第53話 少し変わって、元に戻って


 ※※ 


 文化祭が終わって数日。一気に気温が下がり、朝晩、明らかに冷え込むようになってきた。


 ついこの間まで多少薄着をしていても問題ないほどの陽気も見られたのに、朝のテレビの天気予報には、ばっちりと冬型の気圧配置が映し出されている。季節も季節だし、気温は下がってもいいから、もうちょっと徐々にいってほしいところだ。


「ねえ、真樹、どうしよう。エアコン動かないんだけど」


「……マジですか」


 早朝、冷たい水で我慢して顔を洗ってリビングに戻ると、母さんが芋虫のように毛布にくるまったままの状態で俺に言う。


「じゃあ、電気ストーブは? 母さんのクローゼットの中にしまってたはずだけど」


「あ、それは昨日寝る前に使おうと思ってたら、そっちも壊れてた」


「え」


 こういう時に限って、まるで見えない何かで繋がっているかのように壊れる気がする。季節ものの家電だとたまにある話だが。


 なぜ、こういう時にさらに地味に追い打ちをかけるような出来事が起こるのだろう。


 ひとまずエアコンの修理については母さんに依頼してもらうようにして、俺はさっさと学校へ行く事にした。ウチの学校は各教室にエアコンが設置されているので、ここで震えているよりも、暖かい場所に移動したほうがいくらかマシだ。


「真樹、今日のご飯代、ここに置いとくね」


「ありがとう……って」


 今日は金曜日なので、いつものように晩御飯代をくれるのはいいのだが、


「……三千円あるけど」


 テーブルに置かれた千円札が一枚多かった。


「え? ああ、別にそれで間違ってないわよ。だって、どうせ今日も海ちゃんのこと家に連れ込むんでしょ? なら、最低でもそれぐらいは欲しいかなって」


「だから親のくせしてなんて人聞きの悪い――いいよ、別に二千円で」


「ダメよ、そんなの。海ちゃんもアンタも結構食べるほうじゃない。二千円じゃ足りないでしょ」


「……いらないよ。朝凪、今日は来ないから。多分だけど」


「あら、どうしたの? もしかしてケンカでもした?」


「してないよ。いつも通り話はしてるし、仲も悪くない」


「じゃあ、どうして?」


「……俺たちにも俺たちで事情があるの」


「あら、生意気にもそんなこと言っちゃうのね」


「……とにかく、行ってきます」


 親の追及から逃げるように、俺は足早に玄関を出た。


 生意気だ何だと言われようと、俺と朝凪で納得して決めたことだ。


 だから、決めたことはちゃんと守らないと。




「――おお、おはよう前原君!」


「え……あ、お、おはようございます……」


 朝、いつものように校門を静かに過ぎようとしたところで、いつもの先生に初めて名前とともに挨拶された。


 いきなり呼ばれてびっくりしたが、まあ、先日の文化祭でのことを考えると、顔と名前を憶えられても仕方ないのだが。


「よ、『本日の主役』。今日はいつもより早いじゃん」


「家で色々あって‥…っていうか、もう忘れたいから、その名前で呼ぶのやめて欲しいんだけど」


 教室へ向かって歩いていると、ユニフォーム姿の関君に声をかけられた。こんな朝早くから練習だったらしい。ご苦労さまである。


「ところで前原、この前撮った記念撮影のやつと、表彰式の画像ってもってる? 俺も新田からもらったはずなんだけど、間違って消しちゃってさ」


「ああ、アレね……はいどうぞ」


 スマホを素早く操作して、指定された画像を二つ、関君のほうへメールで送る。アドレスは、文化祭後の片付けの時に交換した。


 送った画像の一つは、文化祭当日の朝にモザイクアートをバックにして撮影したもの。


 まあ、これは別にいいのだが、問題のあともう一つの写真。


「はは、いつみてもウケるなこれ。前原、お前これガチガチに緊張しすぎだって」


「仕方ないじゃん。ああいうの、生まれて初めてだったし」


 映っていたのは、『本日の主役』のたすきをかけて、表彰状と記念品を受け取る俺の写真だ。


 文化祭の結果だが、俺たちの展示物は、他のクラスや部活動の出し物を押さえ、なんと一位に輝いてしまった。アートの出来もよかったのだが、題材となった作品の公式SNSアカウントが俺たちの展示物を紹介してくれたことにより、情報が拡散し、結果的に多くの票を集めたらしい。


 一応、メールだけは送っておこうと出版社の窓口に投げておいたのが功を奏した形だったのだが、俺もクラスの皆も予想外だった一位でテンションがおかしくなり、画像のような状態で檀上に登ってしまった、というわけで。


 ……穴があったら入りたい。


 だが、そうして恥ずかしい思いをしたおかげか、俺のクラス内での環境にも変化があった。


「あ、おはよー真樹君! 今日は一段と寒いね」


「おはよ、委員長」


「天海さんおはよう。それと、新田さんも。委員長じゃないけど」


「え、いいじゃん別に」


 前に出たことで『得体のしれない人』という評価から脱したおかげか、わりと色々な人から声をかけられるようになった。それだけのことだが、実行委員の班決めの時を考えると大きな進歩だと思う。


「あれ、そういえば朝凪は? いないみたいだけど」


「今日は珍しく寝坊だから、先に来ちゃった。急ぐって言ってたから、多分もう少ししたら来るとは思うけど……あ、来た来た、海~!」


 振り向くと、遠くのほうからこちらに小走りで向かってくる朝凪の姿が。


「ふう、間に合った間に合った。何分前?」


「五分前。全然余裕だったね」


「まあ、私にかかればこの程度の距離を縮めることなんて訳ないし」


 なんだか偉ぶっているが、ここまで相当急いだのか、いつもきっちりとした制服も髪型も乱れている。


 朝凪にしては、ちょっと珍しい。


「おはよう、朝凪」


「おはよ、前原」


 いつものように、俺と朝凪は互いに挨拶を交わす。実行委員としてペアを組んだということもあり、文化祭後は他人行儀な呼び方を止めることにしたのだ。


 といっても、相変わらず、天海さん以外には俺たちの友達関係は秘密のままなのだが。


「うわ、ちょっと海、寝ぐせすごいよ」


「え? そうかな? 一応バーッと直したつもりだけど」


「走ったから元に戻っちゃたんだよ。ね、真樹君?」


「うん……これは確かにちょっとひどいかも」


 天海さんが朝凪の髪に触れた瞬間、あらぬ方向に前髪がぴょん、と飛び出す。俺もそこそこ髪が長いのでわかるが、これは面倒なやつだ。


「整髪料もってきてるから、なおしてあげる。ニナち、手伝って」


「はいよ。じゃ、とりあえず席に戻りますか」


「ちょっ、二人とも……」


 天海さんと新田さん、二人に背中を押されて朝凪はグループの輪の中へ。三人がいなくなったので、俺も自分の席につく。


「おはよう、前原君」


「おはよう、大山君」


 文化祭で色々あったわけだが、大山君の俺に対するスタンスは変わらない。とくに俺のことをからかうこともないし、クラス内では、この距離感がちょうどいいと俺は思う。関君や新田さんなど、そのへんのグループの人たちは参考にしてほしい。


 それはともかく、文化祭前と後で、俺の周囲で変わったこと、特に変わらないものはこんな感じである。


 実行委員になってから一か月ほど――苦労はあったし、個人的には黒歴史も増えたが、それでも総合的に考えればプラスで終われたのではないかと思う。


 ただ一つ、しばらくはまた元通りの、朝凪がいない週末になることを除けば。

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