花と水鉄砲、狐火覚まし⚓

春嵐

01

 窓の外を見たら、地面が濡れていた。

 化粧をしているうちに、通り雨が降ったのかもしれない。


 いつも、化粧には時間がかかる。しかたなかった。自分の顔を隠して、少し浮いたぐらいの格好をしなければ、仕事にならない。


 大学に、危険な組織のスパイが紛れ込んでいるという話だった。街から地下鉄というかモノレールというか、そういう沿線で繋がっている大学。街から離れたところにあるのは、危険な研究をしているからだった。最近、地球を破壊できる中性子爆弾を開発したりもしたらしい。用途は分からない。


 スパイの洗い出しは、もともと別な人間の仕事だった。公安などには、自分よりもはるかに美しい人間がいる。


 官邸の依頼を受ける仕事をしている。顔と身体の形が人よりも良いので、顔で通過できるところはどこでも通れるし、情報も好きなだけ聞き出せた。


 ただ、とにかく目立つ。顔や身体とは別に、人を引き寄せたり注目を集める力のようなものが自分にはあった。今回はスパイの洗い出しなので、目立ってはいけない。間違っても、学内で美人と言われるようなことは避けなければならなかった。影は、光の強いところを避ける。


 毎日、念入りにメイクをして、顔をおしろいみたいに白くする。服は、とにかく首を長く見せるようにした。

 鏡に写る自分。色白で首が細く長くて、妖怪みたい。これなら大きい胸も異常な体格に見える。


「よし」


 大学に向かう。地下鉄。


 乗ってしばらく待っていると、周りのひそひそ声。蛇みたいだとか、こわいだとか。

 声にひとつずつ、耳をそばだてる。人間の習性は不思議なもので、罵倒や醜い言葉は基本的に後発。最初に人の容姿にストレートなことを言うのは、大抵いい人だった。それに同調しようとした有象無象が、罵倒や醜い言葉を付け足していく。


 どんなに潜んで隠れていても、そういう同調の流れで組織のスパイかどうかは割り出せる。ひそひそ声のなかに、スパイを疑うような情報はなかった。


 人をばかにする態度を、あわれだとは思わない。普通の人の証なのだから。普通に生きて、普通に耐えている、普通の人たち。普通ではないおかしい自分が、願っても手に入れられないもの。


 自分は、生きているだけで、他人の注目を集める。それがわたしにとっての、普通になってしまった。


 大学。授業を受けるふり。

 官邸の依頼を受ける関係上、かなり昔に特例措置を利用し博士まで取っていた。学生のふりをしているが、適当な講義をしているそこら辺の教授よりは頭が使える。


 授業中も、他の学生の声に耳を傾ける。こちらに奇異の向けられる奇異の目を、確認していく。


 学生。ひとり。気になった。

 大勢の学生に囲まれて、その中心にいる。授業の席で、明らかに人気者だとわかる。


 目が。


 合った。


 顔は普通。身体は服で隠れているが、かなり鍛えている。そして。目が、とても澄んでいた。


「どうも」


 学生。小声で、こちらに語りかけてくる。

 かなり遠い距離だが、こちらの耳が良いのを分かっているらしい。


「どうも」


 自分も、小声で返した。

 彼が。

 にこっと笑う。


 素敵な笑顔だった。


 そして、直感的にわかってしまった。彼も、同じ仕事でここにいる。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る