第22話 経過観察その2


「お手を」


 声と共に手を差し出すアテアラ。掴む相手は、辺境伯の孫である少女グレアだった。そっと置かれた手のひらを、アテアラがそっと包むように握った。もう片方の手は、寝台で静かに眠る老人の胸の上にあった。


魔素循環法マーガル


 静かな発声。それと共に、腰に下げた魔導書が淡く光り、それからすぐにアテアラ自身の身体も淡い光に包まれた。連鎖するように、グレアの手を通じて彼女の魔力が流れ込む。それはアテアラの身体を通り、整えられた後、辺境伯の身体へと流れ込んでいった。

 

 自分に近い魔力を持つ者――同一色の魔力光を持つ者、あるいは近親縁者等――の魔力を流しこみ、対象の身体内部の魔素を循環、および新しいものに入れ替える魔法。これによって得られる効果は魔法的及び魔力等が原因の衰弱及び、機能不全の回復。副次効果として一時的な身体機能の向上が見込まれる。


 魔女たちの言葉では、古い家の窓を開け、風を通す行為と言われている。


「……終わりました」


 魔法が発動していた時間は一分程度。

 触れていた指が離れる。アテアラの額には汗が滲んでいた。


「本日もありがとうございました」


 グレアが腰を曲げて、深く頭を下げた。

 アテアラが治療を始めて、既に五日。目立った効果は見られないが、治療後、彼女は必ずこうして深く頭を下げた。

 貴族という立場の人間を良く知らないアテアラでも、彼女の態度が当たり前のものではないのだとはわかっていた。


「……」


 この治療魔法は本当に効果があるのだろうか。施術しているアテアラ自身、そう思う気持ちがないと言えば嘘になる。目に見えた変化はない。だが効果はあると信じる他なかった。もどかしいが、それが彼女の魔法。そして魔女の魔法だった。

 

「大丈夫です。効果は出ていますよ」


 沈んだ顔で眠っている辺境伯を見ていたアテアラに、グレアが笑みを浮かべて言った。

 どうやら内心を見透かされていたらしい。


「えっと……」

「わかるんです。一昨日より、昨日より、今日が良くなっていってるって」


 気を使われているではないか、と思った。だがアテアラではわからない、身近に住む家族にしかわからないような微妙な変化をグレアは感じ取っているのかもしれない。そう信じようと、アテアラは思った。

 

『あと二日だぞ』

 

 脳内で聞こえたフィンカウスの言葉がまるで咎めるようにアテアラに刺さる。


『……言われなくてもわかってるよ』

 

 『魔力循環療法』を施す日数はおよそ七日が目安といわれている。その日数を過ぎれば、以降大きな効果は見込めない。

 驕るつもりはない。自分が大した力などないと、アテアラが一番わかっていた。いや、だからこそ、願わずにはいられない。

 

 ――どうか、元気になりますように。


 何も出来ない無力さが消えることはない。だからその祈りも、きっと生涯消えないのだろうと、なんとなく少女は思った。

 

「――それじゃあ、えっと、帰ります」

「あ、ちょっと待ってください。お送りいたします」


 頭を下げて、そそくさ部屋を出て行こうとするアテアラを慌てた様子でグレアが止めた。このやりとりはいつもの事で、街まで送りの馬車を出そうとするグレアの言葉を断り、それならせめて門まで、と言われて断れずに結局、グレアに送られるのだ。


 今日もそんないつもの流れで、白亜の廊下を二人並んで歩く。

 小さな甲冑を着込んだ少女。大人びてて、でもやっぱり子供っぽくもあって。不思議な魅力がある人だった。


「そういえば、知ってますか? 〝魔獣狩り〟」 

「魔獣、狩り? あー、なんか患者さんが話してた、かも? 詳しくは聞いてないですけど」


 それはなんてことのない世間話の一つとして出た話題だった。


「最近すごく噂になってるらしいんですよね。なんでも、魔獣から守ってくれる謎の救世主だとか。魔獣に襲われている人の前に突然現れて、その魔獣を倒して去っていくそうです。すごいんですよ! 竜の頭を殴って、こう、消し飛ばしたとか! 錆びた鉈で真っ二つにした、とか!」

「……竜を殴って、消し飛ばす?」

「あはは、信じられませんよね。やっぱり。でも、この街に来た方々の誰も彼も、示し合わせたように同じようなことを言うそうですよ。白髪黒衣の若い男性が、魔獣を軽々一蹴と」


 確証はない。だが、アテアラの脳裏には一人の男の姿がはっきりと浮かんでいた。

 白髪で、黒衣で、竜の頭を殴って消し飛ばせそうな無茶苦茶な人物。というかそんな人物が何人もいるとはとても思えない。


「まぁあくまで噂なので、どこまでが本当かはわからないんですけど。目撃情報も多岐にわたって凄く多くて、一人の人間が出来ることとは思えませんし。似たような人物が同時多発的に現れたとも考えづらいんですけど」


 よくもわるくも、グレアは尾ひれの付いた噂話程度に捉えているようだった。


「このまま、例の魔獣も殺してくれたらいいのに――」


 続けられたグレアの言葉は、どこか冷たかった。

 

「――って、皆さん思いたいのでしょうね」


 多分、これを話した人も、それを聞いた人々も、きっとみんなが一様に、そう思った事だろう。


「……そう、ですね」


 最初は、どこか他人事だと思っていた。遠くでちょっと大きな魔獣が出たくらいのもので、自分には何の関係もないと思っていた。

 でも、今まで流れてきていた物が無くなって、それから実際に体験した人が流れてきて。王都が落ち、王が死んで。少しずつ、少しずつ、自分たちにも歩み寄ってきていると感じていた。それでも、自分たちに出来ることは何もない。願うしかない。祈るしかない。ただ日々を続けていくしかない。


 そんな中で流れた噂話。 


 魔獣を殺して回る、正体不明の人物。そんな人が突然現れて、現実の問題を全て解決してくれればいいのに。それは実に都合の良い妄想のようなもの。だが、思わずにはいられない。


 だから、この噂話はきっと瞬く間に広がったのだろう。

 

 それが、彼の意図なのかはわからない。だが、少なくとも彼が誰かを助けている。その事実が、なんだかアテアラにはたまらなく嬉しかった。


『――でも、シロ、カナリさん助けに行ったと思ったのになぁ。何してるんだろ』

『まぁ、誰かは助けてんだからいいんじゃねーの。知らねーけど』

「かもね」

「? 何がですか?」

「あ、いや、何でもないです」


 頭の中で、フィンカウスとの会話のつもりの台詞が言葉に漏れていた。慣れてきた、とはいえこの頭の中の会話中に、今もたまにやってしまうミスだった。


『カカカッ、バーカ』

 

 脳内で響いた罵倒にイラっとするも、表には出ないように注意した。

  

 送りの馬車を断りグレアと別れた後、衛兵の立つ門を出て緩やかな坂道を下りていく。強い風が吹きつけて、帽子が飛ばないように片手で抑えた。


 見上げた太陽は眩しく、燦燦と照り付けていた。

   

 ――シロも頑張ってる。だから私ももっと頑張らないとね。

 

 一人静かに、決意を新たにする。

 気が付くと心が弾むような、そんな心地だった。湧き出る泉のように、内から元気が溢れてくるようだった。

  

 シロの事を聞いたからだろうか。随分現金なものだと、アテアラは自分に呆れた。






 ――その日の夜だった。


 辺境伯が、目を覚ました。

 


 



 

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