斜像 オランダ人伝説とわたしともう一人

にょろん

斜像 オランダ人伝説とわたしともう一人


 昨日、友達と喧嘩した。

 理由は、覚えていない。

 多分、忘れるくらいの、些細なことだったのだと思う。

 その友達、惇美とは昨日一日、そして今日も口を聞いていない。

 さっきも視線が合ったけれど、思わずお互い目を伏せてしまった。

 こんな事では駄目だと、わたしの心はどんより曇る。

 晩秋には珍しく今にも雨が降り出しそうな、今日の空のように。

 ”イッツ、ファン オブ アス”

 何それ一体、どんな意味?

 授業も、全く頭に入らずに右から左へ耳を抜けてゆく。

 拷問のような6限目やり過ごしてしばらく呼吸を整えて、恐る恐る廊下側の窓際、惇美の席を振り返る。

 けれど席はもう空っぽで、わたしは重いため息を吐きながら、鞄を掴んで立ち上がる。

 廊下を通り東館を出て、足を引きずるように歩く。

 旧館の2階にある、新聞部の部室に向かって。


 わたしの通う学校の新聞部は、女の苑だ。

 文芸部も歴史研究会もないここでは、新聞部の看板を上げながらその手の生息場所に飢える濃い人間が集まってしまい、本来の新聞部のお仕事、ジャーナリズム的な活動とは違い、歴史系文芸サークルの様相を呈していた。

 わたしも含めて、他ジャンルからの越境者が女子ばっかりというのは、たまたまだとは思うけれど。

 多分。

 そして今日とて、クリスマス記念号の企画に集ったお姉様方が、本来の議題そっちのけであちらこちらへと議題を脱線させている。

 今日のお題は、聖ニクラウスから転がって、文化祭企画で好評だった学校七不思議の続編、”さまよえるオランダ人”伝説だったのだが……、

「さまよえるオルランド、とは、ちがうの? 」

「違う違う。オルランドはオランダ関係ないし、大体、頭に付くのは狂えるか恋するかだし」

 オランダ人は英語ではダッチだし、そもそも読み方すら似てないよと、世界史系担当ポジの加古先輩がのたまう。

「大体、あれ、シャルルマーニュだから」

「シャルルマーニュ? 」

「カール大帝万歳なお話よ」

 フランク王国とか、カロリング朝とか分からないと萌えないので、日本じゃいまいちマイナーなんだよねぇ、と加古先輩がつぶやく。

「あー、ブラダマンテとルジェイロだぁ、知ってる知ってる」

「ブルガリア王国ネタの方が、スピンオフのおまけだよ! 」

「えー、ブラダマンテ、凛々しいよ」

 加古先輩とかみ合わなさそうでかみ合ったやり取りを交わすのが、文芸系担当ポジの古高先輩。

 突き抜けた言動とあどけない容姿から、一部から”大天使ちゃん”のあだ名を奉られ愛でられている彼女が、貴腐ワインより強烈な趣向を持っていることは、我々女子部員だけが知る公然の秘密だ。

「いや、だから、問題はそこではなく、あ、でも、作品の成り立ちからすると、むしろウリはそこなのか」

 論理では圧倒的に勝る加古先輩がトドメを刺せないのは、古高先輩の住まう腐海の深さゆえか。

「そのお方達って、いつ頃の人なのですか」

「モノホンのカール大帝はおおよそ9世紀頃の人なんだけど、南欧にイスラム教徒が攻め込んでる状況なんかは11世紀から12世紀だし、そもそもオルランド書かれたのが16世紀のイタリアだしね」

「12世紀なら義経だし、16世紀なら信長の時代ね」

 武将総受け日本史担当の靜奈先輩が、自分の守備範囲に引き摺り込んで迎え撃つ。

「そう考えると、義経と静御前のようね。いえ、義仲と巴御前の方があっているかしら」

「時代性は、確かにイスラーム文化と中世西欧文化がぶつかる時期を映しているし、色々とかっ飛ばしたところもあるけど、物語の組み立ては伝統的な悲劇物よね」

 こちらは、神話好き転じてリアル星ヲタの成川先輩。

「オデュッセイアとの相似性はよく言われてるわね」

 皆様方がそれぞれの立場でお題を整形なさるので、本題置き去りで結果が何処へ辿り着くか見当もつかない空中散歩を、いつもはわくわくしながら聞くのだけれど……。

 やっぱり駄目だ、今日は。

 結局この日の部活で私の頭に残った事は、件の”オランダ人”の目撃場所は、大半は東館2階の廊下から中庭方向を見た時という、この学校の生徒でもあまり役に立ちそうにない知識だけだった。

 で、半端に仕入れた無駄知識は早速生きる。

 というか、斜め聞きかじり故に仕返しされた、が、正しいのかもしれないけど。



 部活は、結局お題がまとまらずにまた次回で終り、その頃には、もともと怪しかった雲行きはかなり本降りの雨になっていた。

 駅まで一緒にどうぞって、靜奈先輩の有り難いお誘いを断り、私は机の中に転がした置き傘を取りに教室へと戻ることにした。

 全速力とは行かなくても、自分的にはかなり頑張って走ったつもりだったけど、東館の昇降口に駆け込んだ時には、髪も制服の肩口もぐっしょり濡れていた。

 バッグからスポーツタオルを出して頭に被ると、端で顔の水滴を拭う。

 こんな時には髪が短いのは便利だなとか、これって、駅までタオルを被って走れば良かったかもとか、でもそれだと靜奈先輩に失礼だなぁとか、上履きに履き替える間、埒もないことでぐるぐると頭を巡らせる。

 下校時間はとうに過ぎて、校舎の灯りは消されていた。

 本当は、職員室に断りに行ってから立ち入らないといけないのだけれど、施錠と防犯装置の作動まではまだ時間はあるから、こっそり教室へ向かう。

 校舎の中は完全に闇に包まれ、普段見知った喧噪とは無縁な、静寂が支配する世界になっている。

 廊下の大きな窓を通して、雨が落ちる音と軽く吹き出した風の吹き込む音が、やけに大きく響く。

 何かに見つからないように、足音を慎重に消して、ゆっくり廊下を歩く。

 東館の中央階段踊り場を折り返して2階へ上がる登り口、正面の2階廊下の窓に視線が向いて、思わず足が止まる。

 中庭向きの窓だ。

 ガラス越しにわたしが見たものは、行儀良く並んで宙に浮かび身を震わせる、青白い光の列。

 目にした情景は、間違いなくこの世の物ではなく思えるが、やけに並び方だけが整然としていて、人工的だ。

 心の中では、回れ右して昇降口へ戻りたいのに、吸い寄せられるように、のろのろと階段を昇る。

 足元が、妙にふわふわする。

 昇るうちに、炎の群れが不意に視界から消える。

 急ぎ足で残りの階段を登り、窓へと近寄る。

 灯は、まだそこにあった。

 というか、何処にあったのかが、初めて分かった。

 水浸しの中庭に、船が浮かんでいた。

 風の力で動く、昔の船。

 帆船。

 マストと言うんだっけ?

 中央にそそり立つ柱のようなもの。

 蒼い火は、そのマストに取り付けられた横木で、腰掛けた水夫がまるで歌でも歌っているように、楽しげに揺れている。

 セント・ルイスの灯!

 いや違う、何ちゃらのブロッケン?

 わたしのどうでも良い思考は、視線がマストを辿って下へ降り、船の平らなところの奥の方、こちらからは一段上がって見上げる形になるところに、人影が立っているのに気がつくと、途端に凍り付く。

 距離にして30m程。

 周囲が闇に沈み、青白い炎の他に灯りがない今、本当なら見ることが出来ないはずのその姿が、何故だか不思議な程にはっきりと見える。

 日本の服ではない。

 外国でも、何世紀か前の船長の服だろうか。

 着ているのも、間違いなく外国の男の人だ。

 金髪の巻き毛に、蒼い瞳……

 視線が絡みつくように感じて、慌てて目を逸らしたけれど、遅かった。

 視界の端の口元が動くのと同時に、私の耳元でささやくような声がした、

「そなたは、我に真の愛をもたらすお方か」

 思わず、声のした方向を向くと、3mくらい離れた廊下の真ん中に、船の上で立っていたはずの男の人がいた。

 服は、雨のせいなのかぐっしょりと濡れ、顔色は青白く表情も感じ取れない。

 男の人が、ゆっくりと口を動かす。

 今度は、はっきりと声が聞こえる。

「汝は、我に真の愛を誓うか」

 本当に恐ろしいと思った時には、悲鳴なんて出ないのだと、思い知る。

 男の人がこちらへ手を伸ばし、ゆっくりと一歩を踏み出す。

 逃げなきゃ。

 頭は回るのだけど、足が床に張り付いたように動かない。

 男の人が、ゆっくりと一歩を進める。

 動け足、わたしの足、動け。

 男の人が、重ねて一歩、足を進める。

 そして、わたしへと手を伸ばす。

「来たれ、我が元へ」

 男の顔に、初めて表情が浮かぶ。

 歓喜? 

 いや、得物を捉えた猫のようだ。

 わたし、食べられてしまうの?

「さあ!」

 更に手が伸び、わたしの腕を掴もうとした時に、やっとの事で足が命令を聞く。

 すんでの所で、後ろへ飛び退くと、これまたようやく自由を取り戻した口が、

「人違いです! 」

 と、声を上げる。

 自分的には、精一杯叫んだつもりだけど、多分そんな大声は出せていない。

 そして、振り向きざまに階段を駆け上がる。

 3階、4階、4階廊下も全力で駆け抜け、教室の扉に手を掛けたところで息が切れた。

 恐る恐る振り返るけれど、あれが後ろから追いかけて来る様子はない。

 息を整え、静かに扉を引いて、足音を殺して教室へと入ると、後ろ手でそっと扉を閉める。

 机の中の折りたたみ傘を抜き出して手にすると、大きな窓越しにグランドを眺める。

 すっかり暮れて闇の底に沈む校庭は、雨が降っていることもはっきりせず、遙か向こう側の街灯が、ぼんやりと頼りなげにまたたいている。

 かたん。

 背中で小さな音がして、慌てて振り返る。

 廊下側の壁際に、長い髪を振り乱した黒い影が、立っていた。

「きゃああーーー」

 わたしが、思わず悲鳴をあげると、

「きゃああーーー」

 と、その黒い影が返す。

 きゃあ?

壁際に立つ影に、心を恐怖で鷲掴みされて悲鳴をあげながらも、同時に頭の一部分が、酷く覚めて思考する。

 きゃあって悲鳴、あやかしの類があげるかな?

 もしかしたら、死んだことに気付いていない幽霊とかなら、何かの拍子に驚いて悲鳴をあげるってことも、あるかもだけど……。

 けど、自分が知る限り怪異と云う物は、こちらの都合お構いなしに、いきなり言いたいことを言ってくるのではなかったっけ?

 いや、実際にその手の知り合いはいないので、ソースはあくまでも”聞いた話”だけれど。

 そういえば、新聞部の学祭企画で、西高七不思議の徹底検証をしたっけ。

 東館に幽霊が出るって伝説の元の、校内での死亡事故は、結局デマだったっけ。

 じゃ、この人だあれ?

「沙耶なの? 」

 聞き慣れた声が、わたしへと問う。

「あっちゃん? 」

 わたしは、部室に行く前に一番話をしたかった相手の声に、軽く混乱する。

 だって、惇美の髪って、

「あっちゃん、その髪は? 」

「ああ、解いたままうたた寝していたら,よれちゃったのね」

 言いながら、手櫛で手早くまとめてゴムで括りだす。

「それより沙耶の髪、じゃないの、か」

 わたしは、頭の上でカツラのようになっていたタオルを取る。

「置き傘があったから、この雨だし戻ってくるかと思って、待っていたの」

 そうしたら、うたた寝をしてしまい、何か気配を感じて目を覚ますと、誰か髪の長い人が立っている、ように見えたと。

 わたしも、あっちゃんの髪がよれると、あんな風に爆発するなんて知らなかったな。

「なんか、ごめんね」

「うん、私こそ」

 今更、何を謝れば良いのか分からなくなっていた私達は、言葉だけで軽く禊ぎを済ませて、お互い元に戻った。

「帰ろっか」

「ええ」

「手を繋いでも、良い? 」

「また、何故? 」

 怪訝な顔で尋ねる惇美に、ちょっとね、と、言葉を濁し、わたしはそっと手を差し出した。

 惇美が、そっと手を取ったのを、軽く握り返して、2人で教室を後にする。

 これならきっと、オランダ人もわたしを連れ去ることは出来ないだろう。


 ちなみに、後で分かったことだけど、”オランダ人”伝説というのは、天然パーマで顔の彫りの深く歴史の教科書に出てくるオランダ人の肖像画にそっくりなN先生についたあだ名で、そんな先生が、教え子に口説かれて卒業後に結婚したことが、まるでさまよえるオランダ人みたいだねって冗談に、大きな尾ひれが付いたそうだ。

 めでたし、めでたし。


 ってことにしたいけど、わたしが見たあれは何だったのかって疑問は、消えなかった。


 その日は、惇美と電車を乗り過ごす程に一杯話をして、折り返して普段より少し遅く、いつもの駅に着く。

 あんなに激しかった雨はいつの間にかやんで、雲の切れ間から月と星空がのぞいている。

 成川先輩なら、あの星の名前を教えてくれるのだろうなとか考えながら、駅を出る。

 いつものとおり、駅への大通りを避けて、裏の路地から県道へ向かう。

 そして、突き当たりを左に折れて、県道の歩道をしばらく歩くのだけど……。

 すぐに、何かがおかしい事に気が付く。

 普段通る時間より若干遅めで、強い雨が降った後な事を差し引いても、人通りがあまりに少ない。

 いや、人が誰も居ない。

 それどころか、真夜中ですら車の途絶えることがない道を、車が一台も通らない。

 こちらにも、向こう側も。

 わたしを照らしていた街灯が、不意にまたたいて消える。

 そして、辺りを照らしていた月も、雲が覆う。

 暗闇に取り残されたわたしの頬に、何かが当たる。

 水滴。

 いつの間にか、再び雨になっていた。

 何かに呼ばれたような気がして、振り返る。

 オランダ人がいた。

 相変わらず血の気のない顔に、歓喜の表情を浮かべて。

 そして、あの声で、ささやく。

「さあ! 」

 前を向いて、駆け出そうとしたわたしの足は、動かなかった。

 アスファルトの海には、古ぼけた船がたゆたっていた。

 青白い炎を、そこここにまとって。

「さあ! 」

 耳元で、声がする。

 男の手が、わたしの腕を掴むのを感じる。

 助けて!

 動かない唇を、懸命に振るわせる。

 助けて、誰か!

 けれど答えはなく、私の意識は、黒く塗りつぶされていった。


「危ない! 」

 不意に耳元で声がした。

 同時に、腕が反対に引かれる。

 光の中に戻ったわたしは、県道の歩道で、見事な尻餅をついていた。

 わたしの腕を取り、上半身を支えている声の主は、折り返す駅で別れたはずの、惇美だった。

「あっちゃん、どうして? 」

 言葉が続かない。

 何を聞けば良いのか分からなかったから。

「別れ際に、変な人が沙耶のことを見ていた気がして、とても気になって」

 それで後を追ってきたところで、わたしがトラックの近づいてくる車道へ飛び出しそうになり、慌てて止めたのだという。

 わたしは、惇美に取りすがり、しゃくりあげる。

「ありがとう、あっちゃん」

「いえいえ、どういたしまして、かな」

 言いながら髪を撫でてくれる、惇美の手のひらの感触が心地よい。

 泣きながら、心の中で誓う。

 もう二度と、友達を裏切りませんと。

「私達は、いつも一緒だからね。何処までも」

 妙に底冷えのする声で言う。

 その時の、惇美の表情を、わたしは目にしていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

斜像 オランダ人伝説とわたしともう一人 にょろん @HK33

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ