第189話 男同士の約束
二人がいなくなったのを確認してから、俺と海は来た道をゆっくりと引き返し、海は借りていた自転車と空になった重箱をみぞれさんに返すためにいったん朝凪家の実家へ、そして、俺の方は先に旅館へ戻ることにした。
「! あ、真樹君、お帰りなさい」
自転車を所定の場所に止めてからロビーに入ると、すでにいつもの仕事着に戻っていた雫さんが出迎えてくれる。
どうやら俺たち以外にお客さんが入ってきたようで、そちらの対応をしているようだった。
「どう? 海ちゃんとのデートは楽しめた?」
「はい。水は綺麗だったし、周りも静かだったので、二人きりでびしょびしょになって遊びました」
「そう、よかった。本来の利用時間帯はまだだけど、お風呂の準備はもう出来てるから、露天風呂でも大浴場でも、好きなほうでどうぞ。ところで、海ちゃんは?」
「海は自転車とかを返しにみぞれさんの家に……陸さんと一緒に車で帰ってくるそうです」
「……そう。じゃあ、その時の夕食の都合を聞くようにしましょうか」
陸さん、という言葉に雫さんが一瞬動揺したような表情を見せるが、すぐに元の仕事モードへと戻る。
話を聞こうかと思ったが、今は迷惑になりそうなので、夕食時やその後など、手が空いた時に改めることに。
陸さんのほうは海が今ごろ問い詰めているところだろうから、雫さんから話を聞くのはその後でも遅くないと思う。
雫さんが話す気になってくれるのなら、ではあるが。
いったん部屋に戻った俺は、浴衣に着替えて一足先に大浴場のほうへ。さすがに昨日のように一緒には入れないし、露天風呂だと昨日のことを思い出してしまうので、帰る途中に海と二人で話して、今日は別々の時間帯で入ることにしていたのだ。
ということで、今日の疲れと汚れを落とすべく、1階のいつもの廊下を歩いて入口へと向かったのだが。
「……あれ?」
入口の前には、赤字で『掃除中です』と書かれた小さな黄色い看板が置かれている。
確か、掃除自体は朝のうちに終わっているはずで、担当の雫さんからもOKをもらっているので、そうなると片付け忘れか。ただ、『しみず』には雫さんのほかに従業員がいるので、もしかしたらその他の設備の点検をやっている可能性もある。
ちなみに露天風呂のほうには何もない。
「とりあえず、中の様子を見てから判断するかな……」
ひとまず浴衣を着たまま、誰かいないか浴室の中を覗いてみることに。脱衣所を見ても、他のお客さんがいるような形跡はないので、失礼にはあたらないはずだ。
失礼します、と一人呟いてから、ドアを開ける。
まず結論として、従業員の人は誰もおらず、特にどこかの設備に問題があるということもなかったのだが。
「――あ、おにいちゃん!」
「! 怜次君」
湯気の湧きたつ浴槽のほうへ目を向けると、ちょうど入浴中だったらしい怜次君が、俺の存在に気づいてぱっと顔を明るくさせる。
従業員でもお客さんでもないけれど、先客のほうはいたらしい。
他のお客さんならともかく、怜次君なら問題ないので、俺も入らせてもらうことに。
シャワーで先に体を洗ってから、俺は怜次君のすぐ隣へ。
「あの黄色い看板置いたのって、もしかして怜次君?」
「うん。ママがそうしろって」
やはりそうだったか。利用時間外の使用とはいえ、見落とす人もいるだろうから、そのために雫さんが教えたのだろう。そして、俺が早めに入ったとしても、怜次君とはもう顔見知りだから問題ない。
「でも、おきゃくさんがきたらあがらなきゃ……」
「いいよ、別に。見た感じ、まだ入ったばかりでしょ?」
「うん。でも……」
「大丈夫。俺が早く入らせてもらってるだけだし、他のお客さんが入ってきても、俺と一緒にいれば兄弟だと勘違いするだろうから」
せっかくこれからお風呂であったまろうという子を追い出すのも悪いし、これはこれで楽しそうなので個人的には問題ないだろう。
「きょうだい……うん、わかった」
納得したのか、怜次君はもう一度肩までゆっくりとお湯につかり、すすす、と俺のほうにゆっくりと寄ってくる。ゲームを一緒にやって打ち解けたのもあって、完全に懐かれている形だ。
幼い子供の扱いについては、今まで勝手に苦手意識を持っていたものの、怜次君のおかげで少しは改善されるかもしれない。
「おにいちゃん、あしたかえるの?」
「ん? うん。できればもうちょっと休みたいけど、学校もあるし。怜次君は?」
「あしたからようちえん」
「そっか。じゃあ、同じだね」
「……うん。でも、あんまりいきたくない」
「どうして?」
「たのしくない。おにいちゃんとゲームしてたほうがいい」
この地域に引っ越してきてまだ一年ほどのはずだから、まだあまり新しい土地での生活に慣れていないのだろう。俺も以前までは同じような状況を何度も経験しているから、そのことはとてもよく理解できる。
俺はその当時、まだ家族がいたから良かったが、怜次君はこの時点でお父さんがいないわけで、そう考えると俺よりも遥かに辛い思いをしている。
「そっか。わかるなあ、その気持ち」
「おにいちゃんも?」
「うん。俺も少し前まではずっとひとりぼっちでさ、幼稚園も、学校も全然楽しくなかったよ。怜次君と同じで、家には母さんだけだし」
「おにいちゃんもパパいないの?」
「うん。怜次君と同じ」
「さびしくない?」
「少し前までは……でも、今は海が……俺と一緒にいたあのおねえちゃんがいるから」
改めて、俺は友達に恵まれていると思う。高校一年の夏までは自分の殻にこもりきりだったけれど、海と仲良くなってからは、ちょっとずつ友達の輪が広がっている。
「おねえちゃんは、ともだち?」
「うん。一番大事な友達」
「いいな。ぼくもともだちほしい」
「怜次君にもできるよ、きっと」
「いつもひとりでも?」
「うん。怜次君が望めば、きっとすぐに」
中学時代まで俺に一切友達ができなかったのは、環境のせいではなく、全て自分のせいだ。
どうせまた転校するから、こんな俺なんかと仲良くしたいヤツなんて誰もいないから――心のどこかで諦めていたから、俺はずっと一人だった。
しかし、海と出会ってからは違う。仲良くなりたいと勇気をもって手を伸ばせば、手を取ってくれる人はいると知った。もちろん確実ではないし、中には悪い奴もいるだろうが、それを身をもって学ぶにはやはり勇気を出さないと始まらないのだ。
怜次君を見る。4歳かそこらとは思えないほど、俺のことをしっかりと見据える賢い瞳。
「明日すぐにやれ、だなんて言わないよ。誰だって勇気を出すのは怖いし、いきなりだと他の皆も困っちゃうから。でも、もし、それでも怜次君が仲良くしたいって思う子がいたら、その時は、勇気を出して話しかけてほしい。俺もそうやって、おねえちゃんといっぱい仲良くなれたから」
今までダメダメだった俺が言うのもなんだが、しかし、身をもって得た教訓なのは間違いないので、それぐらいは伝えてもいいはずだ。
「……よくわかんない」
「はは……ごめん。俺もこういう時、なんて話せばいいかわからないから。でも、せめて今日、俺と一緒にこうして話したことだけ、覚えていてほしいかな」
そう言って、俺は怜次君の頭をぽんぽんと撫でる。一瞬、父さんと同じことをしたと思ってはっとしてしまったが、別に悪いことではないなと思い至り、ひとまずそのまま続けることにした。
「……おにいちゃん」
「なに?」
「ともだちになって」
「……いいよ」
そんなことを言わなくても俺と怜次君はもう友達だが、今はまだこれでいいのだと思う。
ちょっとずつ、学んでいけばいいのだから。
その後はゲームの話をしつつ、ゆっくりとお風呂に浸かり、併設のサウナにも入り、冷水を浴びてさっぱりして大浴場を満喫してから、俺は怜次君と一緒に風呂から上がる。
「じゃあね、おにいちゃん」
「うん、また。約束ね」
そう言って指きりをし、俺と怜次君は別れる。
明日は朝早めに帰る予定なので、次回いつ会えるかはわからないものの、友達なら、いつだってその機会は訪れるはずだ。
お互い『友達』だと、『大事な人』だと思っていれば、その縁は切れることはない。
……その縁を、自らの手で切ろうとしなければ。
俺は、怜次君と別れた後、そのままロビーにいる雫さんのもとへ。
「雫さん」
「あ、お帰りなさい。どう? ゆっくりできた?」
「……陸さんとのこと、聞かせてください」
「! えっと……」
ここからはもう完全なお節介の領域だが、ここは『子供』の意見をぶつけてみようと思う。
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