第7話
『デート』 木下流里
初デートに行くのならどこがいい?
ウインドウショッピング?
遊園地?
動物園?
水族館?
映画?
それともピクニック?
結論は、好きな人と行けるのならどんな場所でも最高ってことだよね。
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いつもよりも早く目が覚めた。
なにせ今日は志藤先生とのデートの日だ。目覚めが良いのは当然のことだ。
体育祭で体は疲れていたけれど、デートが楽しみすぎてあまり眠れなかった。
待ち合わせの場所や時間については、昨日のうちに志藤先生からメッセージが来ている。
疲れているだろうからと、少し遅い時間を設定してくれたから、待ち合わせまではまだまだたっぷり時間がある。
シャワーを浴びて、しっかりと身だしなみを整えてたとしても遅刻する心配はなさそうだ。
そうして「よし」と気合いをいれてベッドから起き上がろうと体に力を込めた。
「うがぁっ」
声にもならない声が喉の奥から漏れる。
ワタシはベッドから起き上がることすらできなかった。
確かに寝返りを打つのも辛くて早く目が覚めたのだけど、ここまで全身に激痛が走るとは思わなかった。
筋肉痛のような気がするけれど、これまでに感じたことがないくらいの痛みだった。それに体中が痛くて、どこが痛いのかすらわからないくらいだ。
宇津木さんと走る練習をはじめたばかりのころは、筋トレのせいでふくらはぎや太ももが筋肉痛になったことはある。だけどそれらは練習を続けるうちになくなっていた。
一気に動こうとしたからかもしれないと、今度はゆっくりと体を起こして痛みの場所を確認した。
なんだか油が切れた機械みたいに体中がギシギシと鳴っているようだ。
そうして確認してみたところ、右腕、肩、首、背中、脇腹、腰、足の付け根のあたり、おしりに痛みが走った。
痛くないのは顔と頭くらいかもしれない。
おそらく、派手に転倒したときに変な力の入れ方をしてしまったのだろう。
体を起こして動き始めると徐々に痛みはゆるくなって、激痛というほどではなくなった。しかし、無視できる痛みでもない。
ワタシはゆっくりと部屋を歩き回ってみた。
ゆっくりと歩いているけれど、体のこわばりや痛みでロボットのようなギクシャクとした動きになる。いや、最近のロボットの方が今のワタシよりもずっと上手に歩くだろう。
こんな動きでデートに行けるはずがない。間違いなく挙動不審の人みたいになってしまう。
湿布を貼れば少しは痛みが緩和するだろうか?
でも、初デートで湿布くさいなんてかなり嫌だ。だからといってせっかくのデートを中止するのはもっと嫌だ。
どうすれば良いのか悩んでいたとき、ふと鍋島先生の顔が頭に浮かんだ。保健室の先生だから、この全身の痛みを解消する良い方法を知っているかもしれない。
でも、志藤先生とのデートがバレたら邪魔されるかも……と、考えたところで、今日が月曜日だったことを思い出した。それならば鍋島先生は仕事だから邪魔のしようがないだろう。
そこでワタシは『昨日がんばりすぎて筋肉痛。筋肉痛を早く治す方法知ってる?』と鍋島先生にメッセージを打った。
出勤前の忙しい時間かな? と思ったのだけど、返事はすぐに届いた。
『軽い運動、痛みのある部分のマッサージ、炎症を抑えるためのアイシング、そんなところね』
端的な返信にさすがは保健室の先生だなと思った。
ただ、マッサージのやり方がよくわからないな……と考えていたところにホームページのURLが送られてきて、なんだかさすがだなと思ってしまった。
『ありがとう』
ワタシがそう返すと、直後に返信が来た。
『ご褒美、楽しんでね』
ハートがピカピカ点滅する絵文字付きだ。
理由はわからないけれど、どうやらワタシと志藤先生のデートのことを知っていたようだ。ワタシが漏らしていないのだから、志藤先生から漏れたのだろう。それは、ワタシが知らない間に志藤先生と鍋島先生が仲良くなっているということなのだろうか。
ちょっと胸がモヤモヤしてきたけれど、今はそれを考えている時間の余裕はない。待ち合わせの時間まであと二時間ちょっと。この時間で鍋島先生が教えてくれた方法を試して、筋肉痛を撃退しなければいけない。
それにこの感じだと待ち合わせの場所まで歩くのも、いつもより時間がかかりそうだから早く家を出た方がいいだろう。
つまり二時間あるといっても余裕なんてないのだ。
ゆっくりとストレッチをして、シャワーを浴びてからマッサージをした。それからデート用の服を選んだ。
待ち合わせの場所に到着したときには、時間ギリギリだったけれど遅刻だけは避けられた。それに、鍋島先生に教えてもらったアレコレが効いたみたいで、不自然に見えない歩き方ができるようになっていた。
待ち合わせの場所にはすでに志藤先生の姿がある。
本日のファッションは、Vネックのカットソーにワイドパンツ、低めのパンプス。すみちゃん用ファッションには負けるが、鍋島先生用ファッションには勝っている気がする。
いや、ファッションなんてどうだっていい。ジャージでもパジャマでも、こうしてデートに来てくれるだけで満足だ。
それに遊園地に行く約束だから、ちょっと動きやすい服装を選んだんだと思う。
なによりワタシのファッションが志藤先生の服装にあれこれ言えるようなものではないのだ。
昨夜一生懸命に考えたかわいいコーデはすべて却下した。
ギリギリまで考えて、結果的にゆったりデニムとTシャツにカーディガンというラフな服装にした。
昨夜選んでいたスカートを履いてみたら、体育祭で転んだときにできた膝の傷がガッツリ顔をだしていたからだ。膝だけでなくて肘にも傷がある。だから傷を隠せて、かつできるだけ動きやすそうな服装にせざるを得なかったのだ。
ワタシが持っている服の種類なんて少ししかないから、このコーデしかできなかった。だけど今日の先生と並べば意外に良い感じに見えるんじゃないかと思う。
ワタシだけが妙に気合いが入っているのも変だし、ナイスチョイスだったに違いない。
ちょっぴり照れながら先生とあいさつを交わした後、先生が思い出したように言った。
「あ、そうそう。今日は遊園地に行くって言っていたけれど、水族館にしない?」
「はい、それは全然いいですけど……どうしてですか?」
遊園地にこだわっていたわけではないし、筋肉痛のことを考えれば水族館の方がありがたい。もしかして鍋島先生から何か連絡があったのだろうか。
「今日は午後からお天気が崩れそうな予報だったから」
先生に言われて空を見上げると、昨日の晴天が嘘のように厚い雲が覆っていた。
「はい。先生と一緒ならワタシはどこだって嬉しいです」
笑顔で答えると、先生もニッコリ笑って頷いた。
「それじゃあ行こうか」
先生がそう言ったとき、ワタシのスマホが震えた。先生にひと言断ってスマホを確認すると、宇津木さんからメッセージが入っていた。
『昨日はありがとう! 怪我、大丈夫だった? 今日はゆっくり休んでね』
ワタシは素早く返事を打つ。
『怪我は全然大丈夫だよ。宇津木さんも疲れたでしょう? ゆっくり休んでね』
なんだか後ろめたさを感じてしまう。
志藤先生からのご褒美ならば、この場所に宇津木さんもいるべきなのだ。ワタシだけ抜け駆け……というつもりではないのだけれど、ワタシだけが特別なご褒美をもらっている。
「先生、やっぱり宇津木さんも呼んだ方がいいかな?」
「ん?」
「宇津木さんもすごく頑張ったから、ご褒美っていうなら、宇津木さんも一緒じゃなきゃおかしいかなって……」
本当は志藤先生と二人っきりでデートがしたい。だけど、なんだかそれは宇津木さんに申し訳ない気持ちになってきた。
すると志藤先生がワタシの頭にポンと手を置く。
「宇津木さんにもちゃんとご褒美はあげるつもりだけど……。それなら今日は、脇山先生の絵を見せてくれたお礼っていうのはどう?」
先生が笑顔で言った。ワタシはうれしさで崩れそうになる頬に力を入れて頷いた。
それから電車を乗り継いて約四十分で目的の水族館に到着する。
平日で通勤通学の時間ともズレていたので、電車は比較的空いていたけれど、座席には座らず先生と並んで立っていた。
先生の隣にいたいというのもあったけど、立ったり座ったりする動作がちょっときつかったからだ。立ったままの方が幾分か楽だった。
それに電車の揺れでちょっとふらついたとき、先生がワタシを支えてくれるなんてスペシャルイベントも発生したから、電車だけでもワタシの満足ゲージは満タンに近い状態になった。
水族館も休日に比べると随分空いているのでゆったりと見てまわることができそうだった。
それでも入場券を購入するための列が少しできている。
その列の最後尾に並ぼうとしたとき、先生がワタシの腕を引いた。
その拍子に不用意に身体をひねってしまったので背中に痛みが走る。うめき声を上げそうになるのを堪えて「なんですか?」と志藤先生を見た。
「実は、もうネットで買ってあるんだ」
と言ってスマホを取り出した。
「え? 事前にチケット買ってたんですか?」
ワタシは首をひねる。昨日の時点では遊園地に行く約束だった。前売り券は遅くとも前日には買わなければいけなかったはずだ。
それに、直前のネット予約ができたとしても、行き先変更の話を聞いた待ち合わせから電車で移動する間、先生が前売りチケットを購入している様子もなかった。
つまり行き先の変更を提案されたときには、すでに前売りチケットを購入していたということになる。
「先生?」
いぶかしむワタシの顔を見て先生は苦笑いを浮かべながら「さあ入ろう!」とワタシの手を引いた。
体の痛みと手をつないでもらえたうれしさが同時に押し寄せる。そして、何かをごまかそうとしている様子も気にかかった。
「先生」
ワタシが足を止めると先生が振り向いた。そして、少し視線を彷徨わせてから、観念したように話してくれた。
「実は、この水族館を勧めてくれたの、鍋島先生なの」
「え?」
「な、鍋島先生と……仲が、いいんですね……」
ちょっぴり怒りに震えながら聞くと、先生は首を横に振った。
「仲がいいとかじゃないんだけど、色々事情も知っていて相談しやすいというか……同業だけど同業じゃないから客観的に判断してもらえそうだったから」
困った顔の先生もかわいいと思うけど、鍋島先生のことをうやむやにできるほど広い心は持っていない。だから、ジッと先生を見つめて言葉の続きを待つ。
「木下さんにご褒美の約束はしたんだけど、先生として特定の生徒に肩入れしちゃっていいのかなって不安になって、ね」
先生は言いにくそうに口を開く。
「鍋島先生に止められたんですか?」
「ううん。いいんじゃないって言われた」
ライバルなのだから、足を引っ張ることくらいのことはすると思っていた。もしも、ワタシが鍋島先生の立場なら、何か理由を付けて反対していたかもしれない。
そういえばワタシと志藤先生がデートをすると知っていても、筋肉痛の質問にちゃんと答えてくれた。なんだかよく分からないけど、敗北感が押し寄せてくる。
「それでね、遊園地に行く予定だって伝えたら、運動会で頑張った後だから、もっとゆったり遊べるところがいいんじゃないかってアドバイスをもらったの。水族館なら天気も気にならないしいいんじゃないかって言われて」
「そうだったんですね」
なんだか悔しい。どうやらすっかり鍋島先生の掌の上のようだ。
なにより、なぜ志藤先生が鍋島先生からアドバイスされたことを言い淀んだのかが気になった。
隠すほどのことじゃない。
それを隠すというのは、隠したい理由があるからではないのだろうか。
だけどワタシにはそれを追求するだけの勇気も自信もない。
鍋島先生のお膳立てのような水族館デートになったけれど、せめて、このデートの中身だけはワタシの意思で進めたい。
「変なことを気にしてごめんなさい。行きましょうか」
ワタシは笑顔を作って志藤先生の手を引っ張った。
そのとき体がミシリと痛んで思わす不自然な動きをしてしまう。
「どうかした?」
志藤先生が心配そうな顔でワタシを見る。
ワタシはできるだけ爽やかに見えそうな笑顔を作って「そういえば、何かショーってあるんですかね?」と言った。不自然な動きをごまかせただろうか。
「あ、うん、あるよ」
そう言って先生は受け取ったパンフレットを開く。
ワタシの筋肉痛はごまかせたようだが、つないでいた手が離されてしまった。
咄嗟のことだったとはいえ失策だ。
「イルカのショーは午後からだね。あ、もうすぐペンギンのお散歩があるって。行ってみる?」
「はい」
ワタシが即答すると志藤先生がニッコリ笑った。
「あの人が集まってるところだね」
志藤先生は言うが早いか歩き出していた。心なしかソワソワしているように見える。ワタシは慌ててその後ろについて行った。
ペンギンの散歩道を開けて人間が花道を作る。
隙間を見付けてワタシと先生もペンギンのための花道に参加した。
まわりの人たちがスマホを準備しているのを見て、ワタシもスマホを取り出して写真を撮る準備をはじめる。
横目で先生を見ると、ワクワクした表情でペンギンが出てくるゲートを見つめていた。ペンギンが好きなのかもしれない。
数分待つとペンギンプールの入り口が開き、水色のつなぎをきた女性がバケツを手に現れた。
その後ろから十羽以上のペンギンがピョコピョコと列をなしてついてくる。
「わ、来た」
思わずつぶやいて先生を見上げると、先生の目はキラキラと輝いていた。
ワタシはスマホを構えてペンギンの写真を撮った。そして、少しカメラの向きをずらして先生の横顔も隠し撮りする。
先生は写真を撮ることもなくペンギンの動きに夢中になっていた。
ペンギンたちの行進を見送って、先生は満足そうにため息をついた。
「かわいかったね」
先生はホクホク顔だ。
「本当にかわいかったです」
その言葉の後ろに「先生が」と付けたかったところをグッとこらえて心の中だけに留めておく。
そのとき先生が「あっ」と叫んだ。
先生の視線はワタシの手の中のスマホに注がれていた。
「写真……撮るの忘れてた」
眉尻を下げてがっかりする先生の顔がかわいすぎる。今こそ写真を撮りたいと思ったけれど、さすがにそれはできなかった。
「ワタシいっぱい撮ったので、あとで何枚か送りますよ」
「本当? ありがとう」
先生の写真もいっぱい撮ったから、今写真を見せることはできない。ペンギンだけが写っているところを厳選して送ることにしよう。
それからワタシたちは順路に沿って館内を見て回ることにした。
この水族館は三階までエレベーターで昇り、下りながら展示見ていく。
体に痛みはあるけれど、ひとつずつゆっくりと水槽を見たり、解説を読んだりしているので負担はそれほどない。
そう考えると遊園地でなくて本当に良かったと思う。
これは鍋島先生への借りになるんだろうか。
志藤先生も水族館が好きみたいで、とても楽しそうに魚たちを見ていた。
体育祭の後、デートの場所に遊園地と言ったのは、デートといえば遊園地かな? と思っただけのことだった。
でも水族館はゆったりしているし、おしゃべりのネタも尽きない。
こうして実際にデートをしてみると、水族館はデートに最適な場所なんじゃないかと思える。
すごくゆっくり回っていたつもりだけど、あっという間に一階に戻ってきてしまった。
時間を見るとお昼を少し回っていた。
「午後からイルカショーがあるから、その前にランチでも食べようか?」
先生の提案に頷いて、水族館の脇に併設されているフードコーナーに向かった。
ファストフードのお店もあったけれど、先生が選んだのはゆったりと座って食事のとれるレストランだった。
「ショーまでちょっと時間があるし、ゆっくりしよう」
そう言って先生は笑う。
なんだか本当のデートみたいだ。いや、本当のデートなんだけど、意識するとちょっと緊張してしまう。
それに少し休憩したかったので、ゆったりと座れるのはありがたい。
夏休みのファミレスと同じく、何を頼むのか迷っていると、先生が「シーセットにしよう」と提案してくれた。
「Cセット」ではなくて「seaセット」だ。
二人前の量のシーフードパスタやシーフードピザ、シーフードサラダ、そして飲み物とデザートが付く。
「おいしそうだけど、一人だと頼めないんだよね」
と先生が言う。
「この水族館にはよく来るんですか?」
先生の口ぶりからすると以前も来たことがあるようだ。館内を見て回っているときには、常に新鮮な喜び方をしていたので気付かなかった。
「よくって程じゃないけど。水族館が好きなんだよね」
水族館が好きなことは、見学中の様子からも充分に伝わってきた。
「一人で来るんですか?」
「ん? 一人で来ることもあるよ」
先生の返答に引っかかりを覚えた。その言葉には、一人でないこともあるという意味が含まれている。
「じゃあ、恋人と来たこともあるんですか?」
ワタシはストレートに聞く。聞きたくはないけど、先生に恋人がいてもおかしくはない。
すみちゃんのことが好きなんじゃないかと疑っていたけれど、すみちゃんは、先生にとってはアイドルと同じような存在だっただろう。
だったら身近に、もっと現実的に好きな人がいてもおかしくない。
「え? いや、えっと、学生時代に、友だちと来たんだよ?」
先生は「どうしてそんなこと聞くの?」とでも言いたそうな顔をしている。
生徒であるワタシには言わないだけで、今だって恋人がいるかもしれない。
心の中にモヤがかかる。
せっかく楽しくデートをしていたのに、どうしてそんなことを聞いてしまったんだろう。
少し気が重くなったとき、サラダが運ばれてきた。
先生がサラダを取り分けてくれたので「ありがとうございます」と言ってサラダを食べ始めた。
そこからはテンポよくパスタやピザが運ばれてきてテーブルの上を埋め尽くす。
料理を食べながら、少しよどんだ空気を晴らすように先生が明るい声で聞いた。
「木下さんは好きな人はいるの? 中二だといるかな? いや、まだかな?」
「いますよ」
「え? 本当?先生の知ってる子?」
ワタシの好きな相手が志藤先生である可能性を全く視野に入れていないことに傷つく。
「ナイショです」
と答えると、志藤先生はさらに楽しそうな顔で質問してきた。
「もしかして、木下さんの初恋だったりするの?」
「初恋じゃありませんよ。初恋っていうなら、相手はすみちゃんです」
ワタシは素直に答える。
「脇山先生?」
「はい。だって、すみちゃんよりもかっこいい人も、やさしい人も、楽しい人もいませんでしたからね」
志藤先生はなんだか納得したように頷いた。
そう、ワタシはすみちゃんのことが大好きだった。あれが初恋だと思う。
だから樹梨ちゃんのことも好きだったけれど、二人が恋人同士だと知ったときはちょっとショックだった。
「そっか、身近に素敵な人がいると、好きになる人のハードルも上がっちゃうよね。ってことは、今好きな人は、脇山先生よりも素敵な人なんだね」
志藤先生の顔に『興味津々』と書いてあるのが見えてしまう。
その表情が爪でひっかくように少しずつワタシの心に傷をつけていくようだった。
「さあ、どうでしょうね。そもそもすみちゃんに対する評価ランクが下がってるし」
「えー、そうなの? どんな子か気になる。誰にも言わないから、教えてくれない?」
はじめて志藤先生に対してイラつきを感じた。
興味本位で好きな人の名前を聞くなんて、女子にはよくあることだ。学校でもそんな話題になることがあるし、そんなときは適当にごまかしている。けれど、志藤先生に楽しそうな表情で聞かれたくはない。
「志藤先生」
ワタシは少し大きな声で言う。自分が思っていたよりも声に剣が含まれていた。
「へ?」
もう言ってしまおうかと思ったけれど、志藤先生のびっくりした顔を見て怖気づいた。
「早く食べて、行きましょう。きっとショーを見る人多いから、席取りしないと」
「ああ、うん、そうだね」
志藤先生はそう言うと残っているパスタを口に運んだ。
ショーの開演より少し早い時間に会場に行ったが、予想以上に客席は埋まっていたけれど、なんとか二人並んで座れる場所を見つけることができた。
「木下さんの言った通りだったね」
「そうですね」
ワタシは普通を装おうとしたけれどうまくできずにいた。
心の中がモヤモヤを消すことができない。
好きな人に全く意識されていないのは、こんなに悔しいものなんだ。ワタシは志藤先生とのデートに浮かれていたのに、志藤先生は全然違った。
どこかで「好きの反対は嫌いではなく無関心だ」という言葉を聞いたことがある。ワタシはその言葉を実感していた。
夏休み、鍋島先生は志藤先生に好きだと言って相手にされなかった。そのとき「今まで考えたことが無くても、今から考えてくれるんでしょう?」と言うのを聞いて、いさぎよくないと思っていた。
だけど鍋島先生の言葉は正解だったのかもしれない。
ワタシは志藤先生に全く意識されていない。それはスタート地点にも立っていないということだ。
たとえどんな結果になるとしても、スタートができなくては何の意味もない。
体育祭の百メートル走でワタシは散々な結果に終わった。
それでもワタシはスタートを切れたし、最後まで走り抜くこともできた。悔しさは残っているけれど、得られたものもあったと思う。
このデートに浮かれているのはワタシだけだ。手をつないでも、隣を歩いても、一緒に食事をしても、恋愛ではスタート地点にも立てていない。
そういう意味では、鍋島先生の方がずっとリードをしている。鍋島先生は、少なくともスタート地点に立つ権利を手に入れているからだ。
ワタシはイルカショーを見ていたけれど、それを楽しむことができなかった。
ショーが終わってから、志藤先生の提案でもう一度館内見学したが、心の中に生まれたモヤモヤは大きくなるばかりだった。
楽しそうな志藤先生を横目で見ながら、ずっとスタート地点に立つ権利を得る方法を考えていた。
すぐ隣にいるのに志藤先生がとても遠くに感じる。
二週目を終えてもまだ十五時になったばかりだった。
「これからどうする?」
志藤先生がワタシに聞く。
午前中までのワタシなら、どんなに体が痛くても、どんなに疲れていても、一分でも一秒でも長く先生と一緒にいられる方法を考えただろう。
だけどワタシは、「体育祭の疲れがちょっと残ってるみたいだから帰りましょうか」と答えた。
このまま志藤先生と一緒にいても、モヤモヤが大きくなって先生に嫌な態度をしてしまいそうだった。
今必要なのは、一人になって考える時間だと思う。
気持ちが影響しているのか、帰りの電車は朝よりも身体が痛くて辛かった。ラッシュ時間に当たらなかったのがせめてもの幸いだと思う。
そして、待ち合わせをした場所で先生と別れることにした。
先生は家の近くまで送ってくれると言ったけれど、まだ時間が早いから大丈夫だと言って断った。
「今日は楽しかったです。ありがとうございました」
ワタシが頭を下げると「私も楽しかったよ」と先生が笑う。
ワタシは先生のその笑顔が好きだ。それなのに今はその笑顔を見るのが辛いと感じてしまう。
「あ、そうだ。これ、約束のご褒美」
先生は鞄の中からペンギンのストラップを取り出す。
いつの間に買ったのだろう。
「でも、ご褒美は水族館に連れて行ってもらったから……」
「あれは絵のお礼って言ったでしょう?」
そう言って先生は、少し強引にワタシの手にストラップを握らせた。
「ちゃんと宇津木さんの分も買ったから。自分のも買っちゃったけど」
そうしてもう二つのストラップを見せる。同じペンギンだけど、少しずつポーズが違う。
「ありがとうございます」
ワタシは改めてお礼を言う。
どれだけ個人的な話をしても、こうして二人で出掛けても、スマホでメッセージを送っても、先生にとっては、ワタシも宇津木さんも同じなんだと感じた。
先生にとっては大勢いる生徒の一人でしかない。
スマホの連絡先を知った、並んで歩いた、一緒に出掛けた。そんな一つひとつに、先生との距離が縮まったとどれだけ喜んでも、ワタシと先生は同じ線上にいない。
どれだけ近付いたとしてもすれ違うことしかできないのだ。
「先生、お昼に話したこと、覚えてますか?」
「ん?」
先生が小首をかしげる。誤魔化しているのではなく本当に何の話だろうと考えているようだ。
「ワタシの好きな人の話です」
「ああ、そのことね。なんだか強引に聞き出そうとしちゃって、ごめんね。先生にそんな話できないよね」
先生は少し眉尻を下げて申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「先生です」
「え?」
「ワタシが好きなのは、志藤先生です。ワタシは、志藤先生のことが好きです」
強引でもいい。
ワタシは志藤先生と同じ線の上に立ちたい。
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