第8話 お疲れ様

 時間は、ダニーがジーク家の壁を突き破った辺りまで遡る。

 ジークがユルゲン、エドワーズと激闘を繰り広げている最中、エマは怯えるアテネの手を握り続けていた。


「……凄い音……いったい、部屋の外で何が……」


「……大丈夫だよ。外で何があろうと、ジークとダニーがいる限りは安心だから。……アテネちゃんは、私達が絶対に守ってあげるから」


 家が揺れるほどの大きな衝撃と耳をつんざぐほどの轟音が作り出す恐怖から、エマは必死にアテネを守ろうとする。身も、心も、いとも容易く壊れてしまいそうなほどに脆いアテネを傷一つつかないように大切に扱うことで、彼女の顔からは少しずつ恐怖の色が消えていく。

 ……しかしその代わりに、彼女は申し訳なさそうな顔をしてうつむくのであった。


「……エマさん。今、こうなっているのはきっと……私が、ここにいるせいで……」


「アテネちゃん」


 泣きそうな顔でたどたどしく口を動かすアテネの震える声を聞いたエマは、彼女の顎を持ち上げて上を向かせるとともに、はっきりとした強い口調で彼女を諭した。


「……な、なんですか……」


「……謝らないで。あなたが私達に謝る必要なんて、どこにもないんだから」


「……で、でも……」


「私達は、さっきあなたを殺させないって約束した。今はその約束を、ちゃんと守っているだけ。……これは、私達がやりたくてやっていることなんだから、お礼の言葉は欲しくても謝罪の言葉はいらないよ」


「……エマさん……」


「……あなたが生きていることは、決して悪いことじゃない。ジークとダニーは、それを証明しようとしてるんだ。だから私達は、それを応援してあげよう?」


「……はいっ……」


 ようやくアテネは自発的に顔を上げると、今まで以上にエマに体を寄せてくる。

 誰かの支えがなければ維持することが出来ないほど不安定な状態ながらも、一生懸命に前を向いている彼女を、エマは優しく抱き寄せていた。


(……とはいえ、今の衝撃は流石に大きすぎない? それこそ家の一部が破壊されたようなレベルの……二人が負けるとは思ってないけど、念には念を入れておいたほうが良さそうね……)


 部屋の外で何が起きていようと確実にアテネを守るべく、エマは自分の右手の人差し指を思い切り噛みちぎると、その指から出た血で床に魔法陣を描いた。


「エマさん!? 大丈夫ですか!?」


「大丈夫だよ、これはただの儀式だから……さあおいで、『獄狼ごくろう』」


 エマの呼び掛けとともに、魔法陣の中から漆黒の毛皮を持つ狼が姿を現す。

 その狼の瞳は血に塗れたような深紅に染まっており、逆立った毛の一本一本が鋭利な刃物のような殺意を周囲に放っていた。


「……これは……」


「怖がらなくていいよ。この子は私の『使い魔』だから。……私には何の力もないけれど、この子がちゃんとアテネちゃんを守ってくれるから」


「グルルルッ!!!」


 獄狼の地獄の番犬のようなおぞましい見た目は見るものに例外なく恐怖心を与え、当然アテネもその例外ではない。しかし、エマが獄狼に抱く絶大な信頼を感じるうちに、アテネも獄狼に頼もしさを抱くようになっていた。


「……ご……獄狼……でしたっけ……?」


「うん。何か声をかけてあげて」


「……頑張って、下さい。……お願いします」


「……ガルルッ!」


「……任せろってさ。やっぱり男の子はカッコいいねぇ」


 そうやってアテネが恐る恐る、エマが慣れた手つきで気安く獄狼の毛皮を撫でていたその時、再び大きな衝撃と轟音が部屋を包んだのである。


「きゃあっ!?」


「大丈夫だよ、アテネちゃん……この音は、いつもの音……どうやら、終わったみたい」


 エマは「もう出番は終わりか?」とでも言いたげに不満げな顔を見せる獄狼をなだめてから魔法陣の中に仕舞うと、アテネの手を掴んで部屋の外へと向かうよう促す。


「……さあ、外に出よう。アテネちゃんのために頑張ってくれたジークとダニーに、「お疲れ様」を言ってあげなきゃね」


「……はい」


 開かれた扉をくぐり、リビングへと向かう廊下を歩くアテネの足は、震えていた。この向こう側には、自分を嫌い、恨んでやまない人間達がいるのかもしれないと考えるだけで、ここに来るまでの思い出したくもない過酷な日々を思い出すのだ。

 それでもアテネは必死に足に力を入れて立ち、ゆっくりではあるが前へ前へと進む。一人では立ち上がれない自分を支えてくれるエマのために、自分を守ってくれるジークとダニーのために、アテネは勇気を振り絞って歩くのであった。


「……ジーク……終わったみたいだね」


「……エマ、アテネ……おう。今回もちゃんと、守ってみせたぜ」


 血まみれになった腕を軽く振りながら笑顔を見せるジークを見ると、アテネの目には自然と涙が溢れてきた。自分のためにここまでしてくれる人間がいるという事実が、アテネにとっては本当に嬉しかったのである。


「……アテネちゃん。……言ってあげて」


「はい……お疲れ様でした、ジークさんっ……!」

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