第63話 キスは『恋人』になってから
友達なのか恋人なのか、一歩進んだのか、はたまた一歩後退したのかわからない俺と海の関係だったが、恋人繋ぎ事件があった日以降、二人でいる時間は確実に増えていった。
まあ、増やすようにした、というのが正しいところだが。
まずは、朝の時間。
起きたばかりでまだ意識の覚醒もまだ半分ほどというところで、最近とくに忙しい我が家のインターホンが鳴る。
「はいはい、前原です」
『おはようございます、真咲おばさん。真樹、起きてますか?』
「あら、おはよう海ちゃん。真樹なら今ものすごい寝癖つけて起きてきたところ」
『わかりました。じゃあ、ちょっとお邪魔して気合注入させてもらいますね』
「インターホンの前で平手打ちの素振りをするんじゃないよ」
俺が割り込むと、海の表情がぱっと明るくなった。
俺が起きる時間にここに来ているということは、それよりも大分早く起きているはずだが、元気なものだ。
『真樹、おはよ。迎えにきたよ』
「ん、おはよう。とりあえず上がれよ。朝飯は?」
『食べてきたよ。あ、私はご飯と卵焼きとお味噌汁だけでいいから」
「朝から二食とか、肉体改造でもしてんの?」
こんな感じで、毎日ではないものの、時間がある時は一緒に登校するようになった。といっても、途中で天海さんと合流するので、厳密に二人きりというわけでもないのだが。
……もちろん、以前よりもさらに嫉妬されることが多くなった。
「おじゃましま~す。……うわ、なにそれ、いつにも増して毛むくじゃらじゃん。直してあげるから、頭貸して」
「い、いいよ別に。このぐらいだったら水つけて直すから」
「ついでにちょっと整えてあげるって言ってんの。ほら、文句言わずに大人しくする」
そう言って、海は自分の使っているヘアワックスと櫛を使って、手際よく俺の寝癖を直していく。
「母さん、なに一人でニヤニヤしてんだよ」
「ん~? これでもう真樹の将来の心配はしなくていいな~って思っただけ」
「……そうですか」
母さんからの生温かい視線に耐え、五分ほど。あっという間に髪型のセットが終わった。
「……はい、こんなもんかな。どう?」
「うん。……悪くないと思う」
渡された手鏡に映る自分の顔を見る。一瞬で、毛むくじゃらが普通のちょっと髪の長い少年に変わった。
ワックスのつけすぎは校則違反なので髪を立たせたりなどはできないが、それでもいつもの適当な手櫛よりはよっぽどマシである。
後は、毎日の夜更かしで深く刻まれたクマさえなんとかすれば、わりと見れる顔になってくれる……かもしれない。
「お礼は?」
「……ありがとう」
「へへ、どういたしまして。かっこいいよ、真樹」
「っ……おだててもなにもでないぞ」
「さっきに較べたらだけどね。1%増しぐらい?」
「おい」
ちょっとドキッとしてしまった俺の時間を返してほしい。
「あらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあらあら」
そして母さんのほうはあらあらとうるさい。あと、堂々と一部始終をデジカメで撮影するのはやめるように。こんな記録残して何に使うのだろう。
こんな感じで、朝来てくれるようになってまだ日は浅いものの、海はもうずいぶんと前原家の一部になりつつあった。
こうなってくると俺のほうもそろそろ朝凪家にお邪魔しなければならないだろうか。
海によると、空さんが父親の大地さんに俺のことを嬉しそうに報告しているのを耳にしたらしく、いよいよ逃げ場がなくなってきたと感じる。
特に母さん、そして空さんの二人の行動がやけに早い気がする。お泊り事件の後がきっかけで頻繁に連絡を取り合うぐらい仲良しになったそうで、おかげで外堀は着々と埋められつつあった。
ひとまず俺のことをウザいくらいに冷やかしてくる母さんを仕事先へと追い出して、俺と海は二人で朝ご飯を食べる。
味はいつもと変わらないはずだが、いつもより食欲がわくのはなぜだろう。
海の言う通り、運動もたまにはしていかなければと思う。
「よし、っと。じゃあちょっと早いけど、そろそろ行くか」
「そだね。夕もさっき家出たってさ」
二人で食器の後片付けを終えて、二人で一緒に家を出る。
後、恥ずかしいので手はしばらくは外では繋がない。家で遊んでいるときはどうも思わないが、やはりまだ人に見られても気にしないレベルまでは、俺も海もメンタルは鍛えられていなかった。
「……そういやさ」
「うん? なに?」
「いや、ほら、ちょっと前に俺言ったじゃん、その……お前の笑顔がかわいいとかなんとか」
「ああ、『君の笑顔が世界で一番だよ』ってやつ?」
「8割ぐらい改竄されてるんですけど」
まあ、ニュアンス的にはそんな意味だが。
「……よかったのか? いつもの優等生な朝凪海に元通りしちゃって。今のうちならまだ、多少わがままになれると思うけど」
「ん、そのことね」
天海さんには少しずつ自分の素を晒していくと決めた海だったが、クラスの前では、以前と変わらず集団のまとめ役のポジションに収まったままだった。恋人繋ぎ事件によって朝凪に対する皆の印象は確実に変わったわけで、この機会を逃すべきではないと思うのだが。
「うん。いいの。確かにやってることは前と同じだから気疲れはするけど、それでも今は夕が少しずつ気を付けてくれるようになったし、あと、それに――」
「それに?」
「えっと……わ、私も一度しか言わないから、ちゃんと聞いときなさいよ」
「……うん」
「……私の笑顔は、その……あ、あなただけの、もの……だからっていうか」
きゅ、と俺の袖をつまんで、海がそんな恥ずかしいことを呟いた。
「…………そ、そっか」
「う、うん…………」
言われたほうだが、ものすごく恥ずかしいし、顔が熱い。
今はエレベーターの中に二人きりだからいいものの、もし誰か乗り込んできたらどうするつもりだったのか。
そんな海がいじらしいし可愛いが、そういうことはあんまり言わないでほしい。
「……ご、ごめん。自分で言ってめっちゃ後悔してる。恥ずかしくて死にそう」
「と、とりあえず今のはなかったことにしよう。うん」
「そ、そだね。うん。今のはちょっと失敗だった」
エレベーターを降りると、冬の朝のひんやりとした風が、俺の火照った頬を冷やしてくれる。
今日もしっかり冬型の気圧配置で、風が強くて、気温も低い。
しばらく歩いていれば、熱を帯びたこの頬も、不意打ちによる胸のドキドキも、きっと収まってくれるだろう。
「あ、ちょっと待って真樹。なんか落としたよ、はい」
「え? ああ、ごめん。もしかして家の鍵かな――」
――ちゅっ。
振り向きざまのその瞬間、俺の頬に、少し湿ったやわらかな感触が押し当てられた。
「う、海……えっと、あの……」
「へへん、隙ありってね」
呆然とする俺の頬からさっと体を離すと、海は、人差し指を自らの唇に当てながら続けた。
「
「あ……う、うん。わかった」
「……えへへ、じゃね」
耳まで真っ赤にした海は、そうはにかんで玄関から走り去っていった。
「だから、そういうのダメって……」
前言撤回。
ちょっとやそっとじゃ、この熱はおさまってくれないようだ。
(おわり)
―――――――――――――――――
※ 二章「クリスマス」編へ続く。
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