第45話 もうちょっとだけ待って
思えば、ここまで朝凪と密着したのは初めてかもしれない。
これまでも、頭を撫でられたり、手を繋いだりといった程度のスキンシップはあったが、これに関しては、異性の友達としては若干やり過ぎではないだろうか。
背中に感じる暖かな体温と、そして、制服の上からでもわかる朝凪の女の子の部分。
戸惑いつつも、徐々に俺の心臓の鼓動は早くなっていく。
「バカ、バカ。なんで前原はそんなに優しいの。優しいのは前原のいいところだけど、度が過ぎればただのバカのお人よしだよ。そんなんじゃ、悪いヤツにいつかつけこまれちゃうんだから……たとえば、今の私みたいなヤツに」
「あ、朝凪……?」
「ダメ。今はこっち向いちゃダメだから。向いたらマジでデコピンじゃすまないから」
「俺なにも悪くないのに……まあ、いいけどさ」
泣いている感じはないが、鼻をしきりにすすっているので、もしかしたら瞳が潤んでいるぐらいはしているのかもしれない。
俺だって、誰かに泣き顔を見られるのは恥ずかしいから嫌だ。
「ねえ、前原」
「うん」
「今日は変なことしちゃってゴメン。あと、教科書だけど、ちゃんと返してくれてありがと」
「……それについてはマジで感謝しろよな。授業中、何度中庭に埋めてやろうと思ったことか」
俺にかかれば土に還るまで発見不可能にすることなど朝飯前だが、そんなことしたら朝凪が本気で困ってしまうので踏みとどまった。人のものを隠すのは、立派な物損だ。
「前原、怒ってる?」
「怒ってない、って言いたいけど……んなわけないだろ」
「あはは、だよね。前原は何も悪いことしてないのに、いきなりだもんね。そりゃ戸惑うし、なんか悪いことしたかなって、心配になるよね」
ぎゅ、と朝凪の抱きしめる力が心なしか強くなった気がする。
とくんとくんと、朝凪の鼓動が、背中を通じて俺の方にも伝わってきた。
「……どうしてそんなことしたのかって、聞いてもいいか?」
「いいよ。それで私が正直に白状するかはまた別問題だけど」
「言わないのかよ。この流れ、完全に言うやつじゃないのかよ。漫画でも映画でもそんな展開なかなかないぞ」
「それは同意だけど。でも、私はほら、一筋縄ではいかない女の子だから」
「自分でそれを言うか……」
「へへ、屈折した女の子でどうもすいませんね」
「ったくもう……」
特に指摘はしなかったが、俺に比べれば朝凪はまだかわいい方だと思う。ぼっちの屈折度を舐めるなと言いたい……いや、言わないけど。
「ねえ、前原」
「今度はなに?」
「もし私が全部白状するって言ったら、話、ちゃんと聞いてくれる?」
「聞くよ。もともとそのつもりで、こうして二人きりになれるよう仕向けたんだ」
「……結構長くなるよ?」
「ちなみにどのくらい?」
「ちゃんと聞きたいんだったら、中学の時ぐらい……いや、もっと前かな」
「……じゃあ、どのみちここじゃ無理か」
わざわざ名門女子校から、普通の共学校に来た時点で『もしかしたら』と思っていたが、どうやらそこらへんが発端になっているらしい。
しかし、話す気になってくれたのなら、こちらとしてもしっかり聞いておきたい。
多分、これから俺が触れることになるのは、朝凪の人間的にちょっと嫌な部分になるのだろう。そして、それには天海さんも大きくかかわってくるはずだ。
親友である天海さんにもずっと隠してきたであろう、本当の朝凪海。
はずれくじの時のように、朝凪は意外と小さいことを気にし過ぎるタイプなので、もしかしたら意外とちっぽけな悩みかもしれないが、それならそれで、話を聞いて楽にさせてやるくらいはできる。
俺と朝凪は友達だ。天海さんみたいに親友と呼べる立ち位置にはいないが、それでも、朝凪が自分の悩みを打ち明けてくれるぐらい信用はされていると思っている。
朝凪が俺のことを信頼してくれるのなら、俺はそれに応えてやるだけだ。
……もしかしたら、こういうのを、きっとバカのお人よしというのだろう。
「あのさ、もし前原が待ってくれるっていうんだったら、文化祭の時まで待ってもらうってのはアリかな?」
「タイミングは朝凪に任せるけど、そんなに決心に時間がかかるもんなのか?」
「いや、聞きたいっていうんなら、すぐにでも話せるよ。でも、そっちのほうがわかりやすくていいかなって」
「そうなのか?」
「うん、多分だけど」
今のところよくわからないが、朝凪がそうしたいのであれば、俺としては何も言う事はない。
「わかった。じゃあ、文化祭まで、気長に待つとするよ」
「ありがと。ちゃんと話すから、もうちょっとだけ待ってて」
「んじゃ、作業に戻るか」
「そだね」
そうして、俺たちは再び作業に戻った。朝凪に抱きしめられていた分、想定しているより時間はロスしてしまったが、空き缶の掃除をしていたとか、数が予想以上に多くてとか、言い訳はいくらでも作れる。
「……で、」
「ん? どした? ほら、ちゃっちゃとやんなきゃ日が暮れちゃうよ」
「いや、それはわかってるんだけどさ」
もくもくと空き缶の数を数えている朝凪へ、俺は言う。
「どうして俺のそばで一緒の袋なの? 手分けしてやろうよ」
「手分けしても一緒にしても、結局作業時間は同じだし。なら、どっちかというと私はこっちかなって。……今は」
抱きしめていた腕は放してくれた朝凪だったが、元の場所には戻らず、俺にぴったり肩をくっつけるような形で作業していたのだ。
朝凪の言い分はわからないでもないものの、これだと逆に効率が悪いような気が。
しかし、どうせ言っても今の朝凪は聞いてくれないだろう。甘えん坊というか、わがままというか。まったく、世話のかかるヤツだ。
「……わかったよ。じゃあ、一緒にバーッとやっちゃおう」
「ふふ、ようやくわかってくれたか、世話の焼けるヤツめ」
「こっちが妥協してやってんだけど」
「へへ、細かいことは気にすんなって」
「うるさい、バカ」
「は? そっちがバカだし。バーカ」
「あ~、うっせうっせ。バカバカバカ」
三歳児ぐらいのレベルの口喧嘩だが、これがいつもの俺と朝凪である。
天海さんとのことがまだ残っているが、とりあえず、今は俺と朝凪の仲直り(?)だけでも解決ということで良しとしておこう。
大丈夫。今の朝凪なら、天海さんともきっと上手くやれるはずだ。
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