第200話 夏のはじまり


 当初約束していた通り、俺たちは、友人である望が出場する試合の応援のため、県営の野球場へと足を運んでいた。


 大会はまだ1回戦と始まったばかりではあるものの、相手チームはそれなりの強豪らしく、相手側の観客席には、応援団らしき人達が多く陣取っている。対するこちら側は、父兄の人たちがいるものの、基本はまばらで、制服を着ているのは、俺たちぐらいしかいない。


 まあ、個人的には、こちらのほうが窮屈しないので応援しやすいか。


「真樹、日焼け止めまだでしょ? 私、持ってきてるから塗ってあげる」


「ん? 俺は別にそこまで気にしないからやらなくても……」


「ダーメっ。これだけ日差しが強いと、帰るころには真っ赤になっちゃうんだから。ほら、首筋からやったげるから、さっさとあっち向く」


「……はい」


 観客席に座るなり、いつものように海が俺に世話を焼いてくれる。一応、熱中症の対策として、帽子やタオル、それに飲み物などは用意しているものの、肌のケアのほうまでは忘れていたので、こうして気づいてくれるのはありがたい。


 ……人前でもかいがいしく世話を焼いてくるので、ちょっとだけ恥ずかしいのはあるが。


「あ~、海ったら、また真樹君とばっかりいちゃいちゃしてずるい。ね~ね~私は? 私にも日焼け止め塗ってほしいな~」


「新奈、ほら、お嬢様がこう言ってるよ。やってあげなきゃ」


「いや、こっちに振んなし。ってか、夕ちん、さっき自分でがっつりやってたでしょ。わがまま言わないの」


「む~、二人のけちんぼ~」


 出来るだけ日陰の多い、目立たないところに陣取ってはいるものの、やはりこの三人がいると、それなりに周囲を目を引いてしまう。


 海、天海さん、新田さんのいつもの三人。俺からすれば馴染みの顔ぶれで、大事な友達……と、大切な彼女。


 試合が始まれば皆グラウンドのほうに集中するだろうが、今のところ、俺たちの集団は、それなりに注目を浴びているような気がする。


 聞こえてくる声は、大体今までと似たようなものだ。まず天海さんの存在に、他校の生徒たちがざわめき、それからその両隣の海と新田さん、そして最後に海の隣にいる添え物の俺へ。


 ……こういうのはもう慣れっこなので、何食わぬ顔で聞き流すことに。


 と、ここで俺の隣に腰かける女性が。


「モテる男はつらいわね、前原君。はい、お水」


「ありがとうございます絵里さん。……まあ、言いたい人には言わせておこうかなと思います」


「あら、前原君ってば格好いいこと言うようになったじゃない。これでウチのロッキーにも動じなくなってくれればさらに完璧なんだけど」


「それは……ちょっと無理かもしれません」


 遅れてやってきたのは、天海さんのお母さんである天海絵里さんだった。元々、球場までは徒歩と電車で行くつもりだったのだが、天海さんから話を応援の話を聞いてすぐに『私が車出してあげるから』と言ってくれたのだ。


「お母さん、遅かったね。もしかして、駐車場混んでた?」


「ううん。ちょっと道行く人にファンサービスしててね。はい、皆にも冷たい飲み物ね」


「ファンサービス? 最近なかったのに、珍しいね」


「本当にね。同年代のお母さんだったけど、声かけられるなんて久しぶりだったから、私もびっくりしちゃった」


 もうすでに引退して随分経つらしいが、絵里さんは元芸能人で、モデルやタレント活動をしていたそうだ。俺がこの県に引っ越してきたのはつい2年程前なので知らなかったが、海によると、地元では割と有名だったらしい。


 本人曰く『しがないローカルタレント』とのことだが、それでも『しがない』程度なのかと思うほど若々しく綺麗だ。


 海の母親である空さんもそうだが、俺の母さんとは比べ物にならない。


 母さん、空さん、絵里さんはともに同年代のはずなのだが、どこで差がついたのだろうか。


「……真樹、ちょっと絵里さんのほうジロジロ見過ぎじゃない?」


「え? いや、絵里さんと天海さん、改めて見ると、すごく良く似てるなって思って……」


 こうして近くで二人のことを見るのは海の誕生日会以来だが、髪色以外は本当によく似ている。多少歳の離れた姉妹、と言われても信じてしまいそうだ。


「あら、前原君ってば、こんなおばさんに興味があるの? もう、いくら私が美人だからって、人妻を口説くなんてダメよ。めっ」


「……ねえお母さん、お世辞って言葉知ってる? っていうか、恥ずかしいからそういうのやめてよ」


「え~? いいじゃない、別に。たまには私にも若い男の子のエキスを吸わせてよ」


「わっ、『私にも』って、私は別に真樹君の……なんか吸ってないもん!」


「ん? 夕、今なんて言ったか聞こえなかったから、もう一度言ってくれない? 前原君の? 何を吸ってないって?」


「っ……! も、もうお母さんのバカっ、おばさんはあっちいけっ」


「あ、夕ったらひど~い」


 そう言って、俺や海そっちのけで、天海家親子の取っ組み合いが始まる。


 俺からすればお茶目な行動だが、娘である天海さんにとっては恥ずかしくてしょうがないだろう。


 もし、俺が天海さんの立場なら、羽交い絞めにして敷地外に放り出すところだ。


「あのさ、海……もしかして、天海さんと絵里さんって、いつもあんな感じ?」


「ん~……まあ、ね。夕は否定してるけど、ああいうお茶目なところは親子そっくりだと思うかな」


 二人の接し方はまるで『友達』や『姉妹』のような雰囲気だが、それもまた一つの形だと思う。


 俺と母さん、海と空さん、そして、先日のような陸さんや雫さんと怜次君――それぞれが最良と思う関係性であれば、それで問題ないのだ。


「……ところでさ、まだ私、真樹からまだ『ごめん』されてないけど」


「あ~……っと、やっぱり、言わなきゃダメ?」


「もちろん。言ってくれなきゃ、私、ずっとへそ曲げちゃうから」


 そう言って、海は俺から体を離して、ぷい、と顔を背ける。


 密着していると余計に汗をかいてしまうので、こちらのほうが比較的涼しくていいのだが、しかし、いつものぬくもりが傍にないのも、それはそれで落ち着かなくなったりで寂しい。


 ……なので、今度は俺から海のほうへと体を寄せて、ぼそりと耳打ちする。


「――ごめん、海。今日の海も……その、すごく可愛いよ」


「……具体的には?」


「間違ってたら申し訳ないけど……前髪をほんのちょっとだけ切ったのと、後は、爪かな? 綺麗にしてるのと、今日は香水を少しつけてるぐらい……だと思うんだけど」


「ふむ。で、いつ気づいた?」


「今日の朝、海の家に迎えに行ったときかな。香水は少し前だけど」


 海のことはいつも見ているので、少しでも変化があればすぐに気づく。


 ちなみに『可愛いよ』と海に言ったのは今日二回目だ。


「……許す」


「うん。ありがとう、海」


「……ばか」


 そう言って、海は再び俺の腕にくっついてくる。


 先日の旅行直後は色々なことがあったせいか気まずく、お互いに恥ずかしがって距離を取っていたこともあったが、そこから一週間であっという間に元通り……というか、これまで以上にくっついていることが多くなっている。


 というか、これでもまだ人前なので気を使っているほうだったり。


「……アンタらさ、一応は試合見てやんなよ。応援なんだから」


 呆れた表情で呟かれた新田さんの意見には全面同意しかない。二人でじゃれ合っているとついつい自分たちだけの世界に入り込んでしまうのだが、本来の目的は望の応援だ。


 デートに関しては、また後日、別の機会をちゃんと用意している。


 マウンドに目をやると、ちょうどプレイボールの声がかかったようで、先発ピッチャーの望が一球目を投じるべく振りかぶっている。


「望君、頑張れ~!」


 いつの間にか絵里さんと和解した天海さんから大きな声援が飛ぶが、望がそれに動揺している様子はない。バッターとの勝負に集中しているようだ。


 パシンとミットを鳴らす音と、審判の甲高いストライクコールが球場全体に響く中、俺たち学生にとっての本格的な夏が始まろうとしていた。

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