月下佳人〜箏の音に秘められし恋〜
万之葉 文郁
月夜の出会い
煌々とした月の夜。
都の外れにある寂れた屋敷。
格子を外し月明かりが差し込む部屋で女は一人、
女は顔に何一つ表情をのせず、ただひたすらに指を動かす。
この音を好いてくれた、自分を愛してくれた人が来なくなって幾久しい。
彼の人はきっともう来ることはないだろう。そうわかっていながら女は月夜には箏を弾く。
彼の人が訪れる度に所望した箏の調べ。
長い長い曲を夜が開けるまで奏で続ける。
女はこうするほか術を知らなかった。
自分はこうして誰にも顧みられることなく果てていくのだ。
とうの昔に涙の枯れた目を伏せた。
***
ある晩、その日も女は月明かりの下で
途切れることなく無心に弾いていると、ふと嗅ぎ慣れない馨しい匂いが鼻先を掠めた。
伏せていた目を上げると、簀子縁に知らない男が腰掛けている。
驚いた女は箏から手を離し、家の者を呼ぼうとした。
「待って、誰も呼ばないで。私は怪しいものではない」
その男から発せられた声は存外に澄んでおり、思わず言うとおりに口を閉噤んだ。
そんな女に男はありがとうと微笑む。
男は目元の涼しい優男だった。その装束の上等さから決して賤しい身分ではないことが見てとれる。
なぜこんな辺鄙な屋敷にこのような殿方が。
女の思考を読んだように男が口を開く。
「この辺りで月夜毎に凄く綺麗な箏の音が聴こえるって噂があってね。一人そぞろ歩いていたら本当に聴こえてきて、その音を辿ってここまで来たんだ」
都の中とは言っても、このあたりは屋敷もまばらで寂れている。こんな身なりの良い者が一人歩くには物騒な所だ。
そんなことを考えていると、女の表情が余程わかり易いのか、男は余裕そうに笑う。
「大丈夫。私はこう見えて強いんだ。賊でも鬼でもなんでも来いって感じでね、って言っても信じられないって顔しているね」
女は慌てて首を横に振る。
「まぁいいけれど。ねぇ、その箏いつも夜中ずっと弾いてるんでしょう。聴かせて」
屈託のない男の言葉に思わず首を縦に振ってしまう。
人に聴かせるのなんていつ振りだろうか。女は心持ち緊張しながら箏に向かう。
男は少し離れた所にある格子に寄り掛かって座って耳をそばだてている。
秋の澄みきった夜に箏の音色だけが空気を振るわせた。
夜明け前、ようやく女は箏を弾く手を止めた。
そんな女に男は感じ入ったように言う。
「情念のこもったとても心に染みる音色だったよ。また聴きに来ても良いかい」
女は戸惑いがちに頷く。
「よかった。私の名前は
女は黙っていた。その様子に由景は考え込む素振りを見せた。
「そうだね。月夜だから月……いやいや、
首を横に振る女を見て、由景は満足そうに微笑んだ。
「では、また来るね。琴姫」
由景は流れるような動作で姿を消した。
琴姫と名付けられた女はしばらくぼうっと由景が消えた方向を見ていた。
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