ネジを巻く

達吉

第1話

 子どもの頃おもちゃのネジを回すのが好きだった。

ネジを回して動きだすおもちゃを見て、自分が命を吹き込んでいるような気がして嬉しかった。

古い大きな時計も毎日きちんと同じようにネジを巻いてあげるときちんと動く。

オルゴールもネジを巻くとその分きれいな音楽を奏でてくれる。

ネジを回しても動かない時があっても、それは気まぐれなどではない。きちんと故障しているから動かない。故障の箇所を直して、またネジを巻けばしっかりと動いてくれる。

「ネジは正しく巻けば正しく動くんだ」


 8月のある日菱川は古くからの友人の鹿嶋に招かれ、彼の家を訪ねた。

外は日差しが痛いくらいに強く、蝉たちが短い恋の季節を競って鳴いていた。

「いつ見てもすごいね」

菱川が室内を見渡した。

いくつもの人形がこちらを見ている。

オートマタと呼ばれる人形たちだった。

古くは12世紀からあるオートマタである。鹿嶋のアトリエは古いものもあるが、ここにあるオートマタのほとんどは鹿嶋が作った人形たちだった。

人形たちのためにこの部屋は、年中一定の室温と湿度を保っていた。


 鹿嶋が一体の人形の前で立ち止まった。

道化師の人形だった。道化師がペンを持って机に向かっている。

「これはとても有名なオートマタのレプリカ。僕が作ったのではないんだけどね。修理を頼まれて預かっていたんだ。小さめに作られているが、動きはオリジナルと変わらない。むしろ小さい分こちらの方が作るのに高い技術を必要とされたと思う」鹿嶋が愛おしそうに目を細める。「ところが修理を終えた彼を引き取りにくる前、持ち主が死んでしまって引き取り手がないんだ。持ち主の家族には連絡したけど、引き取りに来る気配もない」

レプリカとはいえ、それなりにした代物だろうと菱川は思った。

「興味のない人には単なる人形で、家にあっても邪魔になるだけなのかもね」

「邪魔にされて捨てられるよりはここにいた方がいい」

鹿嶋は言った。

「ただ、どうも彼はここに馴染めないようなんだ」

「馴染めない?」

「他のオートマタたちと相性が悪いようだ。作者のせいなのか元の持ち主のせいなのか。たくさんのオートマタの中にいるとどうも落ち着かないようだ」

「そうなのか?」

「修理をしたあと、この部屋で皆がいる中でネジを巻いても動きがぎこちない。工房へ持っていきネジを回すときちんと動く。彼はシャイなのかもしれない」

「ふむ…」

「彼をしばらく預かってもらえないかな?」

鹿嶋が言った。

「もしも、君のところで、彼がきちんと動けるようだったら、そのまましばらく置いてもらえないかな?」


 鹿嶋に言われるまま、菱川はオートマタを持ち帰った。

菱川の書斎の以前は観葉植物の鉢を置いていたコモテーブルがあった。

鉢を植え替え、直接床の上に置くようになり、テーブルはただ窓の下に置かれていた。

菱川はコモテーブルを1人掛けのソファの脇に移動させると、ケースから出したオートマタをその上に置いた。

 オートマタの服を後ろから捲ると白い背中が見えた。そこには金色のゼンマイネジがあった。

キリキリとゼンマイネジを回す。

子どもの頃にもこうしてネジを回したことがあったのを思い出す。

オートマタはじっとネジを巻き終えるのを待っているかのようだった。

少しずつネジがきつくなり、そしてカチリと音を立ててネジは止まった。

菱川はオートマタの背中を服で隠すと、右側の腰にあるスイッチを入れた。

静かにオルゴールが鳴り出し、オートマタが動き始めた。

 頬杖をつきながらオートマタは手紙を書き始める。

“ Hello, my master. It’s a pleasure to meet you. “

「すごいな」

ペンにはインクもきちんと仕込まれているのか、文字が現れた。

“ Please, give me my name.”

「ん?」

” I lost my name. please my master, give me my name. “

オートマタはそこまで書くと菱川の方をふと見上げた。

菱川はしばし悩み「オーギュスト」と答えた。

「8月に出会った君はオーギュスト」

オートマタは再び手紙を書き始めた。

菱川はまさかと思ったが、オートマタの書き出す文字を見つめた。

“ Auguste “

文字はそう綴られていた。

「まさか」

菱川はつぶやいた。

“ Thank you master. my name is Auguste. I appreciate your continued support. “

そう綴るとオートマタは再び菱川を見上げた。

「こちらこそよろしく、オーギュスト」

菱川がそう言うとオーギュストはまた顔を戻し、今度は居眠りを始めた。そして、ふと気が付いたかのように手紙を書き始める。オルゴールの曲も再び頭に戻ったようだった。

 小さな机の上の手紙を今一度読もうと菱川が覗き込んだ。

しかし、そこにあったのは少し日に焼けた白い紙だった。

「ネジは正しく巻くと正しく動く」

鹿嶋の言葉を思い出した。

「オーギュスト、僕は正しくネジを巻けたかい?」

オーギュストが菱川を見上げた。

ネジは正しく巻けたようだと菱川は思った。

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ネジを巻く 達吉 @tatsukichi

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