三十三冊目

 即撤退、その言葉に従い僕たちは帰路につく。


 地上に戻る際、敵は一切現れなかった。

 新種どころか、通常の雑魚さえも不自然な程にだ。


「ねえ沙耶、可笑しいと思わない?」


「思わないわけが無いじゃない。

「この私も知らない妖が現れたのよ、忘れただけなんてあり得ない。

「私が今日まで知らなかった妖と言うことは、今日誕生した新種ってことよ」


 自分の記憶力に絶対的自信を持つ様子の沙耶は、地下水道から出た頃から不機嫌そうだ。


 地下水道にいた頃は辺りの警戒で気にする余裕が無かったが、自分の知らない妖がいると言う事実に立腹の様子だ。


 そんなことを考えていると、突然背後から声が聞こえる。


「お前、まだその女連れてんのかよ」



 慌てて振り返るが誰も居らず、疲れからの幻聴だと自己完結させようとする。


「聞こえてんだろ、返事ぐらいすんのが礼儀じゃねえか?」


 瞬間、辺りの温度が一気に下がったような感覚に陥る。

 再び声の方に振り返り、相手の顔を確認しようとするだけで総毛立つ。

 プレッシャーだろうか、前に九尾苑さんの殺気を浴びたときに似た感覚だ。


「んだよ、シカトか? いくら俺が寛容だからってよお、やっていいこととダメなことぐらいの分別はつけるべきだ」


「やめてよ、今一ノ瀬は違う記憶が入ってるんだから」


 すかさず、僕と声の主との間に沙耶が割り込む。

 そのおかげでプレッシャーが少し薄れたのだろう、僕は漸く、振り返って声の主の容姿を見ることが出来た。


 燃えるような赤髪に鋭い目つき、耳にはいくつもピアスが付いており、所謂ガラの悪い人といった印象だ。


「なんだよ、アレ叔父様のジョークじゃねえのかよ。

「確かに腑抜けた表情してやがるな、以前のお前ならそんな顔は出来ねえ」


 男は納得したように言う。


「納得したなら帰ってくれないかしら? 貴方の威圧は今の一ノ瀬には負担になり過ぎる」


「ああ、分かったよ。

「だが、今の実力を確かめてからな!」


 瞬間、男は僕の視界から景色を消す。


「こっちだ、ノロマ」


 声が頭上から聞こえた瞬間、沙耶は叫んだ。

 僕に何かを伝えようと、しかし、その声は届かない。


 何故なら、それと同時に僕の持ち物のうち一つ、黒いお札が光を放ち出したのだ。


「安全だと思ったんだけどもねえ、君たちが介入して来るのかい」


 光と共に現れたのは、よく聞き慣れた飄々とした声の持ち主。


「助けに来たよ、宗介」

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