第5話 ルララ子との日々(2)
風呂場で僕のメンタルをふにゃふにゃにした翌日、
大学に行く途中、何人もの通勤・通学者に混じって信号待ちをしていると、突然、背後にルララ子の気配を感じたのだ。
「動くな」
とルララ子は言った。それだけで僕は動けなくなる。すでに僕という肉体をコントロールする命令系統の頂点に彼女が立っているようだった。
ルララ子は後ろから体を密着させ(感触はない)、背中から僕の体内に腕を差し入れ(感触はない)、内臓を何かごちょごちょやっているようだったが(感触はない)、ときおり勢い余って僕の胸から指が何本か突き出たりもしていた(サプラ~~イズ!)。
信号が青になってもまだごちょごちょが続いていたため、僕は往来の中で不自然に棒立ちのままだ。
信号が再び赤に変わる頃、ようやくルララ子のごちょごちょは終わった。
「ふう。気持ち良かった?」
ルララ子が耳もとで囁いた。気持ち良かったもなにも、感触はまるでない。幻の、幻による、幻のためのサービスみたいだ。
サービス?
いったい何を言っているんだ!
目を覚まさないか!
俺よ!
ルララ子は自動車が隙間なくバンバン行き交っている国道を、悠然と横断して立ち去った。すべての物体が彼女の体をすり抜けた。僕はルララ子の後ろ姿をただ見送る。白いノースリーブと爽やかな水色のスカート。この生き霊なるものは、どこかに生存しているはずの実体と同期して、毎日服が変わったりするのだろうか?
結果から言うと、毎日服が変わったりするのだった。
実体とリンクしているかどうかは不明だし、実体なんてものが存在しているのかも不明だが。
ルララ子はバイト先のバックヤードにも現れた。
ブックオフの100円コーナーを物色しているときにも現れた。
自転車屋で店員の説明を受けているときにも。
おそろしく静まりかえった飲み会にも。
大学のゼミメンバーの谷川夢見さん(とても可愛い)に、何気なさを装って送信したゼミの予定確認に返信がなくて床をごろごろしているときも。
課金しすぎた夜も。
レポートの期限が迫っている朝も。
向かいのホームにも。路地裏の窓にも。病めるときも。健やかなるときも。ルララ子は自分のタイミングで僕の生活に介入してきた。やはり僕以外の人間には見えていないし、声も聞こえていないようだった。
自称霊感が超強い後輩の女子にもルララ子の姿は見えていなかった。自称霊感が超強い後輩女子には本当のところ何も見えていないと思う。みんなもそう思っていると思う。
ルララ子は僕の内臓をごちょごちょやるときもあれば、謎めいた会話を楽しむだけのときもあった。いつも数分で僕の前から姿を消した。僕の精神だけがかき乱され、僕の肉体と人生は平凡なままだった。
そんな感じで400時間が経過する。
ルララ子との日々は、唐突に終わりを告げた。
「29、28、27、……」
囁くようなカウントダウンで目を覚ます。
僕はベッドに横たわっていて、すぐそばにルララ子が腰かけていた。
いつの間にか少し寝ていたようだ。
赤子をあやすように、僕の胸をとん、とん、とん、と軽く叩きながら(感触はない)、ルララ子は数字をつぶやき続けている。
なんだか幸せな目覚めって感じだ。
「23、22、21……」
「何を数えてるの?」
「え? 起きた?」ルララ子の目が少し大きくなる。「いや、だから18、私が警告していた時刻がもうすぐ16、そこまで迫っているんだ14、13、12……」
廃墟のように静かだった僕の脳内が一瞬にして騒然となった。
寝る前にルララ子と交わした言葉が一挙に蘇る。
『私はずっと、今から12分後のことだけをお前に警告していたのだ』
「え! もう10秒切ってる!」
はね飛ばされたような勢いで身を起こす。思ったよりルララ子が近くにいて、頭と頭が衝突しそうになった。衝突したところで感触はないだろうけど。
「8、7、6、」
僕たちは見つめ合っている。
ルララ子の唇はデジタルの正確さで動き続けていた。
「5、4、」
なぜ僕は眠ってしまったのだろう?
あの変な子守唄のせいか?
12分後は目前に迫っている。
何が起こる?
想像もつかない。
「3、2、」
何も起こらないのかもしれないけど。
ただの冗談かもしれないけど。
今までと同じような平凡な人生が、死ぬまで続くのかもしれないけど。
無表情のルララ子が、無慈悲にその瞬間を告げる。
「1、ゼ」
ロ。
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