プリーズ! ギブ・ミー・”ザ”・ファイブミニッツ!
森宇 悠
前編
今度こそ終わった。
その確信があった。
突き刺した剣ごしの脈動が消え「忌まわしき巨獣」は倒れる。
その風圧であらゆるものが吹き飛ばされていき、最後に大木のような尾が凄まじい音を立てて地面に横たわると、巨獣の体は完全に沈黙した。
俺は返り血にまみれたまま巨獣の体から滑り降り、そのまま耐え切れずその場に膝をついた。
「終わった……のか?」
古城の空気が一変しているのがわかった。邪気が消え去っている。
長らく巨獣を抱え込んでいた王の広間も、今はただ威厳を風化させ朽ちているだけだ。
なにより、握りしめていた霊剣から先ほどまでの覇気が無くなっていた。持ち主すら切り裂きそうな透き通った光も、もう無い。
それが、全てが終わったということの何よりの証拠だった。
「ええ、終わりましたよ、カハル」
背後からテスの声が聞こえたが、振り向く気力は無かった。
ただその言葉を合図にあお向けに倒れ、雄たけびをあげた。
勝どきと言うより解放の声だ。それが浄化された城いっぱいに反響していく。
ついに、終わったんだ。
「本当にありがとうございます……これでもう、巨獣エステバが目覚めることは二度とないでしょう」
テスの言葉で、この世界――異世界ランビアに連れて来られてからの3年間で見てきたもの、聞いてきたこと、味わったすべてが次々に浮かんでいく。
浸食されていく美しい村々、涙を流す人々、戦友との永遠の別れ、救えなかった命、それでもなお前に進まなければいけなかった苦しみ……。
思い出すだに顔が歪むような、困難と、苦痛と、そして何より人々の希望と絶望に満ちた日々。
しかしそれらすべてを経てもなお、俺の口から着いて出たのは素直な心の声だった。
「じゃあ、俺はやっと……元の世界に帰れるんだな……」
「ええ」
時と空間の精霊テスは俺の顔を覗き込み、深く目を閉じた。
「あなたの使命はもう終わりました。本当に長い間、私たちの世界のために……申し訳ない」
彼の口からこの世界へ連れてきたことを謝罪する言葉を聞いたのは初めてだった。
俺は少しだけ嘘をついて笑ってみせる。
「いいんだ。これで皆が無事に暮らせるようになるなら、何よりさ」
テスはまた感謝するようにゆっくり目をつぶる。
「では、帰り道を……」
テスが薄く透き通った両手を大きく宙に伸ばすと、周囲の精霊粒子が集まり、時の環を形成しだした。テスが祝詞を呟き始めると、環の中からはそれに合わせてかすかに音楽が流れ始める。
「時よ……世界を結ぶ悪戯な“ひも”よ……彼方と此方の結び目をいま」
「ちょっと待った」
とっさに起き上がり、祝詞を唱えるテスの口を手でふさいだ。テスは目を白黒させて祝詞を中断し、精霊粒子の奏でる音楽も同時に止まる。
「どうしました」
「いや、ちょっと、なんていうか」
「やはり……皆に別れの挨拶をしていきますか」
俺の脳裏に再びこの世界での体験がよぎっていく…………ただし今度は少し早めに。
元の世界に帰れるとなったらとっくに気持ちはそれどころではなくなっていた。
「いやそれはいいんだ」
「……いいんですか」
「いいんだ」
少し残念そうにテスは頷く。
「あの俺、これで元の世界に戻れるって……」
「ええ、元の世界に」
「これさ、全部ちゃんと元通りになるんだよな?」
「え?」
「いや、え、じゃなくて。だってこんな格好で戻ったら……なあ?」
俺はあぐらをかいたまま太ももを叩いて見せる。
鏡は無いが自分の姿がひどいのはよくわかっていた。
エステバとの三日三晩にわたる激戦。全身に怪我を負い、返り血を浴び……鎧はとっくに壊され、その下に着ていた衣服もほとんど破れてしまっている。いま俺は血まみれの泥まみれで、辛うじて腰みの一枚をつけているだけ、ほぼ全裸だ。
そして何より、過酷な旅を続けてきた肉体はこの世界に来たばかりの頃と比べてすっかり様変わりしてしまっている。
鍛え上げられた筋肉はもちろん、生身で魔獣たちと闘うべく全身に施された呪印の入れ墨、多くの死と絶望を目の当たりにしたがゆえに髪の色は抜け落ちて白くなり、顔は別人のように険しくなっていて……とにかく見た目の変化をあげていけばキリがない。
このままの姿で元の世界に戻っても誰も俺が俺だと気が付かないだろうし、大騒ぎになることはわかりきっていた。
「……元に戻してほしいのですか?」
「当たり前だろ、ダメだろ、このまま戻っちゃったら」
テスはきょとんとした表情で首をかしげる。もう慣れたが、こいつはたまに人間の感覚を理解しないで突拍子もないことを言う。
「べつに大した違いも無いように思えますが」
「いや全然違うだろ、元の世界では俺、平凡な日本の高校生だよ? こんな筋骨隆々でヒゲと入れ墨はいってる高校生いないよ、頼むよ、元に戻してから元の世界に戻してくれよ」
途端にテスはにっこりと笑みを浮かべてみせる。少しからかったんですよ、と言わんばかりだった。
こいつが冗談を言えるとは思わなかった。もしかしたらテスも、巨獣を退治したことに浮かれているのかもしれなかった。俺も安堵し、つられて微笑む。
「安心してください……時の環をくぐってしまえばこの世界での名残はすべて消え、魂の記憶だけを持ったまま元のあなたに戻れます」
「それならいいんだけど」
「………………………タブン」
「え、多分って言った? ちょっと、お前いま」
「あ、カハル、精霊粒子が環を完成させました。はやく通らないと、元の世界に戻れませんよ」
「いやその前に本当に元に戻れるのかどうか」
「さ、ほら、はやく。さ、さ、ほら」
半ば強引に時の環が俺を取り込む。テスは素知らぬ顔で祝詞を唱え終わる。
言いたいことはまだまだあった。
しかしもう用無しとでも言わんばかりに淡々と精霊魔術は発動する。
こんなんでいいのかよ。
3年にわたる異世界召喚はそうして、俺に一抹の不安を残して無理やり終わった。
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