十一冊目
あれから五時間、僕は只管九尾苑さんに向かい羽団扇を振り続けた。
しかし風は通常の団扇程度、その度に九尾苑さんに転ばさられ、蹴り飛ばされた。
九尾苑さんの攻撃を避けられたのは最初の仕込み杖の一撃だけだし、こんな事を続けていたら他の妖共に喰われる前に九尾苑さんに殺されてしまいそうだ。
九尾苑さんに蹴飛ばされて横たわる僕は勢いよく起き上がる。
毎朝のジョギングのお陰で不要に有り余るこの体力が憎たらしい。
こんな前日の骨が軋むような思いをするならばいっそ体力尽きて動けなくなってしまいたい。
しかし体の動かし方は何となく分かってきた。
この五時間は、昔一年だけ習っていた剣道よりも学ぶことが多い。
只管実践形式の体に容赦のない痛みが襲うこのやり方が実は僕に合っていたのだろうか。
だとしたら僕は意識せずにMの扉に手を掛けていたのかもしれない。
そんな事を考えていると再び僕に九尾苑さんの蹴りが襲いかかる。
僕は羽団扇で防ごうとするが体の筋力が足りずに蹴飛ばされる。
九尾苑さんの蹴り技は武と言うよりは舞のような、戦闘中でも見惚れてしまうような美しい物であった。
しかし見惚れている暇はない。
確かに舞の様な美しい技だが、あの足から繰り出される連続の蹴りはコンクリート作りの床を軽々と砕く。
そして、そんな蹴りを五時間休む事なく繰り出している筈の九尾苑さんの表情は、蹴られ続けて強張る僕の表情と対照的に爽やかで、飄々とした態度を保っている。
僕を蹴り、それを利用し空中に止まる九尾苑さんが一度床に足をつける。
その際衝撃を逃す為に九尾苑さんが足を曲げる。
瞬間、九尾苑さんに向かって、羽団扇を振るう。
しかし九尾苑さんはそれを即座に察知して曲げた足を勢いよく伸ばして跳躍。
僕の背後に回る。
言い訳の様だが、僕が使っている武器、羽団扇はその名の通り見た目は扇子だ。
それ故に戦闘に不慣れな僕が使うには難しく、炎や風の出現に賭けて勢いよく振るうか、それで叩くしか攻撃手段が見当たらない。
もしこれが刀ならばどうだったのだろうか。
刀ならば剣道の竹刀で多少握り慣れてはいるし、九尾苑さんを手本として技を盗む事も可能かもしれない。
——————そう、これが刀だったならば。
瞬間、僕の腕とその先にある羽団扇を中心に風が吹き荒れる。
昨日天狗が出した風程に多いわけではないが、それでも見ているだけで目が渇いてしまいそうな暴風だった。
慌てて九尾苑さんを見ると、九尾苑さんは口を少し開け、今日初めての驚いた表情を隠す事なく露わにしている。
「九尾苑さん、この腕なんですか、怖いんですけど」
僕は慌てて九尾苑さんに尋ねる。
その頃には九尾苑さんの表情は爽やかな物に戻っており、バックステップで僕から距離をとった九尾苑さんは言う。
「なに、慌てる事はない。
「その風は君に危害を与える事はない。
「何しろその風は正真正銘君の力なのだから。
「風が出ている間にかかってくるといい。
「さあ、さあ、さあ」
その爽やかな表情にはほんの少し熱が篭っていた。
僕は九尾苑さんに言われた通り、再び九尾苑さんに襲いかかる。
刀を横に一閃する。
空に線を一本描く様に、真っ直ぐ丁寧に、丁寧に。
その一閃を九尾苑さんは片手で握った仕込み杖で抑えようとする。
しかし九尾苑さんは僕の腕を覆う風に耐えられなかった様で、一度後退の選択肢を選ぶ。
再び僕と九尾苑さんの距離が離れ、お互い構えを取る。
九尾苑さんは人差し指と中指で刃を握り鞘の代わりに、抜刀術の構えだ。
僕は羽団扇とそれを覆う風を下げ、下段の構え。
これは無意識に取った構えだったが、もし正面に構えていたら自分の風で目が渇き九尾苑さんの攻撃を見逃していただろう。
「今後の君の修行、少しは楽しめそうで良かったよ」
その一言を最後に僕と九尾苑さんは互いに向かい駆ける。
互いの攻撃が触れ合った瞬間、九尾苑さん側に風が向かう事はなく、僕の足元に向かい、攻撃を後押しする様に勢いよく風が吹き荒れる。
「負けるな、僕」
そう一言呟く。
完全な無意識だ。
その瞬間風の勢いは更に強くなる。
勝てる、勝てるかもしれない。
僕は羽団扇を更に力を込めて握る。
絶叫にも近い叫び声を発しながら羽団扇に全身の体を込める。
「成長が楽しみだ」
そう一言だけ九尾苑さんが言った。
そして、ほんの僅かだけ、建て付けの悪い扉を開けるのに力を込める程度の感覚で僕の攻撃を抑える右腕に力を入れる。
その瞬間、僕はその力に耐えきれず九尾苑さんの攻撃に押し負ける。
このコンクリートの空間に無数に建つ柱に勢いよく飛ばされた僕は、視界がぼやけ、立ち上がる力も残っていなかった。
「君は強くなるよ、今はしばらく眠るといい」
その九尾苑さんの言葉を最後に僕の意識はプツリと途切れた。
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