第五章:もがれた翼、小児科チームの崩壊

この中に裏切り者がいます

 昼休み、裕太は卵とじ海鮮天丼をほおばっていた。海老やホタテ、鰆にイカなどの天ぷらを卵とじしたものだったが、卵とじは無くてもよかったな、という感想を裕太は抱いていた。横にいた水野は持ってきていたカロリーメイトを、昼ごはん代わりに摂っていた。水筒に入れたお茶で乾いた口を潤した。

 突然バタンと扉が開き、伊井が駆け込んで来た。


「あ、いたいた」


 伊井は入ってくるなり、二人の元へ駆け寄った。それから周りに人がいないのを確認してから、裕太と水野に近くに寄れ、と手で合図をした。


「何だよ、騒々しい」

「続報だ。お待ちかねの」


 裕太は、は? と答えた。


「情報がちょっとずつ明らかになってきた」

「情報ってぇ、この前言ってた『ただごとではない』情報?」


 伊井は目尻を尖らせて頷いた。


「院長室にとある人物が入っていくのを見たという人がいるんだ」

「へえ、その人物が来月いなくなるのか?」


 伊井はニヤリと笑った。


「そう思うだろ? 違うんだよ。その人物の名は勅使河原てしがわら氏」


 裕太は大きなため息をついた。そしてソファにもたれかかった。


「誰それ。全く知らないんだけど」

「裕ちゃんが知らないのも無理はない。この人はいわゆる『興信所』の分野では日本で5本の指に入るエリート中のエリートだ」


 水野がカロリーメイト、チーズ味の二本目を口に入れてから問いかけた。


「なんでそんな人が副都心総合病院ここに?」


 伊井が待ってましたとばかりに、口元を緩めた。


「興信所っていっても色々得意分野がある。浮気に強いところから、ストーカーいじめの現場を押さえるのが得意な人とか。その中でも勅使河原てしがわら氏の得意とする分野、それは身辺調査だ」

「そんなのが必要な何か気がかりなことでもあるのかね。で、ターゲットは?」


 伊井は止まった。


「それがわからない」


 裕太はあからさまに大きな息をついた。


「何だよそれ。どうせ全部お前の推測だろ?」

「だが副都心総合病院うちが本気だということは確かだ。なにしろ依頼料が馬鹿高いからな」


 水野が唾をごくりと飲み込んだ。


「どれくらいするの?」


 伊井は水野に耳打ちした。


「ええ!!」


 水野は口の中のカロリーメートを思わず吐き出しそうになった。


「そんなに高いの?」

「これでわかったろ? うちが本気だって事が。間違いなく何かが起きている。でもまだそれはわからない」


 裕太は歯にはさまったイカのかけらを爪楊枝でほじくった。


「お前、詳しいな。何でそんなこと知ってんだよ」

「うちの両親、地元じゃちょっと有名な病院の院長だから。うちの病院も昔お世話になったことがあるんだよ、彼に。とにかく敵には回さない方がいい人だ、って親父にはきつく言われてた」


 へえ、と裕太はどこか別の世界の話でも聞くように答えた。


「大事なのは誰の調査なのか。おおよその予想はついてるんだが……」


 伊井は口を閉ざした。それから何か考えを巡らせてから、怪しげな微笑みを浮かべた。


「……また何か分かったら教えるわ。ごめんね、情報遅くなって。じゃ!」


 そう言って軽くウインクしてから去って行った。裕太は、おえっと吐く真似をした。


「あいつも暇だな」

「でも誰なんだろぅ、その人って」


 水野はカロリーメイトの最後の一本を大事そうに口に入れた。


「身辺調査しなくちゃいけないってことは、穏やかじゃないな。何か犯罪がらみか、それとも……」


 水野の顔がゆっくりと青ざめた。


「ぼくたち、大丈夫だよね」

「へ?」


 ぼくたち。

 水野の言ったその響きに裕太ははっとした。あたかも自分とは関係のない話だと思っていたが、まだ自分たちではないと決まったわけではないのだ。わからない以上、可能性という意味ではいくらでもありうる。かといって何か疑われるようなことは思いつかない。


「なんで何も悪いことしてない俺たちが調べられなきゃいけない?」

「いやぁ、自分の気づかないところでやらかしていることだってあるでしょ? そのつもりはなかったとしても」


 水野は口にカロリーメイトを頬張り、リスのようなぶくーと膨れた口のまま止まった。顔は青いままだ。そんな水野の見ているとだんだん裕太も不安になってきた。


「いや……大丈夫っしょ。きっと」


 言いようのない、目に見えないモヤが体にまとわりつくような感覚を覚えながら、裕太は卵とじ海鮮天丼を食べ終えた。水野は持ってきていたカロリーメイトの残りはそれ以上食べずに持ち帰った。

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