第194話 年下からのお願い


 ※※※


 ひとしきり話した後、陸さんは天井を見上げてふうと小さく息を吐く。


 こうして陸さんの過去を聞くのは初めてだったが、俺や海以上に、挫折や葛藤を経験した学生時代だったらしい。


 おそらくだが、海にもここまでの話をしたことはないだろう。


「……あの時、素直に告白を受け入れるべきだったってのは、わかる。恋にかまけず勉強に集中しろ、なんて言うのは単にモテないやつのやっかみみたいなもんで、中にはお互いに励まし合いながら普通に合格してるのもいるわけだから」


 受験は自分との戦いという側面もあるから、そういう時に、隣で励ましてくれる友人や恋人がいれば心強いだろう。


 俺の場合だと海になるのだが、彼女が傍にいてくれるおかげで、学業の成績もかなり伸びつつある。今年は一歩及ばずだったが、来年は海と一緒に進学クラスに入れることだろう。


 話を聞く限り、当時の陸さんも俺と似たようなメンタルをしているから、直前とはいえ、雫さんが隣にいれば、状況は厳しいにしても、余裕を持って試験に臨めたかもしれない。


 しかし、陸さんはそうなることを良しとしなかった。


「こんな格好悪いところ、好きな人に見せたくない、幻滅されたくないって思ったんだ。自分が大した人間じゃないことは、自分が一番わかってるくせに、見栄張って、大きく見せようとして。……当然、試験はダメで、念のために受けておいた地元の私立大学にようやく滑り込んだ。予定通りにはいかなかったけど、道が閉ざされたわけじゃないからな」


 元自衛官ということからもわかる通り、陸さんはその後、試験に合格して、幹部候補生として働き始めている。


 しかし、ここからさらなる挫折が……となるのだろう。


「あの……訊きにくいんですけど、仕事を辞めた理由っていうのは」


「馴染めなかったってのが一番だな。仕事もそうだし、同僚とも。体力的にも精神的にもタフさを求められる仕事ってのは理解も覚悟もしてたから、そこから三年ぐらいは意地になって続けてたけど……ある日突然体が動かなくなってさ。親父に説得されて、辞めた」


「そう、だったんですね」


「申し訳なさそうな顔するな。もう治ってるし、今はマジでごろごろゲームしてるだけだから。かわりに怠けものになっちまったけど」


 陸さんに対して、大地さんや空さんがそこまで厳しく言わないのは、そういう事情もあったからなのだろう。うるさく言わず、陸さんが自分の意志で動くまでじっと見守る――まあ、それでも最近は風当たりが強くなりつつある気もしているが。


「……だから、言えないだろ。言えるわけがない。俺は無職で、自分のことをまず第一にしなきゃいけない時に。実はずっと好きでしたって、あの時は情けないこと言ってごめんなさいって、今さら言って何になる? 結婚して、離婚して、子供までいるアイツにそんなこと言っても困らせるだけだ。もう俺たちは、お前たちみたいに子供じゃない。大人なんだ」


「そうですね。……確かに」


 陸さんの言う通りだとは思う。これから雫さんとお付き合いをするとなると、怜次君のことは絶対に避けては通れない道だ。今まできちんとした恋人のいなかったであろう陸さんが、シングルマザーの雫さんと付き合うなんて、いくら幼馴染とはいえ、越えなければならないハードルが多すぎる。


 だからこそ『ただの幼馴染』として、これからは二人別々の道を行く、と。


「わかりました。陸さんがそう思っているんだったら、俺は陸さんの意見を尊重しますし、それでいいと思います」


「……バカみたいにお説教しないのか? いいんだぞ、別に。全部俺のせいだってのは、自覚してるんだから」


「海はともかく、俺なんてついこの間まで挫折すらも避けてきたような子供ですから。今まで苦労してきた陸さんに偉そうにお説教なんて、できるはずがないです」


 海という幸運に恵まれただけの俺が、10歳以上も歳の離れた陸さんに何かを言っても、きっと説得力がない。


 もし仮に、俺が陸さんに何か言えることがあるとすれば、それは。


「……もう十分浸かりましたし、そろそろ上がりましょうか。あんまり遅いと海が心配しちゃいますから」


「だな。アイツ、お前にだけは過保護かってくらい心配性だからな」


「そういうこところも含めて可愛いと思いますよ、俺は」


「物好きだな。まあ、そう思うなら大事にしてやってくれ」


「はい」


 話を終えて用事を済ませると、浴槽から上がった俺と陸さんはすぐさま浴衣に着替える。


 お互いに無言のまま、ものの五分で全ての支度を終える。目的がなくなったぼっちは、やることが速やかなのだ。


「真樹」


「? はい」


「……その、話を聞いてくれて、ありがとうな。今までこんなこと話せるようなヤツいなかったから、ちょっとだけ楽になった」


「どういたしまして……と言いたいところですが、お礼なんていいですよ。そのかわり、一つだけやってもらいたいことがありますから」


「お礼って、なに――」


 ――りっくん。


 浴場の出口を出た瞬間、そんな声が陸さんの耳へと届く。


 図ったかのように現れたのは、海に連れられて、戸惑いの表情を浮かべる雫さんだった。


「真樹、お前――」


「陸さん、お願いです。さっきに俺に話してくれたこと、雫さんにもちゃんと話してあげてください。もう遅いかもしれませんけど、でも、このまま二人、別々に結論を出すのが良くないことだけはわかりますから」


 余計なお節介を焼いたところで、状況は変わらないかもしれない。これで簡単に昔のように戻れるのなら苦労はしないのだから。


 ただの幼馴染として別々の道を行くのならそれでもいい。でもその前に、結論を出すのなら、きちんと陸さんの胸の内を話して、その上でどうするかを決めて欲しい。


 年齢のこと、お互いの仕事のこと、今までの生活のこと、そして、お互いに対して抱いている純粋な気持ち――そういうのを全て加味した上で、大人として、総合的な結論を出して欲しい。


 それが、年下である俺からのお願いだ。

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