないで」
振り返ると、侍女のひとりがビアンカを拘束し、喉元にナイフを押し付けていた。
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