第192話 陸の悩み 2


 ――――――――――――


 ※※※



「……これは、良くないな」


 それは高校3年の冬。


 つい先日受けたばかりの全国模試の結果を眺めながら、俺、朝凪陸は絞り出すように呟いた。


 志望校判定、D。年が明けたら、瞬きしている間に受験本番を迎えてしまうようなこの時期に、この成績はさすがに落ち込む。


 当然、遊び惚けていたわけではない。俺はどちらかというとインドア派だったし、昼のショッピングモールや夜のコンビニで毎日たむろするような交友関係は持っていなかったから、そういうやつらを横目に、参考書や英単語帳とにらめっこをして、少しでも成績を上げようと頑張っていた。


 ……そのつもり、だったのだが。


 このあたりで『どうだった?』と訊いてくるような友人がいればよかったのだが、生憎、このクラスにはそういう親しい関係のクラスメイトは誰一人としていない。


 ダメだった、と大袈裟に凹んでみせることもできず、ただ、結果に対して真摯に向き合って、本番に向けて少しでも努力を重ねていくしかない。


 解答用紙をぼんやりと眺めつつ、どこをどう間違えてしまったのかを確認していると、ふと、後頭部にこつんと何かが当たる感触が。


「――おっと、悪いな朝凪。当たっちまった。ゴミ箱に向かって投げたつもりだったんだけど」


「……松田か」


 声のするほうに首を向けると、クラスメイトの男子がへらへらとした顔でこちらに向かってくる。名前は松田まつだ。クラスの中では最も目立っている男子の一人で、クラスで一人でいることが多い俺みたいな人間にも、気さくに話しかけてくれる。


 足元を見ると、先程配られたばかりの模試の成績表で作られたらしい紙飛行機が転がっていた。


 定期テストの通知表ではないので、丸めて捨てるも大事に持ち帰るのも本人の自由だが、高校生になってこの使い方はちょっと幼稚ではないか……といっても、特に親しい間柄でもないので言うつもりもないが。


「松田、これ、捨てていいのか?」


「ん? ああ。進学しない俺には必要のないものだしな。あ、でも、一応点数については内緒な」


 丁寧に折られた紙飛行機の目立つところに、でかでかと『E』の文字が躍っている。おそらくまともに解答していないのだろう、どの教科も、点数のほとんどが一桁だ。


 ウチの高校は進学校ではないので、進学と就職は大体半分ぐらいに分かれる。といっても、進学の中には専門学校や短大なども含まれるので、俺のようなレベルの高い大学への進学を希望する生徒の割合は、さらに少なくなる。


 実際、クラス内は、もうすぐ冬休みということもあって、休みはどこに行くとか、なにして遊ぶとか、高校3年生とは思えない浮ついた空気が中心で、むしろ俺みたいに悲壮な空気を纏っているほうがレア扱いされていた。


「朝凪、辛気臭い顔してんな。今日の帰り、俺たちと合コンでも行くか? ちょうど一人欠員が出てさ、代わりどうよ?」


「……無理に決まってるだろ。勉強しなきゃいけない」


「わかってるよ、そんなこと。でも、たまには休まないと、本番で息切れしちゃうんじゃねえの? 俺は就職組だから知らんけどさ」


「……お前はいいな、気楽で」


「そう見えるんなら、それは俺が適度に息抜き出来てる証拠だな」


 前にちらっと話してくれたが、彼は親戚が経営している電気工事店に就職が決まっている。工事をするにも資格の勉強は必要だが、それは仕事で経験を積みながら、後々取得するつもりらしい。


 彼がすでにアルバイトとして働きに出ているのは知っている。さっきの俺の言葉がただの憎まれ口であることも。


「とにかく、俺はもう帰る。そっちはそっちで、せいぜい就職する4月まで楽しんでおくんだな」


「ああ、そうする。お前も勉強頑張れよ」


「言われなくてもな」


 彼とここまで話すことなんて指で数えるほどしかないが、それだけ試験結果を見た俺の顔がひどいことになっていたのだろう。気を使ってくれた彼に内心感謝しつつ、俺は一足先に教室をあとにする。


 ……後、息抜きが必要なのはわかるが、それでも合コンには行かない。


 そんなところで探さなくても、俺にだって仲のいい女の子はいるのだから。



 〇


 

 その女の子は清水雫しみずしずくといって、幼稚園時代からの幼馴染だ。小学校高学年の時に妹が生まれ、それを期に引っ越してからは離れ離れになっていたのもの、手紙だったり、携帯を持つことをお互いに許されてからは、電話やメールで近況を報告しあう仲だった。


『今日の夜、電話してもいい?』――今朝もちょうどそんなメールが来ていて、それに対して『もちろん』と返信していたわけだが、それなりに自信があったはずの模試の結果を知ってしまった今となっては、彼女と話すのはあまり気が乗らなかったりして。


「……はい」


『りっくん、久しぶり! 元気やった?』


「久しぶりって、この前電話したばかりじゃないか」


『いやいや、一週間経ってるってば。で、最近どう?』


「この前と同じ」


『もう、りっくんってば、またそんなこと言って』


 電話口の向こうで、彼女がくすくすと笑っている。


 最近会っていないものの、声を聞いている感じ、彼女はここ一年ほどでぐっと大人になった気がする。最近、学校の友達と撮ったという写真がメールで送られてきていたが、美人になっていた。


 きっと高校でもモテているに違いない……まあ、そんな格好悪いこと、訊けるはずもないのだが。


『ねえ、もうすぐ冬休みだけど、今年はどうする? 帰ってくるよね?』


「多分……さすがに来年以降は難しいかもだし」


『そうだよね。私もりっくんも、遠方の大学だもんね』


 彼女も当然進学を希望していて、成績もかなりいいと聞いている。本人は『田舎町の高校だし大したことないよ~』と謙遜しているが、母さんの話によれば、難関の国公立にも合格できるほどの学力らしい。


 頑張ってD判定の俺とは天と地ほどの差だ。


『ところで、センターまで1か月切ってるけど、勉強のほうはどう? うまくいってる?』


「まあ、そこそこ……かな。一週間前と同じだよ」


『そう? ならよかった。りっくん、あんまり元気なさそうな声してるかなって思ったから、心配で』


「……別に。最近徹夜でずっと勉強だったから、寝不足気味なだけだ。今日は早めに寝るよ」


 彼女には今日の模試の結果は伝えていないし、母さんにも口止めしているのでわからないはずだが……さすがは幼馴染と言ったところか。


 そうやって俺のことを気にしてくれてるのは、正直に言って嬉しい。


 ……そのはず、なのだが。


「そういうしぃちゃんはどうなんだよ? そっちこそ、遊んでる暇あるのか?」


『もちろん勉強はしなきゃだけど、でも、今さらじたばたしてもしょうがないし、両親も今は体調を整えることに専念しろってさ。だから、年末年始ぐらいはりっくんと遊びたいなって……その、会って話したいこともあるし』


「……話したいこと? 話ならこうしていつもしてるけど」


『うん。でもほら、やっぱり電話よりも、会ったほうが色々伝わるでしょ? 相手の顔とか、感情とか……私も受験でそれなりに不安だから、元気づけてほしいかなって……ダメ?』


「……いや、別に構わないけど」


 彼女からのそうおねだりされてしまうと、どうにも突き放せない。


 上目づかいでいつも俺の手を握って甘えて、俺が『いいよ』と言うと、本当に嬉しそうな顔で喜んで――そうやって、俺たちはこれまでやってきた。


『ふふ、ありがと。やっぱりりっくんは優しいね』


「べっ……別にこれぐらい普通だよ、普通。じゃあ、俺はもう寝るから、そろそろ電話切るぞ」


『え~まだ電話出て10分ぐらいしか経ってない。あと1時間ぐらい話そうよ~』


「その1時間を勉強に充てろよ受験生。じゃあ、俺は勉強に戻るから」


『は~い。でも、帰ってきた時はいっぱい話そうね。約束だよ』


 年末の約束を取り付けてから、俺は通話を切る。


 彼女と話すのは嫌いじゃないし、いつもなら最低30分ぐらいは他愛のない話をして過ごすことがほとんどなのだ。


 しかし、今、この時だけは、余裕そうに話す彼女の声が、なぜか気に障ってしまって。


「……勉強、しなきゃな」


 雫ははっきりとは言わなかったが、母さんの話によると、同じく全国模試を受けた彼女の志望校の合格判定はA。無理しなくても、このまま油断しなければ余裕だとお墨付きをもらっているそうだ。


 AとD。受験まであと1か月というところで、この隔たりはあまりにも痛い。


 どうして俺は、こんなにもダメなヤツなのだろう。


 親に見せた模試の結果を丸めてゴミ箱に捨て、俺は今日も机へと向かった。

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