13代目のアリ

三木詩絵

第1話

丘を登った高台には、淡い春の青空が広がる。たなびく雲は、青地に白い模様を美しく描く。

そら高く鳴いているのは、一羽のヒバリ。

私は洗ったばかりの白いシーツを片手に高台まで上り、洗濯物を干し始めた。


耳を澄ませてごらん。

ここはいつも何かしら騒がしい。

爽やかな風は白いリネンをはためかせる。

突風は木々をかき鳴らし、風の通り道の草花を揺らしている。

ヒバリは、まだ鳴き続けている。

ふいに風が止んで、キリギリスが鳴き始めた。雨の匂いがして、遠くで落雷が轟く。辺は一瞬静まりかえり、カラスが二羽三羽と飛び立った。お互いの不安を消すように、「カアカア」と鳴き交わす声。

私は屋根のあるベンチまでさがって、そこに腰掛けた。空は青く晴れたまま。雨はここまでこないだろう。


ふと気づけば、目の前にヒバリがいて、こちらをじっと見ていた。先ほど鳴いていたのと同じだろうか?

目が合い、私とヒバリはお互いに固まった。

「ふう。」

緊張を破って、ヒバリがため息をつく。いや、ため息をついたのは私の方かもしれない。

ヒバリは首を傾けて、言った。

「アリの子の話を知っているかい?」

私がびっくりして、ヒバリになんと返したものか考えていると、彼は続けて言った。

「土の中に住んでいて、一つ一つ砂を運んで巣を造り上げる連中だよ。」

私は、彼を驚かせないように、ゆっくりした動作で答える。

「アリのなら図鑑で見たわ。種類も数もとても多くて、世界中に生息しているのよね。」

ヒバリは、私から視線を高台へ逸らす。

「このアリの話は、図鑑になんか載っていない。あの岩の下に巣をこしらえて、たった1匹で暮らしているアリの事さ。」

ヒバリは尻尾とくちばしをピンとして、得意げだ。

「1匹のアリって、「女王蟻」のこと?これから卵をたくさん産んで巣やコロニーを大きくするつもりの?」

私は、ヒバリから虫の話を聞くなんて、思ってもみなかった。

「そのアリは、数百匹もの大家族で大きなコロニーを作らない。代わりに、父が1匹と息子が1匹。それだけだ。今までそうして命を繋いでいるんだ。」

「そんなアリの話を今まで聞いたことないわ。虫1匹に何ができると言うのかしら?」

「先月は雨の日が続いたろう?虫たちはみんな草陰や岩の下に隠れて長雨をやり過ごしていた。雨が上がって晴れ間がのぞいた時、一匹のアリが岩の上で体を乾かしていた。僕はちょうどそこに居合わせてね。僕に食べられるとでも思ったんだろう。触覚をフリフリして言うには『僕は15代目のアリです。どうぞ命だけは。僕の父14代目と、父から聞いた祖父13代目の話をしましょう。だから今日のところは見逃して下さい!』ってね。」

「あなたはそのアリを食べたの?」

私はヒバリに聞く。

「まさか、一匹だけ食べても大して腹の足しにはならない。あいつら口の中で噛み付くから痛いし、ここだけの話アリは美味しくないんだ。いいや、アリは食べない。」

「つまり、味が苦手だから見逃したのね。」

「そのアリは14代目の父と二匹で暮らしていたそうだ。その父が亡くなり息子が1匹産まれた。今は生まれたばかりの息子の世話をしながら、毎日巣を作って生活している。」

私は、ヒバリの話にちょっと興味が湧いてきた。

「彼の息子はまだ小さいから、すべての作業はもっぱら一匹で行う。誰かに監視されるでも注目されるでもなく、ただ黙々と一匹で巣作りに没頭する。息子が成長したら、彼に巣の作り方を教える。そうして父アリが命を終えると、また一匹息子が生まれる。先祖代々のしきたりと歴史は亡くなる前に父から息子へ伝授される。」

「なんだか、綱渡りみたいな一生ね。」

アリは寂しいとか辛いとか感じることができるのかしら?私は考えた。

「そんな一匹のアリが作る巣なんて、どうせただの縦穴だろうって?それが違うらしいぜ。まるで神殿のように立派な建築物だと聞いたよ。天井は見上げるほど高く、太い柱にはレリーフ模様が美しく刻まれている。巣作りは代々続き、完成は今のアリの代でもまだ終わらない。」

私はヒバリが嘴で指した高台に目をやった。辺りには草から剥き出た岩が踏み磨かれて白く光っている。

ヒバリは、「一匹のアリ」の話を続けた。それはとても奇妙はお話で、私が知っているどのアリとも異なっていた。ヒバリが語った虫の物語。本当かどうかは知らない。


初代の黎明期

そのアリは卵から孵るのに大いに難儀した。躰には薄い殻が纏わりついて剥がれない。隣では生まれたての柔らかい躰を狙ってダニが待ち構えていた。タイミングが悪いことに世話役は持ち場を離れている。世話役は幼虫の世話で忙しいのだ。巣にある卵の数は膨大で、コロニーを大きくするために必要な数が揃っていた。この子たちの将来の役割は既に決まっている。

「彼」は同じ時期に生みおとされた卵の中で成長が遅かった。くわえて、「未来の女王」になる、あるいは「コロニーを守る戦力」になりえる存在でも無かった。彼は「オス」であり、次の新しい世代を担うる存在のうちの一匹だ。しかしながら、成長が歪であった彼への期待は限定的だった。

ようやく殻を脱ぎ捨てた白い躰をダニがよじ登る。生まれたばかりの彼は躰をよじるより他に抵抗する手段が無い。味を確かめようとつつきまわされて、彼は叫び声をあげた。

幸い世話係が気づいて助けに来てくれた。ダニを追い払い、躰をきれいにしてもらった彼は甘い汁を口に含ませてもらうと、ようやく落ち着きを取り戻して眠りについた。

季節がめぐって結婚飛行の時期がきた。羽を得た彼は仲間と共に大空を舞い、はじめて外の世界を知る。しかし彼は、他のオスたちと争って求婚の名乗りを上げなかった。

彼はひとり岩の上に降り立つと、女王なしに卵を一つ産んだ。そう、彼はパートナーなしで子をなせる、「特別なアリ」だったのだ。

こうして、彼はアリの一族の「初代」になり、今へと続く王国の建国に取り掛かることになる。


 13代目は生まれたばかりの14代目を抱き抱え、神殿の奥へと分け入る。そこは、初代が2代目の卵を生んだ奇跡の地、聖域だ。13代目は震える声で14代目に語りかける。幼子には難しすぎる話だ。つぶらな瞳は父を見上げている。父が語るのは、初代が2代目を連れて王国を作り上げた歴史の始まりである。

神話のように古い昔話は、だが、「生きた神話」である。それは、今まさに自分が追体験している世界となんら変わらないものではないか。そう思い至った13代目は、ハッと我が子を抱きしめた。

これまで味わってきた孤独と苦労、これからたった一匹で建国を担う責任感、そして、父として神話の一部になろうとしている自分。13代目は天井を見上げてひとしきり酔いしれると、身震いした。


その昔、初代アリは、王国を作るために、まず神とそれから民とに誓いを立てた。

「主よ。私に子を与えたもうた、あなたの御心に感謝いたします。平和こそが私の望むものすべてです。どうか私と息子、それに続く子供たちをお守りください。あなたが平和を与えくださるのであれば、私と子供たちはあなたを忘れることはないでしょう。」

初代はついで、高台の岩を中心とした昆虫たちすべてと話し合い。彼らとの間に誓いを立てた。

「皆様どうか、私たちはこれから、あらゆる虫の命をいっさい奪いません。私たちはあなた方を殺しません。ですから、私と子供を殺さないでください。コロニーは、この先も父と息子の二匹だけです。これ以上、家族は増えません。決して他の虫の領土を奪ったり、テリトリーを広げることはありません。私たちは巣を地下へ地下へと掘り進めますが、必要な領土はこの岩の下だけで、それより治める土地が広がることはありません。」

初代の説得はついに聞き入れられ、アリの親子はここに聖域ーサンクチャリを得た。虫たちとの交渉を終えた時、初代は病の淵にあった。2代目は父に最後まで寄り添い、初代が亡くなったのち3代目が誕生した。



3代目の企て、4代目の予言

2代目の献身的な庇護の元、3代目はすくすくと成長した。彼もまた特別な技能を持ったアリで、その才能を存分に発揮して一族のための壮大な計画を練った。彼は父と生きて会うことのなかった初代を称えた神殿の建設を計画した。それは二匹のアリが暮らす巣には大きすぎる建造物で、計画では、約束の領土を余すことなく活用して創られる。

2代目が亡くなり、4代目が生まれた。4代目は記録することに長けていた。3代目は4代目のサポートを得て、どのアリにも理解される壮大な神殿の設計図を書き上げた。

ところで、4代目の記述は過去と現在の歴史に収まらない。彼はアリたちの未来をも記した。4代目の予言によれば、神殿の完成は39代目ないしは41代目になるという。


 13代目は柱を削りだす作業を止めてひとりごちた。

「あいつ、いつまで何やっているんだ。外に長く居るのは危険だぞ。」

14代目はすっかり成長し、建築や歴史を教わる一人前になっていた。14代目は最初の頃こそ熱心に父親を真似して習っていたが、近頃は作業を途中でほっぽりだしては何処かへ行ってしまう。柱を作る時に出た瓦礫はすっかり山積みになっていて、これを運び出して捨てるのは息子の役目だが、出て行ったきり一向に戻ってくる様子がない。

「しょうがない奴だな、まったく。」

息子は、反抗期を迎えている。

アリである我々は、生涯を休むことなくひとりでも働く。仕事が称賛を浴びる事も、疲労困ぱいを慰められる事も望めない。そして、孤独で危険な作業は死ぬまで続く。自分も若い頃、父に反抗して不貞腐れていた時期もあった。

ちょうど今の14代目のように、生きることの意味を見出せずにいたこともある。

再びため息が漏れた。

神殿を造り続ける意義や平和の意味を、14代目が理解するのはきっと難しい。

初代が平和な世界を勝ち得た記憶は遥かに遠い。平和しか知らない14代目は、他の虫たちとの闘争を目にしたことさえない。父親である自分だって、弱肉強食の現場は遠目で見たことがあるだけだ。

 13代目は身震いをしてから、すぐに柱を作る作業に戻った。息子が建築を嫌厭するのは、いつも頑張りが過ぎる自分のせいかもしれない。だが、13代目には急き立てられる理由があった。だから、自分を酷使してまで無理に作業にあたるのだ。


初代 偉大なる父 我らが初代!主と共にあり

2代目 奇跡の子 初代の建国を献身的に支え守る

3代目 授かり子 建国の礎を作る

4代目 記述を司る 預言者 

12代目 強靭な顎 巣の大枠は彼により掘り出される

13代目 分岐点 危機にあうが、柱の完成により王国の滅亡は回避される

14代目 匠 13代目の作った柱に、一族のレリーフを刻む

15代目 自由の子 多種族と交流により一族の活躍を世に知らしむ

39代目もしくは41代目 この代をもって神殿は完成する


これらは、4代目の予言とされる。

この予言を思い出すたびに13代目の胃はキリキリと痛む。迫りくる危機とはなんだろう。柱の建設は間に合うのだろうか?自分は、先祖の努力を無にして一族を滅ぼしうる存在なのだろうか。

確かに父12代目は、強靭な顎を持つアリだった。彼は大きくて力持ちで、予言の通り巣の広大な空間の大部分は彼が掘った。この予言が正しければ、自分の代で危機的な何かが起こる筈である。

13代目は不安を振り払うように、決まり文句を口ずさみ自身を鼓舞した。

「主は奇跡をもたらした。我々の一族は、奇跡のアリ。偉大なる初代。幸いなる一族!我々は甘美なる平和とともにある!」


初代は偉大だった。続くご先祖さま達も。そして、父も立派だった。

だからこそ、平凡である自分は、そしておそらく14代目も、日々の暮らしに希望を見出すことに難儀する。

それに、毎日つくるこの巣だって、生きて神殿の完成を見ることは出来ない。

もっとも、今の13代目に迷いはなかった。

そう思えるようになったのは、いつからだろう?

父12代目を失ってから?

14代目が生まれてから?

それとも、自分にはもう迷う時間のないことに気づいてからだろうか?


14代目は岩の陰で外の世界を眺めていた。この場所はいい風が吹いている。目の前にある砂山は、自分が巣から運び出した砂でできている。

毎日同じ作業の繰り返しで、終わりが見えずにしんどい。14代目は自分の体を舐めながら、賑やかな虫たちの声を聞き入るフリをして、手伝いをサボっていた。

巣の外はいつだって賑やかだ。土の中とは聞こえてくるものが違う。

バッタが一匹、アリに興味を示して近づいてきた。

「君かい、この岩の下に住む奇妙なアリというのは?」

14代目はビックリした。自分たちのことを知る存在は外にもいるのだ。

「アリのくせに一匹で巣を作るんだって?君、変わっているよな。向こうの切り株の巣のアリなんて、数え切れないくらいの大家族でコロニーを作っているのに。」

バッタに声をかけられて、14代目は13代目の話を思い起こす。

(おお、偉大なる初代!主とともにある奇跡のアリ)

初代は、辺り一帯の虫たち全てと交渉をして、サンクチュアリを創ったという。

(父なる初代!神殿とともに、さらに素晴らしい一族の父!)

「そうさ。父と僕との二匹だけで暮らしている。二匹でもちゃんとした巣を作るよ。僕はアリだからね。」

「ふーん。」

バッタは生返事をする。

14代目はバッタの無関心がちょっと悔しくなって、話し続けた。

「コロニーに何百家族がいたって、俺たちの作る巣には敵わないよ。まだ作り途中で君を招待できないのが残念だよ。なんたって、君が羽を広げてジャンプしても天井につかないくらい巨大な神殿があるんだから。

「地下の神殿とやらにお邪魔するのは、遠慮しておくよ。僕は結婚相手を見つけるのに忙しいんだ。」

バッタが言う。14代目はそもそも結婚と言うものを知らないから、返答に困った。

「メスを探しているってこと?」

14代目が尋ねる。

バッタの顔が「当たり前じゃん。」と言っている。

「メスって恐ろしい生き物なんだろう?」

アリは言った。


<アリの結婚>

子供が親を困らせるような質問をするのは、よくあることだ。

「空はどうして青いの?」

「神様って本当にいるの?」

「子供はどうやって生まれてくるの?」

親はそれについて詳しかろうが浅学だろうが、真剣に答えようと努力する。

「結婚ってなに?」

14代目は父に尋ねる。

結婚の定義はおいておくとして。生殖と繁殖が単純に結びつかない虫の世界では「結婚の意味」を正確に知ることは案外難しい。

父13代目は言った。

(初代より結婚の呪縛から解放された我々オスのアリは、心の平穏を手に入れた)と。

父から子へ、そしてまた子へと教えられる一族の歴史のイロハである。

(メスなしで子孫を残せる我々オスアリは、あらゆる世界においても稀有な存在)とも言っていた。

「結婚ってどうゆうもの?」

幼い14代目の心は、好奇心でいっぱいだ。

「命をかけて、メスを愛するってことだよ。」

13代目は答える。

実を言えば自分もよく知らない。結婚していないのだから。その父も、そのまた父も。初代を含めて一族の誰もが結婚どころか求婚したことさえない。

「愛するって、大好きってことだよね。僕は父さんのことが大好きだよ。命までは…かけないけれど。」

息子はいじらしいことを言った。

「私もお前のことが大好きだ。そして、父12代目のことも大好きだった。私は、お前も父のことも、心から愛している。でも、メスを愛するのと息子を愛するのは同じじゃない。メスは決して、オスがメスを愛するようにオスを愛しはしない。」父は、一息おく。

「メスを愛するということは、みずから蟻地獄へと足を踏み入れる様な行為だ。一歩足を踏み出したら最後、お前はその世界から逃れることができなくなる。」

14代目は食い下がる。

「自分で選ぶんだから、アリジゴクでないメスを愛すればいいじゃないか。それに、地獄だと思った穴の先にいるのは、僕を食べようと狙っている化け物じゃなくて、素敵な女神かもしれない。」

「わかっていないな。そこに足を踏み入れた以上、肉体の破滅からは逃れられないんだよ。」

13代目は、自分が経験したかのように、力を込めて言った。

「それは一時の甘美なる喜びをもたらす。だが幸せを感じるまさにその時、現実には奴らの消化液で溶かされる過程にいるんだ。見る力を失い、動きを奪われ、最後には触覚一つ残さず喰われちまう。」

13代目は、声を震わせる。

「おお、「結婚」の残酷で恐ろしいこと。先代より前の世界では、オスはメスに全てを捧げて死んでいくよりなかった。文字通り、命を含めた全てをだ。」

アリの結婚がどのようなものか、昔話の記述にはない。

一族の誰もがそれを経験せずに、口伝で伝え継がれるのは不思議だ。結婚という秘文書のような存在が、記録に依らずとも、細胞内の遺伝子の何処かに刻まれているのだろうか。それは結婚を忘れた一族にあってさえも、いつか紐解かれる日を待っているのかもしれない。


「おっと。とびきりの女神のご登場だ。俺はあの子をきっとものにしてみせる。」

突然バッタが、素っ頓狂な叫びをあげた。

「あの子はどの辺が、とびきりなんだい?」

アリの言葉にはちょっとバッタを小馬鹿にした様なニュアンスがあった。一方で、彼には好奇心の方が優っていた。

「見てみろよ、あのムチムチの腹。それに、彼女は何て大きいんだろう。あの背に乗ってジャンプしたなら、きっと天にも昇る気持ちさ。」

バッタは羽を広げて、メスに向かって一目散に飛んでいった。狂ったように笑みを浮かべたバッタを見て、

「彼は自分から飛蝗地獄に陥ちて行ったのさ。」

と、アリはひとりうそぶく。

ひとり残されて、アリは途端に暇になった。風が強くなってきている。14代目は、そろそろ帰ろうと思った。

「父はきっと心配している。父1人子1人。僕らは二匹だけの家族だから。」

だがしかし、14代目の好奇心はモヤモヤと未だくすぶっていたらしい。

「先っき捨てた砂の山に登って、バッタのロマンスの結末を見届けよう。」

そんなことを考えて、14代目は「行ってはならない。」と言われていた岩の外の世界へと脚を踏み出していた。


砂山に登ったアリの体を、突風が砂ごと巻き上げる。地面に再び叩きつけられて起き上がったアリが目にしたのは、知らない世界だった。

「バッタは何処へ行ったのだろう。」アリは辺りを見回す。

探せどもバッタの姿は見えない。風がビュービューと吹いて草をシンバルのように鳴らし、ルートにつけた帰り道の匂いがかき消されている。

「今度こそ本当に、帰らないと。」

14代目は出鱈目に歩き回って、帰路を探した。


「そこの君、何処から来たの?」

落ち葉の下から知らない声が呼びかけてきた。声の主は、自分よりも小さなアリだった。

「君は、オスアリだね。こんなところで何してるんだ?」小さなアリは触覚を動かして14代目の動向をうかがっている。

「自分の巣に帰りたいんだ。白い大きな岩の下の。」

14代目は答える。相手のアリは少し怒っているようだ。

「岩の下に住むあのアリか。君の話を聞いたことがあるよ。一匹で巣穴を掘るんだって?」

小さなアリは、笑顔になった。

「君のテリトリーは岩の周りだろ?こんなとこに居たら、約束違反じゃないか。いいさ、私はいま非番だから、今回のことは見逃してあげる。」

戸惑う14代目を見て、小さなアリは続けた。

「(非番)って言っても君には分からないか。一匹で仕事しているんだものね。私は役割分担が変わったところ。これからはキツい外回り。」

「今までの(役割分担)は何だったの?」

14代目は尋ねる。

「卵と幼虫のお世話をする内勤だよ。部屋は暖かくて赤ちゃんは白くて柔らかくていい匂い。大事な仕事についていた自分が誇らしいわ。」

それから、

「未来の女王が生まれたところだよ。姫たちはまだ幼虫。来るのが少し早かったわね。」と、付け加えるとウインクした。



巣に戻ると、父は最後の柱を削り出しているところだった。どうやら柱のアーチをつくろうと、何度も何度も天辺から落下したらしい。腰の動きはぎこちなく、いつの間にか脚も引きずっている。

自分のことを心配した息子に13代目は言った。

「もうすぐ柱が完成する。だから、それまでは私の隣にいてくれ。私の世話は必要はない。柱にレリーフを彫ってくれ。予言には(14代目は匠)とある。お前には彫刻の才があるんだ。レリーフを彫るのはお前に与えられた仕事。一緒に神殿を創るんだ。」

14代目は13代目の背を見つめる。父は歳をとった。筋肉は柔軟を失い、反応は鈍くなり、気のせいか少し小さくなった。それでも、作業の手を休めようとせずに柱を作り続けている。

神殿づくりに携わることができる、それ自体が幸せ。敵に襲われることも仲間の食料にされることもない。ここは生き物のサンクチュアリ。自分たちで勝ち得た聖域。

14代目は、柱を見上げて考えた。削った小石が落ちるたび、こだまはいそがしく立ちのぼる。

きっと、他のアリたちも。

仲間との軋轢をくぐり抜けながら、新しい世代に幸運を託して賭けにで続けることも。命を一滴も無駄にしないように、他のものに自分の命を分け与えることも。我々と同じくらい、幸運なことに違いない。


気付けば日は傾いていた。ヒバリはさえずり足りなかったらしい。再び空へ飛んでいった。

(それで、13代目の危機は去ったの?アリの子は女王に求婚したの?)

ヒバリに聞きそびれたけれど、そんなの野暮な質問だ。

私は、このヒバリの話が15代目のアリから聞いたものだったことを思い出した。

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