もう存在しない場所を、先輩と

さーしゅー

第一話 目を覚まさないお友達

冬芽ふゆめ先輩がここ一週間ほど意識がない?」


 僕は驚きながら聞き返す。でも、雨津あまつ先輩の表情は、真剣そのものだった。

 

「そうなの。先週末から目を覚まさないんだって」

 

 先輩は困り顔でうなずいた。首の動きに合わせ、長い黒髪はきれいになびき、ふわりとシトラスの香りが舞う。

 冬芽恵ふゆめめぐみは雨津先輩の友達で、僕とも多少の面識がある。


「なんの病気ですか?」


「それが……病院に行ったけどわからないって。まあこんな田舎の病院に、何がわかるんだって話だけどね」

 

 先輩は呆れたように苦笑いをする。

 それもそのはず、僕たちの住む南陽岡みなみひおかは超がつくほどの田舎で、何もない。かろうじて一件ある病院も、ボロくて小さいから期待はできない。


「だから大きな病院に行くみたいなんだけど」


 先輩はそこで話を切ると……


「その前に私たちでなんとかしようよ!!」


 先輩は手を机につき、ぐいっと身を乗り出しながら、そう言った。ボロの学校机を向かい合わせた一メートルが、息遣いが届く近さまで縮まって、心臓の鼓動がはやくなる。 


「ぼ、僕たちですか? この、南陽岡歴史研究部、二人だけの、僕たちがですか?」


「そう、二人で!」


「ぼ、僕、医療の知識とかないですよ?」


「医療の知識とか必要ない! 私たちを何部だと思っているの?」


「歴史研究部ですけど……」


 確かに南陽岡の歴史には自信がある。でも、寝たきりの友人を治すことに歴史は関係ない。それでも先輩は自信ありげに胸を張る。何気なく強調された膨らみに、僕は思わず目を逸らした。 


「南陽岡症候群って聞いたことない?」


 僕は「ないです」と首を振る。そんな恐ろしい病名は初耳だった。


 先輩は立ち上がると、壁際の古びた本棚から一冊の書物をとりだした。色褪いろあせた書物を机に置き、ていねいに開くと、あるページを指さす。


「ここだよ」と言われるままに古い書物をのぞき込むと、美しい横顔がグッと近くに映った。耳をかすめる先輩の息遣いに、僕の頬は火照ほてり、言葉なんて頭に入ってこない。


「……った? ねえ、わかった?」


「はい! 聞いてなかったです!」


 先輩は「あはは……」と呆れたよう笑うと、「じゃあ、もう一回言うね」と優しく繰り返す。


「南陽岡症候群は、夢の中で、現実にはすでに存在しない場所に行ってしまって、夢から抜け出せなくなる症状のこと。この歴史書によると、南陽岡ではよくあったみたいだよ」


 先輩の大人びた声は聴き心地よくて、少し難しい内容もすんなり頭に入ってくる。その上で、僕は疑問が浮かんだ。


「夢の中なんて、現実に存在しない場所だらけじゃないですか?」


 そういうと「あー」と、少し困った顔をしながら、こめかみに手を当てる。


「ごめん、説明不足だったね。その人が頭に持っている現実の世界の中にバグが発生するというか、昔はあったけど今は存在しない所に行ってしまうというか、認知の及ばぬところに行くと言うか……うーんなんて言えばいいんだろう……」


「ま、まあ超常現象ですし説明はそう簡単にはできないですよね」


「そ、そうだよ! 私は悪くない!」


 先輩は恥ずかしそうに誤魔化すと、また真剣な顔に戻る。


「それで、恵ちゃんもその症状だと思うんだ」


「たしかに冬芽先輩はその症候群かもしれませんが、もしそうだったとして、どうするんですか?」


「この本には症状だけじゃなくて、治し方も書いてあるのよ」


 先輩は、茶色く風化したページを一枚めくる。左側のページには対処法が書いてあって、右側は……


「あれ? これページ飛んでないですか?」


 本の中央には、まるでカッターで切り取られたような真っ直ぐなあとが残っていて、右と左で文章がつながっていない。


「そうなのよ。この症候群のメカニズムが書いてあるページだと思うんだけど、最初からなかったのよね」


「そうなんですか……」


「でもほら! 治療法は途切れなくばっちりのっているから! これで治せるよ」


 僕は先輩の指差す一文を読む。


「ええと……患者かんじゃ彷徨さまよっている場所を連想する音や人の声を聴かせればいい? じゃあ、思い出の音を探せば治る、ということですか?」


「そういうこと! そうと分かればさっそく捜査よ!」


 先輩はパタンと古い書を閉じると、ぱっと立ち上がる。そして、入り口まで足早に行くと、蛍光灯のスイッチをパチパチと切る。そして「はーやーくー」と言いながら鍵をチャラチャラ鳴らした。


「い、今、行きますから」


 相変わらずのせっかちさに僕はため息をつくと、急いで準備をし、足早に教室を後にする。


 こんな行き当たりばったりで、せっかちで、子供っぽくて、でも大人びていて、優しくて……

 

 僕はそんな先輩が大好きだった。


 

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