第24話 万の兵
「……圧巻、ですね」
窓の外に見える緩やかな丘の上に、数多の軍旗が立ち並んでいた。
広大に見えた丘を埋め尽くすほどの人。それに連なる馬に、そこかしこに天幕や積み上げられた木箱も見られる。
「こんなものじゃないらしいよ、まだまだ増えるらしいからねぇ」
「あぁーやだやだ早くどっか行ってくれないかねぇ」
「滅多なこと言うもんじゃないよ。例の魔獣を倒すために戦ってくれる兵隊さんなんだから」
「っつってもよぉ、最近街の中物騒だろう? ただでさえ人増えて治安悪かったのに、兵隊なんてどいつもこいつも態度悪い奴ばっかだからなぁ」
「それももうちょっとの辛抱だろうが。すぐに進軍が始まって居なくなるよ」
アテアラの診察室の中で、すっかりおなじみとなった三人組の仲良しのおじさん衆と家主のジュードさんが世間話に興じていた。皆が一様にアテアラと同じように窓の外の丘の上に目をやっている。
四日ほど前からぽつぽつと集まり始めた人と馬の群れ。日を追うごとに増え続け、今では丘を埋め付く程にまでなっていた。国中から集められた将兵だ。彼らは新王の誕生を祝うため、ではなく国を守るためにカルダを討伐する目的で集められている。
あれが全てカナリの下に集った軍勢だと思うと、なんだか頼もしくも見えた。
「大丈夫かな……」
辺境伯が目を覚まして一度伺ったきり、アテアラが辺境伯の居城に行くことはなかった。辺境伯の容態を彼女が見る必要はなかったし、出来ることも多くはなかったからだ。グレアに何かあれば呼んでくださいとだけ告げて別れて、それからまたいつもの日常に戻った。
結局、今日に至るまで城に呼び出されることはなく、それはつまり経過は至って順調という事だろう。
この宿屋の一室で、怪我人を治療したり、おじさんたちの愚痴を聞いたりする、そんな日々。
「心配すんなってぇ、アテアラちゃんは俺達が守るから」
「あほ。酒屋の店主に何ができるってんだ」
「そうだそうだ。お前は引っ込んでな。安心しなアテアラちゃん、俺が守ってやるからよぉ」
「お前らうるせぇ! いい加減にしねぇとたたき出すぞ!」
騒がしいおじさんたちの声に、アテアラは苦笑いする。
――シロ、いま、何しているのかなぁ。
信じていても、不安は尽きなかった。
※※※
城の一室。大きな円卓の上に、たくさんの地図や書簡が置かれていた。
集っているのはこの国の新たな王であるカナリと、それに仕える名士――この国の頭脳ともいえる者たちだ。
「ご心配をおかけしました」
部屋に入ってくるなり、辺境伯が頭を下げかすれた声で言った。
カナリは、その辺境伯の細い枝のような腕を見て驚いた。戴冠する前にあった時とは比べるべくもない。カナリの目には今にもまた倒れてしまうのではないかと思えるほど、辺境伯の姿は脆弱に見えた。
「随分悪かったと聞く。無理はするな」
「少し長く寝ていただけですよ。元々生い先は短いのです。ここで無理をせねば死んでも死に切れません」
「……そ、そうか」
なかなか返答に困ることを言うなと、カナリは思った。
だが、亡国の危機に休んでいろと言われても、そう寝てもいられない気持ちもわかった。ましてや王が自分のような後ろ盾も経験も才もない若造なのだから、とカナリは心の中で自嘲する。
今、この部屋の中に、宰相を含めた前王からの旧臣、地方から集った諸侯とその腹心が一同に会していた。城の主である辺境伯も揃い、いよいよ今後の話も佳境となるだろう。
「しかし今集まっている兵が二万ですか。これからあと二万の増加が見込めるとはいえ、幾分少ないようですな」
「ははっ、随分気持ちが弱くなっとりますなぁ、辺境伯よ。まだしばらく寝ていた方がいいのではないですかぁ!」
辺境伯の言葉に、嘲笑を浮かべて答えた諸侯が一人、コハール侯だった。宰相に負けない大柄な身体の狼族の獣人であり、武闘派で名の知れた貴族であった。
「精鋭四万! これだけの戦力が揃えば魔獣のたかが一匹ひとたまりもないでしょう! 既に十分すぎる戦力ですよ!」
コハール侯の一人の言葉に、多くの賛同の声が集まる。
「甘く考えることは出来ますまい。王都が落とされたのは偶然ではないのですから」
「強襲を受ければ、何処の都市も脆いものです。想定外の魔獣に虚を突かれたとなれば尚更でしょう。ですが今度はこちらから責めるのです。万に一つも負けはない!」
「だとしても、既に甚大な被害が出ているのです。これ以上の被害は国家の存亡に関わる。だからこそ万難を排し望む必要がある、と私はそう言っているのです」
辺境伯とコハール侯の言い合いに、ヒートアップするように諸侯たちがそれぞれの立場で意見を述べていく。そこに宰相たちも加わり、場は熱を帯びていた。
やれ、敵の位置はどうだ。
決戦の予定地は何処か。
カルダを討つための魔法、それに予備作はどうなっているか。
これから集まる兵の規模は、行軍の工程はどうするか。
それに集まらない他の諸侯の動きは、その対策は等々。
話し合わなければならないことは山ほどある。時間はまるで足りていない。
議論の外にいるのは自分だけ。カナリはそう思った。
所詮お飾りの王。
大した知識もなく、戦略的なことを問われても答えることは出来ない。彼の仕事は、最後に多数派となった意見に頷くだけである。
「――もう一度カナリ様に呼び掛けていただくのが良いかもしれませんな」
「ん?」
「カナリ様の――王のお力を今一度お貸しいただきたいのです」
繰り返された辺境伯の言葉の意味を確認し、カナリはそっと目を伏せた。視線が自然と、ひじ掛けに置かれた右手の小指へと動いた。
鈍く光る小さな金の指輪がそこにあった。
「それで? 討伐のための兵を連れて馳せ参じろとまた呼びかければいいのか?」
「いえ、ただ大義を示せと」
「……それだけ?」
「1度目の呼びかけで来ぬものは、もう来る気はないでしょう。無論、領地の被害が酷く、来れないものをいるのでしょうが。ですからこれは天下の、大義の所在を改めて問い、そして我らがこれから行う事こそが大義なのだと示すのです」
辺境伯の言葉の意味を、カナリはあまり理解できなかった。それが今この場でどれほどの意味を持つのかが、彼にはわからなかったのだ。だがそんなことをして何になるのか、と問いかけることも出来なかった。それではただ自分の無知をさらすだけである。だからカナリはまるで全てを理解しているように大仰に頷き、右手を挙げた。
――小指にはめられた指輪に光が灯る。
「
それは、代々受け継がれてきた権力とは違う、この国の現国王にのみ許された力。
『王の名のもとに、諸侯へ告ぐ。国を支える民に、各々の大義を示せ』
これは王の意志を一瞬にして伝える特別な魔法。
カナリが頭の中で思い描いた言葉は、指輪を通じて国中へと放たれた。
その文字は今頃、諸侯の下に置かれた特別な書へと刻まれている事だろう。
遠く離れた相手と情報のやり取りをする魔法は幾つか存在する。だがこれほど広範囲に安定して、王と臣下のみが情報をやり取りできるというこの魔法は、この国の権力の根幹をなすといっても過言ではない力があった。
「これでヒンダー卿らも少しは動いて下さればよいのですが……」
「建前上、何かはするかもしれませんが、こちらの理になる動きは期待は出来ないでしょうな」
宰相と辺境伯が、小さくそう零した。
これほどの非常時においても、呼びかけに応じない、動きの鈍い貴族は多くいた。ヒンダー卿はその筆頭であり、カナリが王になったことを快く思っていない貴族の代表的存在でもあった。
いや、この場に集まった多くの者とて、カナリが玉座に付くことを諸手を挙げて歓迎している者はいないだろう。皆、緊急時ゆえにしょうがなく座ってもらっていると、そう思っているのではないだろうか。
「……厳しいね、ほんと」
誰にも聞こえないほど小さな声で、カナリは呟いた。
――外には万の兵がいる。
しかしそこに彼の味方は一人もいなかった。
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