ジャッケル暦

徳野壮一

第1話

 バルバロッサターン暦666年。

 人類と魔族の戦いは、最終局面を迎えていた。

 多国籍連合が魔王軍を抑えている間に、神からの祝福を受け、絶大な力をその身に宿した勇者(ある国の王子)その一行が、手薄になった魔王城に乗り込んだのだ。

 だが、人類の浅知恵など魔王にはお見通しだった。

 魔王軍最強の前線にいるはずだった四天王が勇者一行の前に立ち塞がったのだ。

 人数的は優っていた勇者一行を魔王軍四天王は個の力で対抗。

 勇者の一行は終始押され気味ではあったが、芸術的といっても差し支えない連携によって一人、一人、また一人と倒すことに成功した。

 しかし、勇者一行の被害も甚大だった。剣士は剣と利き腕を失い、魔法使いの魔力は枯渇し一歩も動けない状態。聖女は自分を庇って腹に巨大な風穴を開けられた盗賊の治療に掛かりきりだ。いま戦えるのは勇者のみ。


 仲間を置いて勇者は一人、立ち向かう。



 戦いの場は魔王城、玉座の間。

 高さは三メートル、何かしらの金属で作られた扉の向こうに広がるそこは、悪趣味な煌びやかさは皆無な、荘厳な空間だ。巨大な魔王城の最上階、ワンフロアまるまる利用して造られていた長方形の部屋。巨躯をもつ魔族も入れるよう高い天井。それは支える72本のエンタシス状の柱が並び立つ。そして柱の間をはしる赤い絨毯が部屋の奥、少し高くなっている場所にある玉座まで続く。

 そして何より、金色に輝く玉座。

 決して下品さはない。所々に施された精緻な彫刻。ただそこにあるだけで圧倒され、装飾品などない質素な部屋が神聖な空気を帯びる。まさしく玉座のためにある部屋。

 そこで熾烈な戦いは続いていた。

 いくつもの砕かれた柱、ただの剣では傷一つつかないはずの床が切り裂かれていた。そこら中に破壊の跡を刻み、今尚止まる気配を見せない暴力の嵐。その中心に人影が二つ。

 深い夜の髪、左目に眼帯、漆黒のマントはためかせ、2メートルの体に相応しい豪腕——右腕は包帯巻かれている——を笑いながら振るう男。名をゴヅメデビルサターン。

 小柄な体格。白く輝くフルプレートを身に着け、黄金の剣を握る男。名をシュナイザー。

 彼らはお互いに命を賭して闘っていた。

「フハハハハ、楽しい。楽しいな、シュナイザー。こんなに興奮する戦いはそうそうできはしない」

「黙れ、狂人!貴様に殺された両親の、村のみんなの恨み、今ここで晴らさせてもらう!」

「いいぞ、その憎しみで濁った目。嫌と言うほど殺気を感じる、細胞の一つ一つが歓喜しているぜ。もっと……もっとだ。俺を楽しませてくれ!」

 ゴヅメデビルサターンは巻き付けてあった右腕の包帯を解く。

 露わになった腕には指先から肩にかけてまで炎のような模様がびっしり刻まれていた。

「我が右腕に宿し暗黒の化身、その五つの牙を突き立て一切合切を噛み砕け」

 ゴヅメデビルサターンの身体から溢れ出す禍々しいオーラが右腕に集まり形をなす。

「ダークドラゴン」

 まともにくらったら、チリ一つ残さず消滅しかねないほどの圧倒的な暴力が右腕に込められた。

 それに対抗するようにシュナイザーは黄金の剣に力を込める。

 光。

 周囲に漂う光が黄金の剣に吸い寄せられて白く輝く。その光量は太陽がもう一つあるかと錯覚させるほどだ。

 ありとあらゆるものを焼き切る、光の剣。

「白光剣!!」

 光と闇が向かいあった。

「……ひとつ聞いていいか?」

 シュナイザーは言った。

「いいぜ、今の俺は気分がいい。なんでも答えてやるよ」

「どうして俺たちの村を町を襲った。確かに姿形は違うかもしれないが、俺もあんた達も同じ心を持っているじゃないか……。だったら——」

「だったら分かり合えるかもしれないってか……。そうだな……」

 ゴヅメデビルサターンはフッと柔らかい表情を浮かべた。

 それを見てシュナイザーはすこし気を抜いてしまった。

 それを見逃すゴヅメデビルサターンではない。たった一歩、たった一歩で10メートルの距離を潰す。

 一瞬で懐に入られたシュナイザー。

(くっ、しまった!)

 ゴヅメデビルサターン強力な蹴りがシュナイザーの腹に入る。鎧の上からとはいえ、その衝撃は凄まじく、後ろに吹き飛ばされる。柱にぶつかっても勢いは止まらず、シュナイザーは城の壁に叩きつけられた。肺にあった空気が吐き出される。

「グハッ!」

「クククク。ハハハハハ。とんでもねぇ、甘ちゃんだな。まさか両親の仇である俺にそんなことを言うとは。俺を嘲り笑いで殺させるつもりか!そんな斬新な攻撃初めて受けたわ」

 ゴヅメデビルサターンは呵呵とばかりに笑った。

「人間と魔族は仲良くできる?そんな訳ねぇーだろ!お前らなんてそこら辺にいる獣とかわりはしねぇ劣等種だ。文明なんて俺らの足元にも及ばねえクセに対等な立場になるかよ。俺らが上、お前らが下それだけだ。早く立てよ馬鹿。手加減して蹴ってやったんだから立てるだろ」

「…………。ああ、俺が馬鹿だったよ。お前たちを倒し、必ず平和な国を作ってみせる!」

「倒すじゃなくて殺すって言えよ。ぬるい言葉使ってるようじゃ俺には勝てないぜ」

 ゴヅメデビルサターンはまたも一瞬で距離を詰める。

「何度も同じ手はくらうか!」

 カウンターでシュナイザーは白光剣を横薙ぎ。躱すことができないタイミング。それに対してゴヅメデビルサターンは闇を纏った右腕で迎え撃った。

 発生する轟音。お互い必殺の一撃は激突の余波だけで柱を砕き、部屋を揺らす。

 腕と剣の鍔迫り合い。完全に拮抗していた。

 踏ん張っている脚は使えない、ゴヅメデビルサターンは空いている左手で顎を狙う。たとえオーラを纏っていなくても気絶させることができる強力な一撃。 

 シュナイザーは剣を持つ腕の力を抜き、力を流しゴヅメデビルサターンの体勢を崩すことで躱す。

 そして回転しながら背後に回り込み、勢いをつけ、逆袈裟斬り。

 ゴヅメデビルサターンは剣の軌道と同じ方向に跳ぶことによって避けた。

「はぁぁぁぁぁ!」

「うぉぉぉぉぉ!」

 白光の剣閃は空を切り、黒の拳閃もまた空振る。

 躱す、躱す、躱す。

 あの剣に、あの拳に、一撃でも当たれば死ぬ。

 掠るのさえに許されない極限の戦い。

 油断したら死ぬ。

 相手の次の攻撃は?そうきた時の自分の対応は?

 何百、何千手も先の読み合い。

 瞬きしたら死ぬ。

 刹那、いや立徳の時の中での戦闘。常人には早すぎてまだ追うこともできはしない。

 柔剣と剛拳の応酬。

 白と黒の光が彼らの速さに追いつけず、攻撃の軌道上に残留する。

 技の冴えと多様性はシュナイザーが上、単純な力とスピードはゴヅメデビルサターンが上。

 戦闘センスは互角。

 実力は伯仲していた。

 しかし、現状はシュナイザーの方が不利だとシュナイザーは自覚していたし、ゴヅメデビルサターンも勘づいていた。

 シュナイザーはうまく隠していたが、さっきの不意打ちので背中を痛めていた。それなのに繊細な技を繰り出す、胆力は見事というほかない。が、その分体力疲労がゴヅメデビルサターンに比べ激しかった。

 このまま持久戦に持ち込まれたら勝ち目はない。

 シュナイザーが勝つには勝負に出るより他はない。

「フラッシュ!」

 光の爆発がゴヅメデビルサターンの視界を奪う。

 ゴヅメデビルサターンは世界が白く染まった瞬間、後方に飛びのく。

(スピードは俺の方が上。シュナイザーは後ろに回り込むことはできない。来るなら正面。そしたらカウンターでダークドラゴンを叩き込む)

 シュナイザーは走りながら光の短剣を3本創り出し、投擲した。

 何かが飛んでくるのを察知したゴヅメデビルサターンは左斜め後方に下がる。

(後ろ!?)

ゴヅメデビルサターンは背後に気配を捉えた瞬間、片足で地を蹴った。地面が跳ね返す力を利用して半身になり裏拳を放つ。

(何!?実体がないだと!)

 確実に捉えたと思った拳は何にも触れることなく、気配を感じた場所を通り過ぎた。

 『ファントム』

 実像を空中に映す『ミラージュ』とは違い、気配のみを発生させる技。この技は真の実力者ほどよく引っかかる。僅かな気配すら感じたらことができる者のみ反応することが……否、反応してしまう。

 シュナイザーの奥の手。

 ゴヅメデビルサターンの目を潰し、後方に下がらせ、遠間の攻撃手段でその後を追わせ、躱すにしても、弾くにしても動きを遅らせるた。そうしたら背後に『ファントム』をつくりだす。

 完璧に裏を取られ、かつ必殺の一撃を持つ相手を放置することはできない。それに攻撃しようと相手は振り向く。気配を殺し真っ直ぐに走るシュナイザーは相手の背後をとることができる。

(これで終わりだぁぁぁぁ!!)

 ゴヅメデビルサターンが本物のシュナイザーに気がついてももう遅い。完璧に体勢が整ってない隙だらけの胴めがけて白光剣を振り


 ——ぬけなかった。


 白光剣はゴヅメデビルサターンの少し手前で止まっていた。

 それどころか、どんなに動かそうとしても眼球や足の指さえも動かすことができなかった。

(そんな馬鹿な!いったいどうなって……)

「流石と言っておこうかシュナイザー。まさかこの俺が邪眼を使わされることになろうとわな」

 ゴヅメデビルサターンの左目を覆っていた眼帯が外され、真紅の瞳がシュナイザーを射抜いていた。

「この邪眼は視界に入った者の動きを止めることができる。俺の奥の手だ」

 ゴヅメデビルサターンはシュナイザーの方に向き直った。足を前後に開き、腰を落とし、左手は前に突き出し、右腕を引いて腰にためる。

 右腕全体を覆っていた龍の形をした黒いオーラが、どんどん右の拳に収束されていく。

(……動け)

「この邪眼は強力だか二つデメリットもある。一つは力のオンオフができないこと。目を開けている間は常時発動してしまう」

(……動け……動け)

「もう一つは相手の動きを止めた秒数に対して俺の寿命が一年減ることだ。30秒。つまり30年分、俺の寿命を削ることができたお前は間違いなく英雄だ」

(動け、動けよ。俺の身体!こんなところで負けるわけにはいかないんだ)

「その栄光を誇りながら死んでいけ」

(動けえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!)

「ダークインパクト」

 右の拳にのみ圧縮された力が、拳を振り抜くと同時に解放されて、圧倒的な力の奔流がシュナイザーを飲み込みんだ。床を、柱を、頑丈な壁さえをも破壊し、突き抜け、遠くの山を蒸発させた。

 支えている柱を失った玉座の間の天井も崩れ落ち、埃煙が玉座の間を埋め尽くした。


「ゲホッ、ゲホ。やりすぎたか……」

 自分の上に落ちてきた瓦礫を退かしゴヅメデビルサターンは立ち上がった。

 吹き抜けになった玉座の間には風が入り込み、舞っていた煙をどこかに運んでいった。

「ふむ。存外しぶといな、お前」

 シュナイザーは生きていた。

 瓦礫の中から上半身が出ていた。抜け出すことができないらしく下半身は瓦礫の中だ。

 フルプレートの美しい曲線は見る影もなくボコボコになっており、鎧の隙間から血が流れていた。黄金の剣と片腕も失い、これが生きていると言えるのかは疑問だが。

「グヴォ」

 フルプレートの口の穴から大量の血が吐き出された。

「やっぱり生きてるか。……俺の技が当たったとき、身体は動かさなくても、体の中を巡る力を動かして防御力を高め、なんとか凌いだってとこか」

「…………ぁ」

「あ?何言ってるか、聴こえねえよ」

「……ぅ……な」

「たく、しゃあねぇな。死ぬ時の奴の最後の言葉は聞いてやる主義だ」

 ゴヅメデビルサターンはシュナイザーが何言っているかわからなかったので、近づいていった。

「で、なんだって?」

「ゆ…ぁん、すぅなっていったんだ!」

 パァァン。

 軽快な爆発音が響く。

「ぐっ。て、テメェ」

 ゴヅメデビルサターンは胸を押さえて瓦礫の山に膝をつく。胸から血がドクドクと流れだす。撃ち抜かれたのは心臓。

 シュナイザーの残った左手にはL字型をした黒い物が握られていた。

「それは、最近、作られたってぇ、銃じゃねぇか。何でテメェが、持ってんだ」

「われらが、おうに、もらった」

「はっ、そりゃ、予想外だ、ぜ……」

 ゴヅメデビルサターンは最後は呆気なく倒れた。その瞳にはもう生気は宿っていなかった。

「勇者様!」

 聖女が仲間の治療を終え、下の階から登ってきようだ。

 動き辛そうな修道服。何度も転びそうになるのを堪えて走り寄り、倒れているゴヅメデビルサターンに抱き着いた。

「死んでる!そんなっ、神から祝福を受けたゴヅメデビルサターン様が負けるだなんて!!」

 シュナイザーは泣いてはいないが、喚いている聖女を霞む瞳で見ていた。

 倒したいが、もう人族によって作られた銃の弾は一発だけしか持っていなかった。しかも身体が動きが全然しなかった。

 聖女はぐるりと首を回し、限界以上に見開かれ、血走った目でシュナイザーを凝視した。ゆらりと立ち上がり、力なく垂れた手握られた錫杖を鳴らしながら、シュナイザーに近寄る。目の前で止まり、錫杖を振り上げた。

「勇者様をよくも!せめて貴様を殺し、我ら人族の悲願。神より与えられし使命。大陸制覇成し遂げるための礎にしてくれるわぁぁぁぁぁ!」

(これまでか……。両親や村のみんなの仇もとれたし、これ以上望むのは贅沢か……。母さん、父さん、みんな、もうすぐそっちにいくよ)

 聖女は容赦なく、頭上に構えた錫杖を振り下ろす。

 シュナイザーは目を閉じた。

(でも、それでも、贅沢を言っていいのなら、貴方の夢を、最後まで貴方と一緒に……)

「ちと、諦めるのか早いんじゃないか。シュナイザーよ」

 男の声だ。

 聖女とシュナイザーの間に入り、錫杖を受け止めていた。

「き、貴様は魔王ジャッケル!」

「ジャッ……ケル?」

「いや〜、すまんな。多国籍連合を内部から切り崩していたら遅くなった」

「出鱈目を言ってんじゃねぇぞ、魔王が。死ねえぇぇぇぇ!」

「いや、誰もお前とは話しとらんわ」

「がぁっ!」

 ジャッケルは聖女の首を手刀でたたき気絶させた。

「ほい、これお土産。どんな状態でもたちまち治すエリクサーだってさ。やっぱ人間ってすごいわ。力は俺たち魔族の方が上だけど、銃とかエリクサーとか、物作りは断然あっが上だわ」

 魔王ジャッケルはズボンのポケットからエリクサーを取り出し、シュナイザーに振りかけた。

 シュナイザーの傷が、折れた足も亡くなった腕もみるみると再生していき、元通りになった。

 ジャッケルは瓦礫に埋もれたシュナイザーを引っ張り上げ、隣に立たせた。

「死ぬにはまだ先だろ、シュナイザー。俺の夢を見届けるって言ってただろ。……ほら、俺たちの戦いはこれからだ。ってやつだ。絶対、多種族国家作ってやるからちゃんと隣にいろよ」

「御意。どこまでも貴方と共に」

 ジャッケルは瓦礫の中から玉座を掘り出し、深く座った。

「取り敢えず、暦変えるか。これからジャッケル暦な」

「御身のままに」

 シュナイザーは膝をつき首を垂れた。



 

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