一、「光の奔流と悪夢の輝き」
特災本部
続いた記憶は、不自然なほど真っ白な天井だった。
高く、深い。吸い込まれるような空白に怖気が走った。龍征は身体を起こそうとしてちりちりした痛みに顔をしかめた。全身包帯塗れでベッドに横たわっているのは、初めての経験ではなかった。過激な喧嘩の末に入院沙汰になったことが何度かあるのだ。
「うふん、調子はどう?」
野太い猫撫で声にさっきの倍の怖気が走った。彫りの濃い化粧顔が龍征を覗き込んだ。包帯少年が悲鳴を上げる。
「んもぅ、失礼しちゃう♪ でも、元気そうで良かったわん☆」
龍征の目がかっと見開かれた。なのに、その瞳はどこか虚ろである。表情を消して深淵なる天井を覗き込む。オカマが覗き込んできて目を逸らした。
逸らした先に、眼鏡をかけた銀髪の男がいた。ゆったりとした白衣を着ていても誤魔化せないほど細身で、いかにも研究者といった出で立ちだった。ちなみに、さっきのオカマは無駄に体格が良かった。壁に背中を預けてリラックスしていた眼鏡の男は、龍征の視線に気付くと、眼鏡をくいと上げて弾かれたように姿勢を正した。
「おや、天道龍征君だったね。無事で何よりだよ」
態度が白々しい。一見外国人に見えたが、それにしては流暢な日本語だった。
「君の身柄は、一時的に日本政府防衛省直下特異災害対策本部で預からせてもらっている。もちろん治療を目的に、だ。決して貴重なサンプルとかではないぞ。星獣の生態は僕たちの研究が最先端だが、それでも全てが究明されているわけではない。無論、いずれ解き明かしてみせるがね」
早口だ。早口で訊いてもいないことをまくしたててくる。
「申し遅れた。僕はジョン=シーカー、この対策本部で技術主任補佐を担当している。故郷のイングランドでケンブリッジ大学物理化学コースを次席で卒業、日本で言うところの専攻は宇宙科学だがね。その技術と腕を見込まれて日本政府にすっぱ抜かれたわけさ。僕は天才だから、どこもかしこも引っ張りだこ! いやあ、ケツカッチンは大変だねえ」
頼れなさそうだ、と龍征は感じた。それはそれとして、日本語は上手みたいだ。難しい言葉も知っている。珍妙な二人組に驚いていたが、龍征は最後の光景を思い出して身体を震わせる。
「そうだ! 町は、あの子は、無事なのか!?」
「落ち着け★」
無理に立ち上がろうとする龍征を指一本で押さえつける。謎の実力者オカマはベッド脇の端末をピコピコいじりだした。うおすげえ、という龍征の呟きにオカマは満足したようだ。映像レポートが壁に浮かび上がる。
「壁一面が特殊な電子パネルになっているんだ。主任の気まぐれが僕の技術と噛み合って生まれた超技術なんだぜ」
「主任?」
「……はぁい。桜花道、技術主任ちゃんでぇす★」
やはり、すごいオカマだった。隣のシーカーが何故かどや顔である。
「そんなことより……町の被害は深刻ねん☆ 復興の目処は中々立たなさそうだけど、人的被害は最小限、避難が迅速だったのが功を奏したのん♪ あの女の子もちょっちの火傷と擦り傷だけで、ほぼ無傷と言って良いわね☆」
貴方が守ったの、と桜はグーサインを上げた。龍征はほっとして息を吐いた。被害状況が淡々と流れていく電子パネルへの不安よりも、安堵の方が大きかった。一つの命を、救ったのだ。確かな実感があった。
「星獣の被害は深刻だ。物理的な被害はもちろん、生命災害の脅威は測り知れない。君は星獣についてどこまで知っているかね?」
訊いてもいないのにシーカーが喋り出す。語尾を微妙に変えているのはキャラを模索しているからだろうか。人を見下したようなインテリ笑顔に、龍征は露骨に嫌そうな顔をした。
「星獣、即ち星の獣だ。いつの間にか生まれた岩石の怪物ども。奴らは夜の内に衛星、即ち月だね、が発するエネルギー波、即ちドライブゲンマさ、を吸収する。そして、溜め込んだエネルギーを駆使して昼間に暴れ回る。昼は太陽の紫外線が強烈苛烈でドライブゲンマが地表まで届かないんだ」
シーカーはずり落ちてきた眼鏡を中指でくいっと上げた。
「僕は特殊な紫外線を天に張り巡らせて星獣のエネルギー補給を絶つ『夜の帳作戦』を提唱しているのだが……生憎と作戦本部が通過させてくれなくてね。予算上限なんてただの飾り、偉い人にはそれが分からんとです! そもそもドライブゲンマ自体も謎の多いエネルギーで、星獣を活性化させるだけに留まらない。加工すれば生命体の電気信号に干渉したり、星獣に対抗する特殊な武「シーカー」
桜が饒舌な主任補佐の肩に手を乗っけた。
「喋りすぎ」
「おおっとこれは失礼。主任殿続きをどうぞぉ!?」
上擦った声でシーカーが逃げ出した。龍征は半目でその光景を見ている。愉快な二人組は、オカマの方が序列は上みたいだった。主任と主任補佐と言っていたが、役職に留まらない上下関係を感じた。
「星獣に、対抗……?」
それは聞き逃せない言葉だった。龍征が想起するのは最後に見た剣士の姿。星獣と戦うための力が、あるというのか。桜は冷ややかな視線を主任補佐に投げた。眼鏡の優男は小さく身を縮こまらせた。
桜主任は唇に人差し指を当てて微笑んだ。薄気味悪い。
「……そんなことよりん♪ 貴方のお爺様のことだけど…………」
祖父の竜玄。
あの時代錯誤甚だしい猛者の心配など、最初からしていなかった。星獣相手でも引けを取らなかった偉丈夫。反撃を食らった時は少し焦ったが、龍征ごときが心配するなどおこがましいだろう。少年は本気でそう思っていた。だから心配などする必要がない、大丈夫である。
背筋に走る、妙な震えは、きっと気のせいだ。
「貴方のお爺様、天道竜玄さんは――今も予断を許さない状態よ」
☆
ふらつく身体で走りだそうとしたのを桜に押さえつけられた。有無を言わさない力に、病み上がりの龍征は抵抗出来なかった。主任は点滴の針を手早く外すと、背後に視線を投げた。ジョン=シーカーは表情を変えないままに親指を上げる。もう片方の手は既に検査機器の操作を行っていた。サインを確認した桜が龍征に貼り付けられていた諸々を外していく。
「さて、案内するよん☆」
そうして案内されたのは、隔離された集中治療室だった。龍征は透明なガラス越しに、力なく横たわっている祖父の姿を見た。
「え、じいちゃん、マジかよ…………」
零れたのは、そんな薄っぺらい言葉だった。呆気なくて、儚い。雨粒に映った幻影みたいな、そんな妙に幻想的な光景だった。この男が、床に伏せっている。それが、どこまでも現実離れしているような。
「……無事よ。目は覚まさないけど、山は越えたわ」
祖父は祖父だった。龍征がほっと肩を落とす。
急に力が抜けて膝が折れた。倒れると思った身体が途中で止まる。桜主任が崩れ落ちかける龍征を片手で支えていた。片目で可憐にウインクを飛ばす。
「大丈夫♪」
こくこくと龍征は頷いた。小柄とは決して言えない龍征の身体を片手で支えて、重心が全く揺らいでいない。どこまでも得体の知れないオカマである。
そして、あの老躯が大小様々なチューブに繋がれている光景には、何かを感じざるを得ない。しかし、小さなモニターに映る心音は、力強く脈動していた。祖父も戦っている。その現実が龍征少年の背中を強く押した。
「星獣と、戦える力があるって言ったよな」
桜主任がシーカーを鋭く睨んだ。ずり落ちる眼鏡を支えながら、彼は天井を見上げていた。染み一つ無い真っ白な天井だが、妙な継ぎ目が散見された。
「言ったよな」
しっかりと立って龍征が凄む。強面で場数の踏んだ龍征、その威圧は奥の副主任が短く悲鳴を上げるほどだった。桜主任の顔から笑みが引いた。後ろでもう一度悲鳴を上げている眼鏡とは、違う。一歩前に出て受けて立った。
「ガキが踏み込める領域じゃない。弁えろ」
ずん、と重力が一段階強くなった錯覚がした。龍征は反応こそしなかったが、その実、気圧されていた。足をがくがく震わせている涙目の眼鏡はもう気にしないでおく。
道を貫くための、踏み出す一歩。
相手はオカマだが、格上の人間だと理解した。強い。本能がそう告げていた。単なる腕っ節だけではなく、人間としての強靭さ。それでも、ここは退けない。少年にも意地があった。引き下がれない。ここで折れて下がっては、いつまでも半端なままだ。そう思ったのだ。
「手は足りないはずだ。俺を使え」
炎に包まれる町を思い出した。煙に燻された通路を思い出した。響き渡る悲鳴を思い出した。
あんなものを、放ってはおけない。
「俺に星獣をぶっ潰せる力を寄越せ。俺に星獣をぶっ潰させろ」
ふっかけられた喧嘩は受けて立つ、と。
それこそが龍征が掲げた信条。技術主任の重力のような威圧感にも受けて立つ。その視線の力強さに、主任は折れた。小さく溜息をついて、首を振る。
「スタードライバー」
桜主任は、切り札の名前を告げた。
「それが我々人類の希望の名前よん☆」
きゃぴきゃぴ身体をくねらせながらオカマは言った。それでも視線は龍征に向けたままなので、いささか以上に不気味な挙動だ。震えるオカマはテンション高めである。研究者がこうなる要因は、限られていた。
サクラドキュメント、と。開発者は自慢するように話す。
「広義にはドライブゲンマの有効加工を目的にした理論体系ねん♪ そっちは理論だけならグンパツだけど、まだまだ技術と予算が世知辛い感じ☆」
そして、と一度区切る。
「ドキュメントが最も成果を上げた部分が、ドライブゲンマを武装に活用したスタードライブシステムよー◇」
「強いのかッ!?」
「のんのん♪ 単なる火力兵器とはわけが違うの……同じドライブゲンマの波長を対消滅のためにぶつける。星獣の力を根本から壊していくスペシャリテ。それが、スタードライブシステム」
ぽかんとした表情のままで龍征は情熱的な視線を向ける。何一つ分かっていない。そんな表情に主任は一瞬真顔になった。自分の研究成果を他人に自慢げに披露することは研究者の至上の喜びだったのだが。
だが、龍征少年は一番大事なところだけは理解していた。即ち、スタードライブシステムがあれば星獣に対抗できるということ。
桜主任は再び口を開く。
「でもねん、それは誰にでも扱えるものじゃないの。ドライブゲンマの波長に適合できる人間はほんの一握り」
「構わねえ、やってやる」
「いい返事♪」
トントン拍子に進む話に、おろおろ震えるシーカーが待ったをかけた。
「主任……よろしいので?」
「司令には私から話を通す。お役所仕事を舐めないでちょうだい」
すぐに使えるようになるわけではないらしい。桜主任の不気味なウインクを受けながら、龍征はようやく身体の痛みを思い出していた。身体はまだ完治していないらしいが、これくらいなら龍征としては全く問題ない。喧嘩っぱやさに怪我はつきもの慣れっこだ。
「一週間あれば適合実験を取り付けてあげる★ でも、これだけ知っちゃって好き勝手行動できるとは思わないでねん♪」
「へえ、帰さない気かよ」
龍征が挑発的な笑みを浮かべるが、そこはオカマの方が何枚も上手だった。
「帰る家も無いでしょうが◇」
その通りだった。一言で黙らされる。あの町が瓦礫の山と化したことには変わりはない。どちらにせよ、彼らの世話になるしかないのだ。
「と・い・う・わ・け・で! 特異災害対策本部にようこそ、天道龍征ちゃん♪」
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