濡れるくるぶし

磯崎愛

 濡れるくるぶし~「海柘榴」「斑」補遺~



 菊枝は横座りになって足袋のコハゼを外す。

 爪に似たちいさな銀色の金属が指先にひやりとする。仲居の仕事は忙しい。立ち仕事をしているあいだ気づかなかった足指の冷たさに菊枝は眉をひそめた。むかしは手や足が冷えるなんてことはなかった。年をとって血流が悪くなるのをこんなふうにして知る。

 ひと仕事終えて自分の部屋に入り先ずすることが、足袋を抜いで靴下に履き替えることになるとは思いもしなかった。

 北陸でも十一月も末になると、板の間の冷えが厳しくなる。日の当たらぬ菊枝の部屋は寒いままだ。

 洋服に着替えてちいさな仏壇に若狭浜菊を活けた。マーガレットに似た愛らしい花だ。仏壇は、それを一輪ずつ花筒に入れたらいっぱいになる電子レンジほどの大きさだ。位牌もサイズを随分とちいさくしてもらった。いまの菊枝にはこのくらいがちょうどいい。

 以前は大きな仏間のある家に住んでいた。老舗呉服店の女将だった。今は店があったのと同じ小浜の割烹旅館に仲居として暮らしている。店は引き払った。居抜きで買い取ってくれた業者がいて、画廊のような染織工房のような何とも言えない店になり、若い工芸作家たちが気ままに暮らしている。

 実家を継いだ弟に姉さん戻ってきてもいいのにと言われたが、小浜から離れがたかった。

 滋賀の実家も名ばかりの呉服屋だった。

 いまは制服を売る洋品店だが、戦後の好景気には長浜縮緬の訪問着などを売っていた。

 菊枝は親の様子を見ていたから客あしらいは慣れている。数百年の歴史ある京都の問屋に勤めたせいで品物を見る目もある。着付けだって得意だ。だから、繁忙期にアルバイトに入る若い娘に着付けを教えることもできた。

 姑にお花も習った。お茶も嫁入り前と結婚してしばらく通わせてもらった。着物を売るのに必要だからと姑に言われてしたことが今も役に立っている。

 ちかごろは厨房にも呼んでもらえる。若い板前に盛りつけについて意見を聞かれたりもする。

 雑駁な女将は同い年だ。気兼ねがない。

 

 夫が海でいなくなり、姑が逝き、息子も儚くなった。

 さびしくないとは言わないが、この暮らしは嫌いではない。

 

 それを言うなら、商店街が廃れはじめたころのほうがずっとさびしかった。馬鹿を言うなと呆れられそうだが、心持ちひとつでどうにも流せない事柄のほうがきつい。景気が悪くなれば御大尽でいられない夫、そして何より体裁をたもてない姑の懊悩が思いやられた。頭を下げられない人間にできる仕事は多くない。しかも、家族をまるまる養える度胸を菊枝は持っていなかった。

 

 日々ともに暮らしていれば察することもある。予感があった。どこかで覚悟もできる。縁の薄い夫だった。浮気もされた。恰幅のいい美男だった。優しくはあった。だからきっと、幼馴染に引きずられたのだ。釣り船の事故だ。恨めしくはなかった。保険金が入った。持ち家だとはいえ、とうに着物は売れなくなっていた。長男を亡くした姑はいくらか弱くなって、菊枝を頼るようになった。こう言ってはなんだが、姑が偉ぶっていられる時間が残されていてよかったとしみじみと溜息をついた。


 精神を病んで若くして死んだ息子のことだけは、後悔がある。

 花の名前をおぼえる子供だった。見分けるのもできた。教えたのは菊枝だ。

 けれども、自分と同じものを見ていない子供だと理解してはいた。いや、見えないものが見えていた。打ち寄せる波のように、夢と現実の境に漂っていた。だから、夢使いの修業をさせたほうがよかったのかもしれない。太陽の下、その他大勢のひとと同じ人生を歩ませるより、夜闇に紛れ、夢を贖う夢使いになるほうが生きやすかったに違いない。

 わかっていて、手放せなかった。無理やり背を押して、そちらに追い立ててやれなかった――息子が望んだから。

 僕がいらないの、と泣き叫んだ。

 捨てないでくれと、傍にいてくれと希われて、菊枝はその乞いを受け入れた。守ってやりたかった。それなのに守りきれなかった。何からか、わからない。あの子の運命だと、今は思うことにしている。

 その当時は、わからなかった。

 取り返しのつかなさにつきまとう後悔は深く、ひろく、底がなく暗い。痛みはすでに遠くなり、なのにいつまでも囚われている。

 忘れたくないのでそれでいい。

 菊枝は従業員用の狭い風呂場で裸のまま足袋の裏を歯ブラシで丁寧に洗いながら笑む。

 頬を濡らしつづけた涙はもう、流れない。

 

 息子は自分では襟がよれた服を着たがるくせに、祖母の襟に白粉の汚れを見つけると顔を顰める潔癖があった。

 

 遠浅の海の好きな息子だった。

 灰色の重く曇った空と海の境目の水平線を飽かず眺めていた。

 踝に砂をつけたまま家に帰ってきた。

 浜辺をずっと、独りで歩いていた。  

 寒かろうと、暑かろうと、いつも独りで。

 遠泳の得意な息子は沖まで泳いでいけるのを知っていた。危ないから、と止めはしなかった。

 菊枝も、何処かに行きたいと願うことはあったから。

 嫁にもらわれ妻の地位を得て母になっても居場所がない気持ちがした。その前はただの娘だった。京都の問屋で働いていた時の寮生活が懐かしい。しかしあれも、与えられたものだった。

 そうやって旅先の借り家に住む心地で生きてきて、割烹旅館の日の当たらぬ狭い部屋で初めて、いらぬ荷物をおろして手足を伸ばした気分でいる。

 

 湯上りの踵にクリームを塗る。膝にも、肘にも、手指にも。

 仲居の仕事は気働きを苦にしない菊枝に向いていた。客のはなしを聞くのも面白かった。アルバイトの若い娘の流行り言葉にも慣れた。春には東京に出るという。がんばりなさいと微笑んで、今から何をもらせてあげようか考えている。最後に東京にいったときの話しはできなかった。息子の変調は都会の孤独だったのかもしれない。

 

 むかし、東京の冬の海は鮮やかな紺色をしていたと息子がつぶやいた。同じ湾なのに、なにもかも違うと当たり前のことを言った。

 

 遠いいつか、菊枝も息子の歩いた浜辺を歩くのだろう――彼岸へと。

 息子がそのとき手を引いてくれるかもわからないけれど。

 

 長廊下をすべる菊枝の足袋の裏はいつでも清潔だ。

 咲き切った若狭浜菊の、薄紅の混ざった白い花弁は、息子の踝に似ていた。


   #ペーパーウェル05配信

   サークル「唐草銀河」主宰 磯崎愛(Twitter@isozakiai)


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濡れるくるぶし 磯崎愛 @karakusaginga

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