三十八冊目

 目が覚めると窓の外は暗くなっており、陽の光だけで照らしていた室内にはなんの光も差し込んでいない。


 慌てて起き上がり、部屋から出る。


 店内を見渡すと誰もいないことから、沙耶は業務が終わり帰ったことを察する。


 業務に穴を開けてしまったことを即、九尾苑さんに謝罪すると、既に大方仕事は終わっていたので問題はないと言われた。


 感謝を述べ、そのあと一つ頼み事をする。


「実は思い出したことの中で、僕は戦闘をしていたんです。

「そのときに使っていた技を、なんとなく感覚が残っている間に使ってみたくって」


 言うと、九尾苑さんは僕が言いたいことを察してくれたのか、僕の言葉を遮り言う。


「了解、じゃあ今日は自主訓練したいと」


 僕が言いたかったことをそのまま言ってくれた九尾苑さんは、一息ついてから続けて言う。


「技をマスターしたら荒木寺や猫宮にでも見せてやってくれ」


 言い終えると、九尾苑さんは自室へと帰っていく。


 僕も一度部屋に戻り、羽団扇を取ってから地下に向かう。


 地下に着くと、早速技を使う。


 左腕に妖力を集め、炎を強く思い浮かべる。


 揺れ動くシルエット、肌の表面が焼けるような熱さ。

 その熱が実際に自分に当たらないように炎が干渉する領域を妖力で調節する。


「火吹きの左腕」


 瞬間、左腕が炎に包まれるような感覚が訪れる。

 しかし、それで終わりだ。

 実際に炎が出たわけでは無い。


「あれ、おかしいな」


 誰もいない地下空間で僕の独り言だけが響き渡る。


 もう一度試そうと、左腕に妖力を集める。


「火吹きの左腕」


 再び、感覚だけが訪れる。


 その後も、何度も何度も試すが一向に炎は出ない。


 二時間も続けると、体内の妖力が限界を迎え、全身の力がどっと抜ける。


 足の力が入らずに倒れ込む。

 視界が朦朧とし、どんどん見える景色が暗くなる。

 僕は本日二度目の自分の意思でない睡眠状態となった。


 目が覚めたのはそれから四時間後、地上では三十分ぐらいだろうか。


 睡眠中、体内の妖力は多少回復したものの、もう一度火吹きの左腕を試せば再度底をつく量だ。


 コンクリートの床に直で寝てしまい少し痛めた体の節々を撫でながら地上に戻る。


 地上に着くと、九尾苑さんが夕食の支度をしていた。


「仕事に穴を開けて食事の準備まで、本当に申し訳ない。

「今すぐに羽団扇を置いてくるので、そしたら直ぐに支度代わりますね」


 言うと、九尾苑さんは首を横に振り僕の肩を押して部屋まで帰らせようとする。


「宗介は疲れただろうし休んでていいよ。

「どうせ地下で妖力切れでも起こしたんでしょ」


 図星を突かれ何も言い返せないでいると、九尾苑さんが一つ提案をする。


「じゃあ食器洗いを宗介に任せよう。

「その頃には疲れも取れてるだろうしね」


 気を使わせてしまったことを心の中で謝り、思いを無駄にしないため口には出さない。


「ありがとうございます、それじゃあ少し休ませてもらいますね」


 そう言って部屋に戻るが、夕飯の支度はその後十分と少しで終わり、業務用兼戦闘用の服から部屋着に着替えた頃には休む時間など大して残ってはいなかった。


 食卓には、白米と味噌汁、パリッと焼いた鮭と里芋の煮っ転がしが湯気を上げて並んでいた。


 好物の鮭があることに、内心喜びながら席に着く。


 先に席についていた九尾苑さんといただきますと一言だけ言って、茶碗を持つ。


 箸で鮭を切り、ちょこんと一口分だけ白米に乗せる。


 白米と鮭をセットで口に運び咀嚼すると、口の中に鮭の塩っ辛い味が広がる。


 僕はこの辛口の鮭が堪らなく好きなのだ。

 一人暮らししている頃も多い日は毎日二切れは食べていた。


 また、九尾苑さんの炊く米との相性も良いのだ。


 九尾苑さんは炊飯器などは使わず、毎回土鍋で米を炊いている。


 そのため、米は立ち、一粒一粒に艶があるのだ。


 最新の炊飯器ならばこのような米も炊けるらしいが、生憎一人暮らしの僕に炊飯器を新しく買い替える金はなかった。


 鮭を半分ほど食べると、次は茶碗を置いてから味噌汁に手を伸ばす。


 底に沈殿を箸で軽く混ぜてから啜る。


 味噌の香りが鼻を通り抜け、非常に心地よい。


 味噌汁に浮かぶ若布と豆腐を箸で持ち上げ口に運ぶ。

 豆腐は途中で半分に崩れてしまったが、味噌汁の味が染みていてとても美味い。


 再度味噌汁を一口啜り、息を大きく一度吐いたあと、茶碗を再び手に取り今度は小鉢に入った里芋の煮っ転がしに手を伸ばす。


 口の中に、よく染みた醤油の味と、隠し味の柚の香りが広がる。


 米とセットで止まらずに食べていると、あっという間に煮っ転がしは消えていた。


 少し悲しい気持ちになったが、気を取り直して残りの鮭を食べる。


 最後の一口を米と食べ終えると、少し味噌汁が残っていることを思い出し、一口で飲み終える。


 茶碗に箸を揃えて置き、手を合わせてご馳走さまと一言。

 すると、正面で食事を続けている筈の九尾苑さんがこちらをニヤニヤと見ていた。


「どうしたんですか、九尾苑さん。

「何か問題でもありましたか?」


 聞くと、九尾苑さんは一度口を隠して笑った後に、涙を指で拭きながら言う。


「いや、本当に美味しそうに食べるなって思っただけだよ」


 言われ、少し恥ずかしくなり赤面する。


「なんですか、その彼女を揶揄う彼氏みたいな台詞は」


 適当な言葉だけ返してから自分の食器をシンクに入れる。


 自分の食器を洗っていると、途中で食べ終えた九尾苑さんの食器も追加され、それでも十分もかからずに洗い終える。


 その後、今日は色々情報が多すぎたなと思いながら風呂に浸かり、部屋で眠りにつく。


 本日三度目の睡眠は、漸く自らの意思で迎えるものだった。

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