天使のあいさつ
木沢 真流
プロローグ
記憶の片隅
部屋の明かりが落とされると、ケーキのろうそくがぼんやりと浮かび上がった。
「せーの、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー」
ろうそくの本数は4本、そのゆらめき越しにはまんまるとした二つの瞳。その瞳がバースデーソングに包まれ、きらきらと輝いていた。
「ゆう君、誕生日おめでとう!」
その言葉を合図に、裕太が一気にろうそくを吹き消す。一つが消えきらず、再度大きく息を吸い込んだとき。
「あ」
横から来た思わぬ風に、その一本が消えた。部屋は一瞬にして、明かり一つない暗闇で包まれた。
パチ、っと言う音とともに部屋の電気がついた。
「もう、ノンちゃん。僕が全部消したかったのに」
横には妹の希の笑顔があった。その瞳は満足げで、罪悪感のかけらもなかった。
母の美沙子が一つ苦笑いを浮かべると裕太の肩をぽんと叩いた。
「ゆう君、ノンちゃんはまだ2歳なんだから、許してあげて。ね?」
裕太は口を一文字に結ぶと、眉に皺を寄せた。
「もう、許さない! ノンちゃんの時は絶対僕が消してやる」
その怒りの表情も何のその、希は細長い目尻を垂らし、ニコニコしていた。
「ノンちゃんね、もうすぐ3歳なの! はっぴばーすでーするんだ」
美沙子がケーキを切るために立ち上がると、父の吾郎が二人の子どもの顔を覗き込んだ。
「来月はノンの誕生日だね、こんなに誕生日が来るなんて幸せだね」
希は大きく頷いた。それがあまりにも大きすぎたため、机に頭をコツンとぶつけた。そのまま首を上げると、希はうわーんと泣き出した。
「うわ、ノンちゃん大丈夫」
裕太は希に駆け寄り、ぶつけた額をさすった。そしていたいのいたいのとんでけー、と唱えていた。
「ゆうはノンが大好きなんだね」
希はさほど痛くなかったと見え、すぐに泣き止んだ。それでも裕太の心配そうな表情は変わらない。
「うん、ゆう君ノンちゃんの事だーいすき」
吾郎は微笑みを浮かべながら、うんうんとうなずいていた。
「そうか、だったら来月のノンのろうそくは消さないであげてな」
途端に裕太の表情は先程の悔しさであふれだしムッとした表情を見せた。しかしそれをぐっと堪え、力強くうなづいた。
「はーい、ケーキ切れたよ」
「ぼく一番おっきいのね」
「ノンちゃんもおっきいのー」
そこにはいかにもありふれた家族の一瞬があった。特に何か望んでいたわけではなかった。ただただ普通の生活があればいい、こんな生活がきっと続いて、普通にみんな大きくなって、学校に入って、もしよければ結婚でもするのだろう、きっとみんなそんな風に思っていた。
しかし来月、希に誕生日が来ることはなかった。
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