効き目のない惚れ薬

あさぎ かな@電子書籍二作目

第1話 師匠視点

「師匠! 惚れ薬を私に売ってください」

「断る」


 何度も繰り返されるやり取りに俺は辟易していた。

 すでに閉店作業を行うためレジで売上を計算している俺は、箒を手に掃除をしている弟子を見返す。

「これが自分の弟子か」と思うと、ため息が漏れる。我が弟子、リゼット・モリスは魔女ソシエールとして一人前になってすでに三年。


 自分の工房を持つことも、弟子を取ることも可能なのだが全く出ていこうとしない。魔法学会はもちろん、業界でも一目置くほどの才能と魔力を持っている。

 だというのに、弟子は全くといって興味がない。今も俺の工房で弟子だった頃の仕事をするだけだ。なんという宝の持ち腐れだろうか。

 せっかく死にかけたところを拾った命なんだ、もっと自分の為に使えば良いというのに。


「なあ、リゼット。惚れ薬が必要ってことは、落としたい男でもいるのか?」

「もちろんです! 私が作った惚れ薬じゃ全然効かないので、こうなったら師匠の惚れ薬に頼るしか──」

「なんでだ」

「ぎゃっ」


 最後まで言い終える前に俺は、弟子の額にデコピンをくらわす。ウェーブのかかった亜麻色の髪が揺れた。桃色の肌に、目鼻立ちが整っており、身内びいきをしても美人の部類に入る。

 一体誰がうちの弟子を振っているんだ?

 世界一可愛いだろうが。相手の男、殴るぞ。


「うう……、痛い」

「何でもかんでも薬や魔法に頼るなっていっただろう! 人事は尽くしたのか!?」

「師匠……。時々、魔法使いらしからぬまともなことを言いますね」

「魔法使いをなんだと思っている?」

「えっと……変わり者?」


 なかなかのブーメランだ。間違ってないので言葉に一瞬詰まるが、あくまでも一瞬だ。その程度で怯む俺ではない。


「リゼット、いいか俺たち魔法使いは理やルールに厳しい。自分の私利私欲に魔法を使う奴は、この時代では淘汰されている」


 正確には淘汰する、だが。

 非人道的な魔法使いを片っ端から始末したのは、俺だ。すでに二百年も前のことなので、覚えている者も少ないだろう。今は東の最果てとアハティス国の王都で店を構えている。

 まさか自分が異世界に転移するとは思いも寄らなかったが、どちらかと言えばこの世界こそ俺のような破天荒な存在が生きるのだろう。たぶん。

 元の世界でも魔法なんて使えたのだからきっとそうだ。

 それが今は魔法学専門店の亭主となっている。

 人生とはなにがどうなるか分からないものだ。

 

 俺が二百年前に危険人物たちを殲滅したので、残った古参の魔法使いソシエールたちは必然的に思考が柔軟な者達だったのが功を奏したのだろう。

 平和なことはいいことだ。うん。


「人事は尽くしましたよ! それでもだめだから、キッカケとして惚れ薬を使ってみたんです。でもまーったく効かなくて……。振り向いてもくれないんです。どう思います?」

「既婚者や他に恋人がいるってわけでもないんだな?」

「いないと思います。師匠はそういう人います?」

「いや、いないな」


 惚れ薬が効かない男。

 少し興味が出てきた。リゼットの魔女薬学の成績は優秀だ。その上、話を聞く分には何度か試して効果が出ないという。

 惚れ薬はあくまで一時的で、持続時間は長くない。故に、この薬の用途としては精々キッカケ作り、相手に異性として認識させる要素が大きい。


 ちなみに媚薬は幾つかの条件下、各国の政府の許可が必要になり書類審査がいる。セックスレスの夫婦などの需要が多い。無論、片恋相手や、犯罪めいた使い方をすれば、焼かれる。火炙り──の悪夢を一ヶ月見続けるように仕込んである。魔法の薬を悪用されてたまるか──という理由で、俺が考案した。社会的制裁も考えたが周囲に止められてた。解せぬ。


「師匠に毎朝飲ませているのに……ほんと、なんで効かないの?」

「ん? なんか言ったか?」

「な──なんでもないですぅ! それで惚れ薬がダメなら、媚薬を下さい!」

「何で惚れ薬がダメだって言っているのに、媚薬がオッケー出ると思ったんだ? 焼かれるぞ!」


 頭を掻きながら俺はぞんざいなため息を吐く。恋は盲目とはよく言ったものだ。馬鹿弟子の突拍子もない発言に俺はキッと睨む。だがリゼットは怯まない。


「焼かれるぐらいで消える想いじゃないもの! 私はそのぐらい真剣です。媚薬ならちょっとは私のことを女として──」

「却下だ。だいたいなんだその唐変木は? そんな奴の何処が好きなんだ」

「た、確かにこと恋愛に関しては鈍いですけど、すごい人なんです!」

「ほう」


 リゼットは頬を少し赤らめながらも、ぐっと距離を縮めてくる。ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。まったくこんないい女を放っておくとは、そいつの目は腐っているのか?


「厳しいことを言うし、一件無理難題を言い出すんだけど後で振り返ってみると、その時の私にとって一番必要なことだったり、乗り越えなきゃいけないことだったりするの。先見の明があります」

(それぐらい俺だってやっている)

「普段だらしないんだけれど、いざという時に頼りになります。こうなんというかギャップ萌えな要素もつい目で追っちゃうといいますか……」

(弟子のピンチには駆け付けているが、そんな奴いたか?)

「いつもずぼらなんだけど、私が心細い時とか傍に居てくれるし、いつも支えてもらっているから今度は私がその人の事を支えたい。そう思える人です!」


 チクリ、と心なしが胸が痛んだ。

 弟子が心の底から惚れた相手ならば、応援するのが師としての最後の役割といってもいいだろう。

 売上の計算を終えると、俺は小さくため息を漏らした。


「ったく、しゃーないな」


 店の奥にある戸棚の一つから特製惚れ薬を取り出す。ナス科のアルラオネマンドラゴラ、月夜の番に作ったブランデー、薔薇の花弁と、ローズヒップ、リンゴの粉、ペパーミント、ティル・ナ・ノーグで取れた砂糖、これらをすり潰し、七竈の窯で煮て、加工することで真四角の角砂糖にする。これを夜、出来れば満月の日に紅茶に入れて出すと効果が高い。


「餞別だ。くれてやる」

「媚薬ですか!?」

「惚れ薬だ!」

「ありがとうございます! あ、でも、師匠お金は?」

「売るなら百二十万はするが、即金で払えるのか?」

「ぐっ……」


 今まで即決していたリゼットだったが、お金に関してはかなりシビアだ。彼女は今月の収入や今後のことを諸々考えているのだろう。しかし、これでも相場としては安い。

 俺の出す魔法の薬は効果が絶大なため、最低金額は三百万からとされている。もっとも、風邪薬や民間療法のような病に対してはさほど高くはない。病院の薬代と変わらないだろう。


「冗談だ。さっき餞別だって言っただろう。もらっておけ」

「師匠……! そういう太っ腹なところも大好きです」

「おうおう、そうか。だが、そう言うのは本当に好きな奴に言ってやれ」

「はい!」


 単行本一冊ほどの木箱を手渡す。リゼットは箒と木箱を抱えたまま店を飛び出していった。このまま箒で空を飛びながら相手の元に向かうのだろう。

 あの箒は店の掃き掃除用だが、まあリゼットなら普通に飛べるだろう。

 もう見えない後姿に視線を向けて、俺はレジ前の椅子に座り込む。背もたれのある安楽椅子がぎい、と音を立てた。


 これでやっと巣立つ。

 ずっと後ろを付いてきた子が、大きくなったものだ。

 安堵と寂しさ。そしてチクチクと胸が痛む。

 愛している。家族として、弟子として。それ以外の感情なんて──ないと断言できればよかった。


「上手くやれよ」


 絞り出すように呟いた言葉と共に、頬から涙が流れ落ちた。


(チッ、ああー、クソ。気づかなければよかったな)


 居なくなって初めて気づくなんて、ありきたりだが師匠であろうと片意地を張っていた自分の落ち度だ。


 唐突な紬風によって店のドアが勢いよく開いた。しまった。表の札を「閉店」にするのを忘れてしまったと、顔を上げた瞬間。

 俺は目を疑った。

 荒い息を吐いて、現れたのは弟子のリゼットだった。箒の代わりに、見覚えのある黒のマグカップを両手に抱えているではないか。


「師匠……じゃない! イザヤ・グリフィン……さん。これを飲んで貰えますか!?」


 白い湯気が立ち上り、香りから察して紅茶ではないか。

 俺は状況が理解できず、ただ驚いた。

 彼女はキュッと唇を噛みしめると、言葉をこう付け足す。


「ずっと、ずっと、ずっと大好きです。師匠としてではなく、その……これからは、恋人として一緒にいてくれませんか?」

「………………マジか」

「大マジです!」


 参ったと思いながらも、口角は吊り上がっていた。

 飲むまでもない。

 俺は惚れ薬が効かない一番の理由に気づいた。

 ──と。



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