第172話 到着と再会
必要なもの、それほど必要でないもの、基本は無駄だがもしものときに必要なもの(1箱900円)をそれぞれ買い込み、いよいよ朝凪家の実家へと続く山道へと入っていく。
まだ時間はお昼のはずだが、周囲が高い木々に囲まれてるせいか、道路は若干薄暗い。この先にあるトンネルを抜けると明るくなるそうだが、もしこの場所で一人ぽつんと置き去りにされたら、確実に遭難する自信がある。電波は普通に通っているのでスマホがなければ、の話だが。
カタカタと小刻みに揺れる車内で、俺は海にふと訊いてみた。
「海、そういえばさ、みぞれさん、ってどういう人?」
「みぞれお婆ちゃん? ん~、私はそこまでここに来たことないからそこまでわかんないけど、でも優しいと思うよ? 行く前にちょっと電話で話したんだけど、すごく嬉しそうにしてたし、真樹のことも話したら、一緒においでって言ってくれたから」
「そっか、ならよかった」
みぞれさんにとってみれば俺は完全な部外者なので、これまでの空さんや大地さんとのやり取りや話の内容から、許可はしても歓迎されていないんじゃないかと心配だったが、それなら幾らか安心だ。
「婆ちゃんが優しい……か。まあ、海は婆ちゃんにとって待望の孫娘だから、そりゃお前には優しいだろうよ。会う機会も年に1回あるかないかだし、多少の我儘は許してくれるさ」
「陸さんは一緒に住んでた時期もありましたものね。……ちなみに陸さんに対しては?」
「……きびしい。理不尽ではないが」
「……なるほど」
陸さんの言葉でだいたい察してしまったが、礼儀正しくしていれば、少なくとも俺のほうは問題なさそうだ。
後、俺たちの話に無言で耳を傾けている空さんの笑顔がやけに怖い圧を放っている気がするが、そこについては触れないようにしよう。
ふと俺と海が結婚した場合のことを想像してしまったが……俺たちの場合は海と母さんは仲良しだし、母さんと空さんも仲が良いし、俺も空さんや大地さんのことを尊敬しているので、その点は恵まれていると思う。
「大丈夫よ。あの人、外面だけはとってもいい人だから、いつもの真樹君みたいにしっかりしておけば、きっと好かれると思うわよ? うふふ……」
「そう、なんですね……」
空さんの口調はいつものように穏やか……のはずなのだが、一つ一つの言葉選びに棘があるような。
内心思うところはあるにせよ、そこは割り切って、やるべきことはきちんとやる……やっぱり大人はそれなりに大変だ。
「海」
「……うん」
俺たちは両方の家と仲良くできるよう頑張ろうな、という意味を込めて、俺と海は、繋いでいた手をしっかりと握りなおした。
※
そこから、陸さんの丁寧な運転(別に空さんの運転が乱暴とか、そういうことではない)と、それからほどよい車の揺れで、海と二人一緒になってうとうととしていると、トンネルを抜けたところで、ようやく明るい場所へと出た。
山間部にある、小さな街……いや、こういう場合集落と言っていいのだろうか。転落防止のガードレールの向こうには棚田が広がっていて、その麓に民家などが密集している。そこから離れた施設には、そこそこ大きな建物が見える。
おそらくあそこが俺たちの宿泊するところになるのだろう。
もう少し景色をしっかりと見たくて窓を開けると、ふと、緑や土の匂いのほか、少し臭いような空気が車内に入ってきた。
「……海、なんか臭わない?」
「あ、わかった? ここ、規模は有名なとこに較べたらそんなにだけど、温泉がわき出てるんだ。私たちが今日泊まる旅館で管理してるんだって」
「へえ、そうだったんだ」
「あ、ちなみに混浴とかはないっぽいから、入る時はもちろん別々ね。……一緒に入れなくて残念だった?」
「別にそんな……ってか、なんで今そういうこと言う……」
確かに残念な部分も内心はあるが、二人きりならまだしも、他の人が入ってくるかもしれない状況は個人的には緊張するので良くない。
……ただ、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、タオル一枚で露天風呂に佇む海の姿を想像してしまったが、そこは俺も男なので許してほしい。
「おいお前ら、そろそろ着くから窓閉めろ」
そこからものの数分で、みぞれさんの家の前へと到着した。俺や海、陸さんの荷物は旅館に置くので、空さんが持っていく荷物だけを降ろし、玄関へと向かった。
昔ながら、と言っていいのだろうか。瓦造りの屋根の二階建ての家屋で、庭含めた敷地は広いものの、建物の大きさはそれほどではない。ちょうど不自然に庭が広くなっている場所があるから、あの辺に昔、朝凪家夫婦が住んでいた離れがあったのだろう。
「庭もきちんと手入れされてますね……あの木になってるのって、もしかして夏ミカンとかですか?」
「ええ、そうよ。あら、真樹君、そういうの結構詳しいの?」
「いえ、母方の実家に同じような木があったので。もしかして、あれってみぞれさん一人で全部やってるんですか?」
「そのはずよ。お義母さん、もうかなりご高齢のはずなんだけど……いったい体の中に何を積んでいらっしゃるのかなって、いつも不思議に思って……」
「――別にわたしゃエンジンなんぞ積んでおらんよ」
「「!」」
玄関の呼び鈴を鳴らしつつ、空さんとそんなことを話していると、俺たちの後ろから、呆れたため息とともに、そんな声が聞こえてきた。
振り向くと、農作業着姿のお婆さんが立っている。多分、この人が朝凪みぞれさんだ。
「あら、お久しぶりですお義母さん。外に出てらしたんですか?」
「ちょっと畑に置き忘れた道具があってね。……久しぶりだね、陸、海」
「へへ、こんにちは、お婆ちゃん」
「……久しぶり」
「いらっしゃい、海ちゃん。まあまあ、ちょっと見ないうちにべっぴんさんになって。もしかして、隣にいる子が電話で言ってたボーイフレンドかい?」
「うん、そうだよ。真樹、ほら、お婆ちゃんに挨拶」
「うん」
海に背中をぽんと叩かれた俺は、みぞれさんのほうへ一歩踏み出した。
「……あの、前原真樹といいます。すいません、部外者なのに、三人についてきてしまって、それに許可までもらってしまって」
まずは頭を下げ、そしてお礼を言う。
大地さんと空さんの許可があっても、最終的にはみぞれさんのOKがなければ今回のことは実現しなかったわけで、もし、何か手伝えることがあれば、なんでもやろうと思う。
「あら、若いのに意外とちゃんとしてるのね。陸、アンタも恥ずかしがらずに、このぐらいはっきりお婆ちゃんにお礼を言わないと」
「わかってるよ……とにかく早くドア開けてくれ。腹も減ったし、さっさと荷物も置きたい」
「せっかちな子だねえ……まあ、もうすぐ頼んでおいたお昼も来るみたいだから、それまで家でゆっくりしておきなさい。さ、真樹君、アンタも」
「あ、はい。では、お邪魔します」
そうして、俺は海と手を繋いで朝凪家の実家の敷居をまたぐ。家に入ると、どこか懐かしい感じのする木の匂いや畳の匂い、そしてお線香の匂いがする。俺の父さんや母さんの実家とはまた違った、朝凪家の生活の雰囲気があった。
唯一空いている二階の小さな部屋に空さんの荷物を置いてから、十畳ほどあるお仏壇の置いている部屋へ。遺影の男の人は、おそらくみぞれさんの旦那さん、つまりは海の祖父にあたる人だろう。みぞれさんに許しをもらって、海と一緒に遺影に向かって手を合わせた。
「婆ちゃん、メシは? まだ何も用意されてないみたいだけど」
「ああ、ちょうどアンタたちが来るタイミングに合わせてお寿司を注文しててね。多分、あの子がもうすぐ届けに来てくれると思うんだけど……」
みぞれさんがちょうど庭のほうに目を向けたところで、一台の軽バンがゆっくりと敷地内へ入ってきて、寿司桶や、その他の荷物を抱えて持ってくる人影が。
「おお、話はすればだね。さて、お金お金、と……」
「こんにちは~! ばっちゃん、ご注文の品、お届けにきたよ~!」
「ああ、はいはい。今お代もってくから、いつもの場所に置いといておくれ」
「は~い」
出前の人だろうが、若いの女性の声だ。みぞれさんとのやり取りを聞く限り、わりと馴染みの関係のようだが……まあ、田舎だと付き合いがある程度限定されるので、そこまで珍しいことでもないか。
……と、ぼんやりと俺が考えているところで、俺のサマーニットの裾をぎゅっと握りしめる人が。
「? 陸さん、どうかしましたか」
「あ、いや、すまない。何も言わずに、後ろに隠れさせてくれ。なんとなく嫌な予感がしたんだ」
「はあ……」
隣の海に目配せして何事かと訊いてみるものの、海もよくわからないといった様子で首を傾げている。
さっきまで普通にくつろいでいたのに、いったい何が……。
「こんちは、『しみず』で~す。ここのテーブルに置いときますね」
「あら、どうもありがとう……って、あれ? あなた、その顔もしかして……」
「ほえ? あれ……あっ、あなたはもしかして……」
部屋に入ってきたその女性と空さんの目があった瞬間、互いに何かに気づいたようで。
「空おばちゃん!?」
「
ほぼ同時に、互いの名前を呼び合う二人。どうやら古くからの知り合いらしいが、雫さんという人はどう考えても二十代半ばと言ったところで、空さんとはかなり年齢の差がある。
まあ、空さんも以前はここにしばらく住んでいたから、その当時に近所の子供とも交流はあったはずだし、そこまで不思議なことは……。
「……ん?」
そこで俺はあることに気づく。
空さんと雫さんは知り合いでも、年齢から考えて、おそらく友人関係ではないだろう。
ということは、考えられる可能性はあと一つ。
雫さんにとっての空さんは『幼い頃の友達のお母さん』、そして、空さんにとっては『幼い頃の息子の友達』という関係。
「! あ、あ~!! なんか見たことあるな~って思ったら、そこに居るのは、もしかして……」
そうして、雫さんが俺の後ろに隠れている陸さんを指差した。
それと同時に、その陸さんが諦めたようにため息をついた。
「り、りっくん……?」
「……久しぶり、しぃちゃん」
二人の様子を見る限り、どうやら正解のようだ。
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