第4話 ルララ子との日々(1)
僕はぶざまに這いつくばっている。下半身を風呂場に残したまま、上半身を脱衣所に投げ打っている。
神々しい。東京タワーのようだ。
東京タワーのようだって何だ。
僕の中に、いつしか闇鍋ルララ子に対する信仰心みたいなものが芽生えているようだった。数分前に出会ったばかりだというのに。そもそも僕は東京タワーを信仰していない。
しっかりしろ。
気の迷いだ。
しかし僕の目の前には、とびきり美しい女性の姿をしたものがそびえ立っている。
厳然たる事実として。
そして僕は彼女の言葉を待ちわびているのだ。
狂信者のように。
ついにルララ子の唇が動いた。
「え?」と。
ルララ子は他人のような顔をしている。いや他人ではあるけど。
「……え?」と僕も言う。
「もう終わりましたけど?」ルララ子は他人の顔のまま言った。
「何が終わったの」
「何かが終わった」
ルララ子は僕に背を向け、またしても当たり前のように壁をすり抜けて姿を消した。
僕はようやく立ち上がる。0.4秒ほどの逡巡ののち、パンツだけは穿くことにした。ずぶ濡れのまま。体を拭いている暇はない。しかし全裸は良くない気がする。文明人として。
ここら辺の中途半端さが僕という人間を象徴している。僕は壁をすり抜けたりせず、扉を開けるという凡庸な手順を踏んで脱衣所を出た。
ルララ子を探す。
いない。
リビングを見る。
いた。
ルララ子はカーテンが閉じられたままの窓からベランダに出ようとしている。
「逃げるな!」思わず叫ぶ僕。
逃げるな?
我ながら違和感の残る言葉の選択だ。びしょびしょのパンツにも違和感あるけど。
「逃げていない」ルララ子はゆっくり停止し、ゆっくり僕を振り返る。「移動しているだけだ」
「どこに」
「どこかに」ルララ子は無表情だ。「安心しろ。私はこれから何度もお前のもとに姿を現すだろう。お前がどんな状況に置かれていようと。パンツがびちゃびちゃであろうと。乾いていようと。穿いてなかろうと。夏が苦手だろうと。セロリが好きだろうと。病めるときだろうと。健やかなるときだろうと。私のタイミングで姿を現す」
ルララ子は宝石のように無機質な眼光のきらめきを部屋に残して、素早く僕に背を向ける。長い髪がこまかく揺れて、ワンピースの裾がふわりと広がった。
彼女が描画されている空間に一瞬ノイズが走る。
ルララ子はカーテンの向こう側に消えた。
金縛りにあっていたわけでもない僕は、金縛りが解けたように、ようやく体を動かせるようになる。ルララ子を追ってベランダに出た。
誰もいない。
何もない。
夏のぬるい夜風と、潤んだ星々の光が僕を現実に引き戻す。
髪もパンツもびしょびしょだ。
闇鍋ルララ子?
なんだそれは。
僕はマジックマッシュルームでも食べたのか?
謎の不完全燃焼感にさいなまれながらリビングに戻る。
濡れた床を拭き、びしょびしょのパンツを洗濯機に入れ、出しっ放しのシャワーを止めた。新しいパンツを穿こうとして、やはり風呂に入り直すことにする。髪を洗っている途中だったのだ。
『私はこれから何度もお前のもとに姿を現すだろう』
ルララ子の涼しい声が脳内にこだましていた。
また会えるということだろうか。
また会えるのかな?
会えるのなら……。
僕はいつもより丁寧に体を洗った。
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