第168話 皆に隠れて


 こうしてすべての準備を済ませてから十数日後。ようやく待ちにまった三連休を迎えた。


 六月は土日以外の休みがないため、他の月よりも日が進むのが遅く感じるのだが、楽しみにしていた海との泊りでの旅行(一応)の予定もあって、この三連休を迎えるまで、本当に長く感じた。


 今日は土曜日だが、あまり遅い時間にならないよう、早朝から出発する予定になっている。


 時刻は現在朝の6時を回ったところ――始発の電車で仕事から帰ってきたらしく、今はぐっすりと眠っている母さんのために、朝ご飯と『それじゃあ行ってきます』という置き手紙を残して、俺は朝凪家へと向かうことに。


 今日は朝凪家で皆と一緒に朝食をとり、朝7時半ごろ、空さんの運転する車に乗って、大地さん方の祖母である『朝凪みぞれ』さんの待つ家へ向けて出発する予定だ。もちろん、先方にも俺がいることは連絡済みという。


 所要時間は、高速道路を使いつつ、約3時間の道のり――途中のサービスエリアで休憩を挟みつつになるはずなので、道路の込み具合によっては昼過ぎぐらいまでかかるかもしれない。結構な長旅だ。


 はやる気持ちを押さえつつ、早足で朝凪家の玄関まで行くと、ちょうど俺のことを待っていてくれたのか、車庫の前に立っていた海が、俺に向かってぶんぶんと手を振ってくる。


 脇にはすでに着替えやその他旅行用のアメニティグッズなどが入っているだろうキャリーバッグあって、すでにこちらも準備万端のようだ。


「真樹、おはよ。昨日はちゃんと眠れた? 私と電話した後、夜更かしとかはしてないよね?」


「うん。ちょっとだけ寝付くのに時間かかったけど、それでも7時間は眠れたから……今日は麦わら帽子なんだ」


「おう。なんかこっちのほうが旅行してる感が出るかなって。今日も暑いし。……どう?」


「似合ってるよ。かわいい」


「へへ、ありがと。真樹も、私が見てあげた通り、ちゃんと似合ってるよ」


 先日の買い物の際に実際に試着して見せ合っているので、お互いにそういう感想になるのは当然なのだが、海になら、何回褒められても嬉しい気持ちになる。俺はちょろい男なのだ。


「ところで空さんと陸さんは?」


「母さんは朝ご飯の準備中。アニキは多分まだ寝てるから、あとで一緒に叩き起こしにいこ」


「そこは別に普通でも……まあ、とにかく空さんのところに行こうか」


「うん。……でも、その前にちょっと待って」


 今日の同行を快く許可してくれた空さんにまずは挨拶を……と思ったところで、海が俺の手首を掴んできた。


「? 海、どうかした」


「いや、ちょっと真樹に見せたいものがあって……こっちに来てくれる?」


「?? あ、うん。別にいいけど」


 海に手を引かれて、俺は朝凪家の自家用車がある車庫の隅のほうへ。


「……うん、ここなら皆からも見えないかな。真樹、ちょっとここまで来てしゃがんでもらっていい?」


「えっと、こんな感じ?」


「うん。ありがと」


 そう言って、海も俺と同じようにしゃがんだ後、そのままごく自然に、流れるような動きで俺の唇に顔を近づけて、そしてキスをした。


 ちょっとだけ驚いたものの、海がキスするときは不意打ち気味のことが多いので、体の密着を解くほどのことでもない。


「ん……」


「んむ……」


 ちょうど車が視界を遮ってくれている中、俺と海はしばらくの間、お互いの唇の味を確認し合う。恋人になってからもう何度したかわからないけれど、やっぱり何回しても心臓がドキドキとしてしまう。


 俺もそうだし、そして、密着している海の体からも。


「はふ……ねえ、真樹」


「なに?」


「今日から三日間、めいっぱい楽しんで、仲良くしようね?」


「……もちろん」


 そうして、じゃれ合いスイッチが入ってしまった俺たちは、再び引き寄せ合うようにしてくっついて、またしても二人だけの世界に入り込んで――


「……いやいや、朝っぱらから何やってんだお前ら」


「「っ……!?」」


 ――とはならず、こそこそとバカップルに勤しむ俺たちのことを、呆れた声とともに覗き込む人影が、俺たちを現実へと引き戻した。


「あ、アニキ……」


「えっと、ど、どうも、陸さん」


「おっす、真樹。とりあえず車出すから、そこから出てくれないか?」


「は、はい……」


 嫌だと言うわけにもいかないので、ひとまず素直に海と一緒に車庫から出て、今日乗せてもらう予定の車を眺めることに。


 いつもは大地さんが使っている黒のワンボックスカーだが、今日の三連休で使うことが決まってから、空さんの使っている軽乗用車と入れ替えているのだ。


「アニキ、今日は珍しくしっかり起きてんじゃん。せっかく妹の私が目覚めさせてやろうと思ったのに」


「いるかよ。ってか最近は俺も真面目に朝起きてんだよ。まあ、お前らが学校に行った後で、だけどな」


 とはいえ、いつもは朝に寝て夕方起きるというどうしようもない状態だったころに較べれば、大きな進歩だろう。


 ボサボサだった髪はさっぱり短くなり、初対面の時と較べると、幾分顔が引き締まっているように感じる。


 陸さんに会ったのは先月ぶりだが、その間も徐々に生活を改善しようと頑張っているらしい。


「よし、と。んじゃ、母さんも待ってるし、さっさと飯でも食うかな。……お前らも、こんなしょうもないところでバカやってないで行くぞ」


「「は、はい」」


 いつもは頼りない雰囲気の陸さんだったが、この時ばかりは、年齢らしく、きちんと『海のお兄さん』としての役割を果たしているように見えた。

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