第24話

 侍女達にしてみれば、その後のエミリア達の反応は意外だっただろう。

 驚きで一瞬反応は遅れたが、誰ひとり悲鳴をあげず互いに目配せしあい、無言で襲撃者の次の言葉を待っていたからだ。


「余計なことをするなよ。この子を殺すわよ」


 警戒して、ビアンカを拘束する手に力が入ってしまう。

 捕まっているビアンカも、取り乱したりはしなかった。

 残酷だが、こういう非常事態では優先して守らなくてはいけない命がある。

 この場ではアルベルタの命であり、エミリアの命だ。

 他の全員が死んだとしても、このふたりが無事に生きてさえいれば、この襲撃は失敗なのだ。

 アルベルタの側近に選ばれてからずっと、ビアンカは自分の身に代えても彼女を守るようにと教育されてきたし、その覚悟は出来ていた。


「私はいいので……」

「黙れ」


 首に押し当てられていた刃物にほんの僅かに力が込められただけで、肌が切れ、首筋につーっと血が流れた。

 

「何もしないから彼女に怪我をさせないで。ここで無駄に抗ってはこちらの被害が増えるもの」


 いっそ叫ぶか暴れるかしようかとしていたビアンカを止めたのは、アルベルタの言葉だ。

 冷静なつもりでも、だいぶ視野が狭くなっていたらしい。呼吸を整えて室内を見回すと、友人達が無言で頷いてくれた。


「それがわかっていればいい。そこの錬金術師、バッグをテーブルに置け。妙な真似はするなよ」


 つい先日、襲撃者を撃退したばかりのエミリアは、だいぶ警戒されているようだ。

 エミリアがそっとテーブルにバッグを置くとすぐ、侍女のひとりがそれを手に取り、バッグを開けて中を覗いて眉を寄せ、中身をテーブルにぶちまけた。


「ただのバッグだ」


 エレナのバッグだから当然だ。ポーション五本分の容量のマジックバッグは今はエレナが持っている。

 それにしても扱いが乱暴すぎる。エミリアは、むっとした顔で侍女を睨んだ。

 仕方なく交換してもらったとはいえエレナが気に入っていたバッグだ。もっと大切に扱ってほしい。

 テーブルから落ちて床に転がってしまった小物も、エレナに返したいところだが、もう使いたくないと思うかもしれない。弁償しようと心の中で決めた。


「な、なんなのよ!」

「やめろ。時間が惜しい。全員外に出るんだ。そのバッグも一応持っていくぞ」


 アルベルタの背後から動かない侍女が、この場のリーダーのようだ。

 彼女の指示に従い、侍女はエミリア達に外に出るように促した。


 僅かに遠くの空が赤く染まり、気温が下がり始めている外に出ると、冷たい風が頬に当たった。人の気配はなく、風に揺れる木々の音と、誰もいない庭園に響く噴水の音しか聞こえない。

 侍女達に追い立てられるように庭園を横切り、石畳の小径を六人はほぼ一列になって進んだ。リーダーが指示をする以外、他の侍女達は無言で、歩くのが遅れたり道からそれそうになると肩をどつかれた。


「まだ行くの?」

「黙って進め」


 いっさいあらがうそぶりを見せずに静かに指示に従う令嬢達に、侍女達は違和感を感じていた。

 こういう場面でたいていの女性は、誰かと身を寄せ合おうとするものだ。

 初対面の相手であろうと普段は嫌っている相手であろうと、武器を構えている襲撃者に比べれば、ずっと安心出来る相手だ。団子のように固まろうとしてもおかしくない。

 でも彼女達は、互いに一定の距離を置いて歩いているのだ。


 アルベルタに先頭を歩かせるのもおかしい。

 王太子の婚約者を守ろうとせず、その後ろを少し離れてエレナが歩いている。

 そこからまた距離を置いて、エミリアとフローラとジーナが進み、最後に襲撃者と拘束されているビアンカという順番になっている。


 だが、襲撃者を恐れていないわけではないようだ。

 気丈に振舞ってもビアンカの手は震えているし、歩かせようとした時によろめいていた。

 エレナもショールを胸の前で掻き合わせ、我が身を抱きしめるようにして歩いている。それは身を守りたい時によく見られる姿勢だ。


 アルベルタは王太子妃になる者として、どんな時でも慌てないように教育されているのだろう。

 ジーナが護衛なのも、フローラの事情も襲撃者は知っていたので、このふたりが落ち着いていても不思議ではない。

 エミリアは天才となんとかは紙一重のなんとかのほうかもしれない。


 そう思えば、無理矢理ではあるが説明のつく状況なので、リーダーも何も言わず、目的地を目指していた。

 そこまで彼女達を連れて行けば、侍女達の役目は終わったようなものだ。その後に何があっても、彼女達の責任ではない。


「そこを左だ」


 やがて、植物の植えられていない地面がむき出しの広場に到着した。この辺りは、今はまだ使われていない区画なのかもしれない。 

 新しくガゼボが建てられているので、整備されている途中なのだろう。

 彼女達が到着すると、周囲の茂みの間から制服に身を包んだ兵士が十人ほど姿を現した。


「遅いよ。待ちくたびれたよ」


 続いて、ガゼボの中から三人の男が出てきた。


「こいつら……」


 フローラが怒りをあらわにしてエミリアの横に並んだ。


「あっちの中年がうちの母に毒を飲ませた医者で、こっちの女みたいな顔をしたやつが子爵との連絡係をしていたやつよ。ふたりともドンギア人だ」


 中年と言われたのは四十代の背の高い男だ。街を歩けば何回も似ている顔とすれ違いそうな、特に個性のない顔をしている。医者と言われたらなるほどそうかと納得するような、理知的で優しそうな雰囲気だ。

 連絡係という男はもっと若い。二十代半ばだろうか。

 顎が細く目が大きな整った顔をしているので、フローラは女みたいだと言ったのだろう。


「全員揃っているな。おまえ達は錬金術師がいればそれでいいんだろう? アルベルタは俺がもらうぞ」


 最後のひとりを見てエミリアは首を傾げた。どこかで見たことのある顔だ。


「何人も女を連れて行くのは反対だ。錬金術師だけでいい」

「ふざけるな。いつも偉そうにふんぞり返ったランドルフが悔しがる顔を見たいんだ。錬金術師は金にはなるが……」


 男が近付いてきたので、フローラがエミリアをかばって前に出た。


「俺の好みじゃないんだ」

「薄汚いつらでエミリアに近付くな」

「平民はこれだから嫌だ。顔がどんなに綺麗でも品がない」

「フローラ、彼を知っているの?」


 エミリアに尋ねられて、男とフローラが目を丸くして振り返った。

 驚かれて意外だったエミリアが周囲を見回すと、その場にいた全員がエミリアに注目している。


「知らないと……駄目な人だった?」

「お、おま……学園で会っているだろう!!」

「……そうね。たぶん」

「俺はカルリーニ辺境伯嫡男レミージョだ!」


 今まさに王太子妃と最重要人物の錬金術師を誘拐しようとしている最中に、堂々と名乗りをあげる犯人は珍しい。仲間であるはずのドンギア人が冷めた目で見ているのにも気づいていないようだ。


「ああ、あなたが。はじめまして」

「初めて会ったんじゃない!」

「そういえば先日私を襲った生徒は、カルリーニ辺境伯領に属する子爵や男爵の令嬢だったそうですね」

「……リコ、きさまが勝手なことをするから」

「名前で呼ぶな」


 女顔の男が物騒に目を細めると、レミージョはびくっと肩を揺らし愛想笑いを浮かべて目を逸らした。


「この兵士達はカルリーニ辺境伯領の兵士? これって反逆罪では?」


 おそらく護衛という名目で王宮に連れてきた兵士達なんだろう。

 王立騎士団や近衛騎士団とは違う制服は、エミリアの記憶にはないデザインだ。


「だからなんだ。我がカルリーニ家はマールカから独立する!」

「その前にこの状況は、反逆罪になりますわ」


 落ち着き払った声でアルベルタに指摘されたレミージョは、今度はづかづかと彼女に近付いた。

 

「そんなお高く留まっていられるのも今のうちだ。おまえは連れて帰って妾にしてやる。それか兵士の慰み者にした後で町に捨ててやろうか。最近ランドルフは、おまえに入れ込んでいるそうじゃないか。自分の婚約者の哀れな姿を見てどうするか楽しみだ」

「最低の野郎にはくず野郎ばかり近付くってことよね」

「黙れ! 死にぞこないが!」


 今まで母親と自分を苦しめた男達が手の届く位置にいるため、フローラは怒りのままに飛び掛かりそうな様子だ。


「時間がないんだ。いちいち相手にするな。その女が欲しいなら連れて行けばいい。我々は錬金術師を国に連れて帰れればそれでいい」

「ああ、彼女は連れていく。その平民はここで殺していくんだろう?」

「ふたり以外は片付ける」


 リコとレミージョの会話が聞こえているためか、兵士達はすでに武器を構えてエミリア達を取り囲む輪を縮めてきている。

 緊張感が高まる中、レミージョはアルベルタの腕を掴んだ。


「来い。城を出るぞ」

「やめて。いやよ、離して」

「抵抗するな!」


 殴ろうと手を振り上げた途端、レミージョの体が横に吹っ飛び、傍にいた兵士を巻き込んで生垣の中に飛び込んだ。


「なに?!」


 エミリア達が距離を保っていたのはこのためだ。

 夜会に出席するためにアルベルタは、ランドルフにもらった例の付与魔法てんこ盛りのアクセサリーをしていた。

 エミリアの付与魔法が強力だが、敵を選んで魔法を発動することは出来ない。本人を中心に発動するか、ある一定方向に発動するかの違いだけで、すべて範囲魔法だ。

 誰かが少しでもアルベルタに危害を加えようとすれば、所かまわず発動して巻き込まれる危険があるため、つい二日ほど前に実際に魔道具を使用して、安全な立ち位置や距離の取り方を練習したのだ。


「これは?」

「なんなんだ?」


 兵士達が吹っ飛ぶレミージョを思わず目で追って、急いで視線をアルベルタのほうに戻すと、彼女は一辺が二メートルほどのキューブの中に入っていた。

 半透明で夕陽を反射して輝くキューブはなかなか綺麗だが、これではアルベルタを連れてはいけない。

 でも付与魔法はこれだけではない。

 今頃、ランドルフの持つ魔道具に、アルベルタが危険な目にあっているという報告と、彼女がいるこの場所が通知されているはずだ。時間を稼げば、すぐに助けが来るはずだ。


「これもおまえのせいか」


 にくにくしげに言うリコにエミリアは晴れやかな笑顔を向けた。


「すごい上手くいって大満足だわ。あのキューブを破ろうとしない方がいいわよ。与えたダメージを三倍にして返す……」

「こっち来ないで!!」

「ぎゃーーーー!!!!」


 あたりに大きな悲鳴が響き渡り、エミリアは話をやめて慌ててそちらを見た。


「やだー!!」


 我慢が限界に来ていたのかもしれない。

 エミリアが渡したバッグの中身を掴んで、エレナが次々と周囲の兵士に投げつけていた。

 ポーション五本分の容量の中に、直径四センチくらいの球が何個入るかわからない。たぶん三十個以上入っているはずだ。

 何かあった時はこれを全部使い切る勢いで投げて敵をやっつけてと、訓練の時に使い方を教えたばかりだ。


 そのために周囲は阿鼻叫喚の坩堝になっている。

 前回と同じく、バッグの中身は手に取って見なくてはどんな魔法の込められた魔道具かわからない。エレナでは手に取ってもわからないかもしれない。

 炎が出たり、地面が抉れるほどの爆発が起こったり、小さな稲妻が落ちたりとバラエティー豊かだ。

 派手な音と威力で魔法が発動するたびに、動けなくなる兵士が増えていく。侍女のひとりも吹き飛ばされ、スカートのめくれた悲惨な姿で地面に転がっていた。


 そして騒ぎをきっかけに、同時にいくつものことが起こった。

 まずエミリアの背後でずっと機会をうかがっていたジーナが、ビアンカを拘束していた侍女に飛び掛かり、彼女の腕を掴んで投げ飛ばしたのだ。


「逃げて!」


 ビアンカは自由になれたが、相手はプロだ。修行中のジーナとは場数が違う。それに近くにはもうひとり、侍女が残っていた。


「このっ!」


 投げ飛ばされた侍女はすぐに身を起こし、再びビアンカを拘束しようと飛び掛かる。それを阻止しようと動いたのはエレナだ。


「やめてー!」


 叫びながら投げた魔道具が侍女の手に当たると、彼女の手が急に重くなり、立っていられずに地面に倒れ込んだ。


「エレナ、さすが! 重力魔法は使えるわね」


 エミリアは感心しつつ、自分も上着のポケットから魔道具を取り出そうとしたが、ジーナと駆け寄ってきた侍女との戦闘が始まったため、投げるタイミングが掴めない。ジーナにあててしまう危険が大きいからだ。


「ビアンカ、ジーナが怪我をしたらこれを使って」


 自由になったビアンカにポーションの瓶を押し付ける。たいていの怪我ならこれで治せる。


「え? これ……」

「高級ポーション」

「ひええ」


 特級ほどでなくても、貴族でもなかなか手を出せない高級品だ。

 両手でしっかりと瓶を抱えて、ビアンカはジーナと侍女の戦闘を見守った。


 その頃、フローラの方も行動を起こしていた。

 母親に毒を盛った医者だけは許せない。

 エレナの攻撃で怪我をして動けなくなっている兵士の剣を掴み、皆がアルベルタやエレナに注目している隙に医師に駆け寄る。

 その勢いのまま剣で突き刺そうとしたが、あいにくと医師に気付かれ、避けられてしまった。


「このガキが。あの時殺しておけば」

「おあいにくさま」


 剣を振り上げ肩口に切りつけた剣は、重さのせいで動きが鈍くなり、腕をかすっただけだ。地面に先端が食い込んだ剣は持ち上げるにも力がいる。


「邪魔だよ」


 剣に振り回されているフローラにリコが近付き、横っ腹にナイフを突き立てた。


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