幸せを運ぶ料理物語
長谷川 海燕
第1話 物語1
「これ何?」
「え?」
真一の声にさやこは一瞬ドキッとした。しかし部屋にはもちろん二人しかいない。
「クミン」うぶヒゲが生えた精悍な顔立ちにはなって来たけど、まだ稚気を脱し切れてない真一の目に自分の視線を合わせながらさやこは少しびっくりした表情で答えた。
「クミン?何それ?」
「日本だとカレー粉とかに入ってる調味料なんだけどね、ヨーロッパや中国では肉料理によく使うって。先生がね、クミンはスパイス界のビタミン剤だって。お肉や野菜と一緒に食べると胃腸守ったり、貧血を予防したり、あ、そうそう、口内炎とかにも効くって」さやこは嬉しくなって、そして少しでも真一との会話を伸ばしたい一心で今日料理教室で聞いて来た話をそのまま一文一句暗記でもするかのように息継ぎもほぼせず一気に喋った。
喋りながらまじまじと真一を見つめた。真一から声をかけて来るなんていつぶりだろう?二人でこんなに穏やかに喋るっていつぶりだろう?
高校3年生の真一。少し遅れた反抗期なのか、受験生のプレッシャーでなのか常に不機嫌でムッとした顔つきだ。たまにこっちは気を利かせるつもりで「最近どう?」と優しく声を掛けても「言ったって分かんねえだろう?聞いてどうすんだよ⁈」と返って来る。5秒で終わる会話、そしてそのあと流れる15分くらいの険悪ムード。その15分くらいの時間をさやこはふつふつと湧き上がる怒りを深呼吸で押さえながらも目くじらを立てて夫の帰宅を待つ。夫に愚痴ると言うより八つ当たりでもしないとイライラは収まらないからだ。
1時間くらいの電車通勤をしている夫はいつも帰りが8時すぎになる。夕食は常に真一が先だ。
学校終わって帰って来ると無表情で話掛けるなオーラを全身で放ちながら二階に上がっては自分の部屋に篭り、夕食の時間になると無言で降りて来て、15分足らずで黙々と食事を済ませては又無言で二階に上がる。
「へーそうなんだ。これ美味いよ、初めて食べたけど、何か懐かしいって言うか食べ慣れた味っていうか、うん、美味い。色もいつもと違うね。良いよ。お代わりある?」
「お代わり?うん、あるある。もちろん」
フライパンの中の牛ロースのクミン炒めを真一のお皿に盛りながらさやこは感心した。
さやこは料理上手と言う自負はないが、それでも家族のために出来るだけ手作りで食材もバランスを考えながらちゃんとやって来たつもりだった。前回料理教室に行った時に「食事はまず目で三分の一を召し上がっているんですよ〜暗いトーンばかりの食卓は食欲も気持ちも弾みません。もちろん会話も。野菜を色鮮やかに炒めるためには強火でさっと、そしてどうしても茶色くなるメニューは下にレタス一枚を敷いたり横にミニトマトやパプリカを添えたりすると良いですよ〜もしない場合はお家にある一番明るい綺麗なお皿に盛り付けるだけでもとても良くなりますので、是非やってみてくださいね。」と穏やか笑みを浮かべながら確信に満ちた表情で話ていた講師の顔が浮かんだ。その時には、味が美味しければ、口に入ればみんな同じだと思うけどな〜と納得できなかったけど、強火で炒めることで、生より濃い赤、オレンジ、緑色と華やかさと艶やかさが増した野菜の混ざった今日のメニューは真一の言う通り確かに色も素晴らしい。
「ご馳走さま、今日のおかず何て言う名前?」
「牛ロースのクミン炒め」さやかは又ドキッとした。ご馳走さま?と言ってくれた。確かにそう聞こえた。階段を登って行く真一の逞しい背中をさやこは愛おしそうに眺めた。
「ただいま〜」玄関から夫の低くて太い声が聞こえた。「おかえりなさい〜」笑みを浮かべ弾んだ明るく大きい声で答える自分にさやこはもう一度ドキッとした。
作者より
小説で登場する牛ロースのクミン炒めはTwitterなどで実際の料理の写真をご覧になれます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます