感応道交

 夢の羽根。妖精のように儚い光がつぶてとなって散っていく。リヴァはその光景を潤んだ瞳で見つめていた。すべては偽り。儚き夢心地の人の業。心に、心臓にぽっかりと大きな虚が空いたようだった。深淵に満ちる胸中から鎖が垂れる。リヴァの手が鎖に触れた。


「さようなら、メア……こんな風になっても、人は生きていくんだね」


 ずるずると鎖が引き抜かれていく。七色の鈴がぼとりと落ちた。罵声と、懇願と、呪詛と、あとなんだ。メアの金切り声が頭蓋を焼く。そんな悲劇にも心は動じなかった。無感動で、無価値。信じるものがすべて零れ落ちる。黒い沼がずぶずぶと。

 メア。儚い夢の象徴。夜に引っくり返って、ナイトメア。


「おはよう」


 薄い手術衣のようなものを着せられている。身体のあちらこちらに電極が張り付いている。左手首の点滴を雑に引き抜こうとして、力強い手に止められた。


「先に、しなければならないことがある」

「……天道龍征」


 ある程度の記憶障害が予測されていたが、龍征のことは覚えていたみたいだった。覚えていて幸いなのか、忘れていた方が良かったのか。それがこれから決まる。ナイトメアの絶望に押し潰されて、リヴァの瞳は曇りきっていた。


「僕は、結局誰なんだ?」

「お前はドライブ2、天乃リヴァだ」

「本当の名前を思い出せない」

「胸の内に浮かんだ名前が答えだよ」


 名前は、自分というものは、自らが探求するしかない。それでも、そこに寄り添うことは出来る。影響し合うことは出来る。人はそうやって道を歩んでいくのだ。道は自ら見出だすしかない。しかし、その道はきっと誰かの道と交わる。


「どうなった?」

「星獣の笛は特災本部で管理してる。原理を究明して星獣に対抗する切り札を編み出すってさ。ここ数年頻発した星獣事件で、多くの町や人が犠牲になった。その悲劇に終止符を打つためにみんな頑張っている」

「……そうか、そうなんだね。君、一人か? 光さんは?」

「なんだ、寂しいのか?」


 ぐっと言葉に詰まったリヴァがそっぽを向いた。ほんのりと紅潮した頬を龍征が指でつつく。


「やめいッ」

「先輩なら、お前の処遇会議に出席している。曲がりなりにも事件の首謀者という扱いだからな」

「そうか……まあ、そうだよね」


 力なくリヴァは天井を見上げた。不自然なほど真っ白で、だからこそ歪な継ぎ目が違和感を掻き立てる。しかし、それでもリヴァの心に何の感慨も生まれなかった。

 被害の大きさで考えれば、無罪放免とはいかないだろう。洗脳状態だったとしても、重罪は免れないだろう。極刑も考えられる。だが、このまま成り行きで死ぬのも悪くない。リヴァは静かに目を瞑る。そして。


「どうして――――こうなったかなぁ……」


 ぽつり。呟く言葉は空気に霧散していく。消えていく。影も形もなく。そんな陽炎のような振動を、龍征は確かに掴んでいた。


「後悔があるのは、信念があるからだ。そう言われたことがある」

「僕にはもう何もないさ。何もないだけが、たくさんあるんだ」


 人格を押し潰す絶望的な虚無感。記憶や人格を弄くり回された副作用。それに抗う意思を、しかし龍征は感じ取っていた。直接戦ったから、拳を交わしたからこそ分かるのだ。信じるものを勝ち取るために戦う。そんな覚悟のようなものを、少年は持っている。


「俺も、失敗した。だからそれを取り戻すために戦った。失敗は取り戻せる。だから」


 違う。そうではない。そんなありきたりな言葉を投げるのならば、誰でも良かったはずだ。どろりと濁った視線を向けるリヴァに、龍征は。


「お前の誇りと強さを、俺は知っている」


 濁った目に、一筋の光が走った。龍征の想い。リヴァの想い。剥き出しの感情をぶつけ合った現実は、あの鈴の音のように儚い幻覚とは違った。何もかもを取り零して、それでも残るものがあるのならば。それはきっと、本物だ。


「……僕には、もう戦うための理由がない。立ち上がるための力がないんだ」

「お前は強い。戦える人間だ。理由なら、いくらでも見つければいい」

「メアは、幻だった。僕は彼女のために戦ってきた。たくさん傷つけてきた。でも、メアはもういない。全部偽物だった。僕は、僕はなんのために……ッ!」


 透明な液体が溢れた。その両目から。光るものが流れていた。涙。天乃リヴァは泣いていた。心ない人形からは涙は流れない。どうしようもない感情の濁流。龍征は、人差し指でその涙を拭う。


「そうやって、何かのために戦ってきたことは、絶対に嘘にならない。させない。俺はバカだけど……でも、分かることもある。何かを信じて道を貫く。それが、自分を張るってことじゃないのか?」


 世界が、光輝いた。涙の向こう側の景色が、歪んで、たわんで、色が溢れていく。


「自分を張ることに、誇りを持てよ。中々出来ることじゃないんだからな」


 貫くこと。貫き通すこと。半端は止めよ、その言葉がじんわりと胸に広がる。リヴァは、龍征の手を握っていた。お互いの体温が伝わり合う。これが生きているということ。まさに今、天乃リヴァは本当の現実に戻ってこられたのだ。くてんと頭を預けるリヴァを、龍征は力強く抱き締めた。


「……君は、これからどうするの」

「俺は星獣被害を、なくしたい。傷ついた人や、悲しんでいる人がいたら真っ先に駆けつける。力になる。助てもらえるってのは、それだけで大きな希望なんだ」


 思い出す。ここまで戦ってきた道のりを。龍征一人だけの力じゃない。多くの人に助けられた。導かれた。だから今こうして立っている。誰かを救うことが出来た。その繋がりに、胸が熱くなる。


「じいちゃんがさ。俺のたった一人の家族なんだけど、星獣にやられて今ぶっ倒れてる」


 繋いだ手が強張ったのを感じた。リヴァの顔を見ると、瞳孔が見開いていた。呼吸が、浅く、荒い。それでも龍征は止めない。信じているから。


「じいちゃんは、俺を助けてくれたんだ。俺の盾になってくれた。崎守さんだって、俺を庇って大怪我をした。自衛隊の人たちだって、たくさん死んだ。先輩もまだ完全回復じゃないんだって」


 龍征の声も、震えていた。ずっと心の奥底で燻っていた魔物を吐き出す。


「どうして、俺なんかをって。俺にそんな価値があるのか。高校もロクに卒業できないバカに、命なんか張るもんじゃないだろ。俺なんかの盾にならずに、もっと助けるべき人たちがいるはずなんだ! 俺なんかのために戦う必要なんてないんだよッ!!」


 龍征も泣いていた。心の奥底。ずっとさいなまれてきた劣等感。心を縛る漆黒の茨を解き放つ。


「でも、違うんだよ。ようやく分かったんだ。みんな、それが信念だから、誇りだから戦ったんだ。そうしたい、そうあるべきだ。だからこそ逃げないんだ。それが自分を張ることなんだって、ようやく分かったんだ。だから、先輩がここを任せてくれて、本当に嬉しかった。お前を助けられて、本当に幸せなんだ」


 握った手を、より強く握る。涙で歪んだ視界に、リヴァの顔が見えた。こちらをしっかり見ている。呼吸も正常に戻っていた。小さな手が、震えながらも龍征の両肩を掴む。身体を離したリヴァが、龍征を見つめた。

 その表情は、まるで一筋の木漏れ日のようで。

 そんな柔らかい視線に、龍征は、震えた声で想いを吐露する。


「俺は、ちゃんと俺を貫けたかな……?」

「……龍征。君の強さは僕が保証する。スタードライブは、君の魂だ」

「俺の、魂……?」


 リヴァは、手を繋いだまま、龍征の左胸に手を置いた。ちょうど心臓の位置だ。とくん、とくん。その力強い心臓が、鼓動を結ぶ。


「――――ああ、やっぱりだ。君の肉体には、ドライブ3が生きている。その破片が、祈りが、ドライブゲンマが、血肉として循環している」

「どういう、ことだ……?」

「君が狙われた理由が、分かったよ。スタードライブは、ただの機械じゃない。ドライブゲンマと接続するための、変換アダプタでもあるんだ。ドライブゲンマとの親和性が増したから、あそこまで急激に強くなった」


 思い出す。最初の戦場。

 鎧の攻撃と光の超新星爆発に砕かれたドライブ3の破片は、龍征の肉体を食い破った。すっかりその破片は取り除かれたと思っていたが、どうやら想定外の事態が起こっているらしい。龍征は、ぽつりと呟く。


「そんな……俺の力は、ただの偶然だったのか」

「違う」


 リヴァは、きっぱりと言い切った。


「君が、戦い続けて、手を伸ばしたから、掴みとれた。僕も……同じだったから分かる。想えば、願えば、スタードライブは、応えてくれるんだ。それに、たくさんの人が君を繋いでくれたから、今の君があるんじゃないか?」


 龍征は、口を開いた。しかし、声は出ない。言葉にならない想いの奔流に、その身を捩る。飲み込んだ言葉は、その血肉に。龍征は、考えることが苦手だった。だから、想うままに顔を引き締める。


「ああ、その通りだ! みんながいて、だから俺の道は出来たんだ!」


 握った手が離れる。開いて、握って。お互いの拳がぶつかり合った。涙を振り払って、二人はにっかりと笑った。意地と男気の友情。繋がったものが確かにここにはあった。


「君の道に、僕の道を交ぜてもらってもいいかな。君と一緒に、戦いたい」

「応ッ!」

『うむッ!』


 ばっと二人の身体が跳ねた。光の声だ。謎のモニターが光学迷彩を解除した。勝ち誇った顔の光が大々的に映る。龍征もリヴァも引きつった顔でモニターを見た。やたら上機嫌な光の表情から察するに、一部始終をばっちり観察されていたのだろう。


『これで私の勝ちですね! さて、ドライブ2を作戦に組み込むことを許可願いたい!』

『……お前がここまでしたんだ。汲んでやる』


 ぶっきらぼうな、これは司令の声か。モニターの向こう側に隻腕の司令の姿があった。シーカー副主任の姿があった。そして、他のメンバーの姿もあった。揃い踏みだった。この会話も、全てが筒抜けだったのだ。ちなみに、龍征には全く知らされていない。


『はっは、しかし仲睦まじいものだ。一件落着して華々しい』


 拳を合わせたまま固まっていた二人が、勢い良く離れた。とても気まずい。リヴァが赤面しながら髪をくるくる弄ぶ。そんないじらしさ全開で龍征をちらちら見るが、そんな目で見られても困る。龍征も口をもにもにさせながら、頬を染めていた。


『愛い愛い。信じていたぞ。お前らが分かり合い、トライブ2が参戦の意思を示さなければ、スタードライバーズが三機揃うことは永遠になかったんだ。私の夢が一つ叶った…………ありがとな』


 その笑顔が、まるで太陽のようだった。澄んだ目線が、彼女の胸中を雄弁に語っていた。あまりにも綺麗で、あたたかくて、今度は別の照れで二人が赤面する。やはりこの人には敵わない。ドライブ1、大道司光。これからはこの三人で星獣に立ち向かうのだ。心強い、頼れる仲間たち。それがどれほどの希望になるのか。


『……ま、ドライブ2は彼がいないと起動すら危ういしねん★ 星獣の動きはしばらく沈静化するだろうけど、三人での備えはしときなさい』


 その声に、リヴァがふとモニターを見上げた。


(あれ、今のは…………?)

「それって…………なんだ?」


 龍征に話しかけられ、リヴァの動きが止まった。慌てた龍征がそのふわふわの金髪の上に手を乗せる。ふにゃりと表情をとろけさせたリヴァが、龍征の手に頭をすり寄せる。はっと我に返って、離れて、それから数秒呆けた。


「どうした!? 大丈夫か!?」

「――ああ……うん。なんだろう、なんだっけ。まあ、大丈夫!」


 どさくさに紛れて、もう一度、その力強い手に頭を擦り付けさせながら。胸に溢れる幸福感を噛み締め、リヴァははにかむように笑った。

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